笑えないピエロ


食事も終わり、後片付けも済んだ。相変わらず雨は激しく降り続け、時々雷が落ちる音が響いている。暗く見通しの悪い窓を眺めながら、銀時がポツリと呟いた。

「泊まってけば?」

千春はその言葉を理解するのに、少しの時間を要した。止まってけば?トマってけば?   泊まってけば?難しい言葉ではない。つまり、そういう事だ。


「……えっ!?」

吃驚して大袈裟に肩を揺らせば、銀時まで驚いたような顔になる。


「え、何お前またこんな雨の中帰るつもりなの?誰が、何で、こんな雨ん中探し回ったと思ってんだ。またババアのパシリにさせる気かコノヤロー」

眉を寄せて不機嫌そうに吐かれた台詞に、千春も思わず申し訳さなさに俯いた。そういうつもりじゃないけれど、男の一人暮らしの家に泊まっても良いものかと、頭が掠めたのだ。勿論銀時にそんな下心など無いと分かっている。
   意識してるのは、多分自分だけだ。


「じゃ、じゃあお言葉に甘えさせて頂きます。」
「おーおー別に取って食えやしねぇーから安心しなさいよ。銀さんどっちかってーとボンッキュッボンがタイプだから。」
「大丈夫です。私もどっちかっていうとサラサラストレートヘアーがタイプなんで。」
「え?千春ちゃん?千春ちゃんだよね?いつからそんな事言うような子になっちゃったの?今の来たなあ〜ストレートに銀さんの心抉ったなあ〜ストレートパーマだけに」
「いやそれ何もかかってないですよ」


若干涙目になりながら大袈裟に手で心臓を抑えチラチラと横目で視線を寄越す銀時に、千春はニッコリと笑い返した。いつの間にか、冗談も言えるようになったらしい。


「お華さんに連絡して来ますね」


まだ何か言いたげな銀時をおいて、再び受話器を手に取るべく立ち上がった。



******



泊まるのはいいが、問題は寝床だった。当たり前に銀時の布団しかない。辛うじて掛け布団は予備があったので、どちらかがソファで寝る選択肢しかなかった。そして当たり前に、どちらもそれを譲らなかった。


「銀さんの家なので、銀さんが布団で寝て下さい!」
「ばっか!オメーいくら銀さんでも女差し置いてぬくぬく布団で寝らんねぇーよ。銀さんこう見えても紳士だからね。ジェントルマンシルバーとは俺の事だから」
「じゃあ私床で寝ます。」
「じゃあって何がじゃあ!?お前あれな、意外と頑固なのな。全く俺のいう事聞かねぇよな。」


ガシガシと面倒臭そうに頭をかきながら、一つ深いため息をこぼした。ポタポタと乾ききってない水滴が床に散らばるのを見ながら、千春もこればかりは譲れないと口を一文字に結んだ。流石に、そこまで図々しくはなれない。


「わーったよ。後で体がバキバキなっても知らねぇからな。」
「…はい!」



銀時が折れた事で漸く意見が一致し、お互い寝る準備を始めた。と言っても布団をひく銀時の隣で千春は掛け布団をソファにかけるだけだが。
慣れた手つきで布団をセットする銀時を横目で見ながら、千春は水を一杯飲もうと立ち上がりかけた。


「たっくよー、よくわかんねー女だよ、お前は。」


不意に何気なく呟かれた銀時の言葉に、何かが引っかかり千春は動きを止め銀時に振り返る。いつの間にか銀時もこちらを見ていたようで、パチリとお互いの目線が重なった。


「待ってもなんも言わねぇーから聞くけど、何があった?」
「……え?」
「え、じゃねーよ。傘はどうした?何であんな死にそうな顔してた?誰がどう見ても何かありましたって面してただろ」


真っ直ぐにこちらを見据える銀時に、咄嗟に返す言葉が出てこなかった。果たして言えるだろうか。殺害現場に居合わせたと。果たして信じてもらえるだろうか。自分が違う世界から来たかもしれないなど。


    言えるわけがない。


あの時の状況を説明するならば、自分の事を話さなければならないだろう。何故直ぐに通報しなかったのか、何故警察から隠れるような真似をしたのか。    何故、自分がその殺人鬼に存在を知られているのか。


「べ、別に…何も、無かったです。」
「ふーん?」
「本当に、何も…。風が強くて、傘が飛んでしまって…。寒くて、ちょっと、心細くなっただけです。」


声は震えていないだろうか。そんな事を気にしながら千春はへらりと笑った。バクバクと波打つ心臓に知らないふりをして、ぎゅっと胸元で手を結ぶ。


知らない。


自分だって、何も知らない。
どうして千鳥が自分をこの世界に寄越したのか。どうして姿を現さないのか。あの男の言葉の意味も。何も、知らないのだ。


「だから、銀さんに見つけてもらえてホッとしたんです。」


だからこれ以上、何も聞かないで。私を見ないで。疑わないで。心配なんてしないで。自分は、この世界で存在していないのだから。


「…そーかよ」


今にも泣きそうな顔で笑っているとも知らず、千春はただそこにハッキリと境界線を張った。
ぐっと眉根を寄せた銀時は、だけど確かな拒絶の意思を読み取り開きかけた口を閉ざした。何かを言ったところで、何も変わらないだろうと思ったからだ。


何とも言えない感情を押し込んでガシガシと頭を掻き毟り、話は終わりだと無言で電気を消した。「…寝るか」「…はい」お互い何か言いたい事があると察して、それでもそれを聞かないように無理矢理に言葉を飲み込んだ。

ごそごそと布団に潜る音を聞きながら、千春もソファに横になる。雨の音を意識の遠い所で聞きながら、今日は本当に色んなことがあったと。考えるのを放棄するように睡魔に逆らうことなく意識の底に落ちていった。

Azalea