蛇に睨まれる


眼が覚めると、知らない天井が映った。寝起きのぼんやりした思考回路を辿り、自分が今銀時の家にいるのだと思い出す。しかし何かが可笑しい。自分は確か、ソファで寝ていたはず。身を起こしてみれば、そこは銀時が寝ているはずの和室だった。


「……あれ?」


まさか寝ぼけて銀時の寝ている布団に潜り込んだのか。サーっと顔を青くするが、しかし部屋の主は見当たらない。代わりにお腹がぐぅと鳴るほどの匂いが、家主の場所を示していた。


「お、おはようござい、ます」
「おー」


襖からひょこりと顔を出せば、丁度キッチンからお箸を持った銀時が現れた。テーブルには昨日のおかずの余りと、味噌汁が追加されてきちんと2人分並べられてある。

例え夜中にトイレに行ったとしても、寝ぼけて知らない家でわざわざ自分が寝ていた場所を通り越し和室の布団に潜り込む事はないだろう。それでもきちんと布団を被り寝ていたという事は、    つまり、そういう事なのだろう。


「流石ジェントルマンシルバー、ですね。」
「…え?何?ボーッと突っ立ってねーでさっさと飯食ってババアの所行くぞ」
「銀さん耳赤いですよ。……って、え?私一人で帰れますよ?」
「ばか、ちげーよ。昨日の報酬をババアから受け取りに行くんだよ」


それは、物凄く申し訳ない事だ。
自分が遅くなったのは自分の責任なのに。心配かけた上にお金まで払わせてしまうなんて。かとってそれを仕事にしている銀時にやめてくれなど言う権利は千春にはない。


「……いただきます」


帰ったらお華に謝って、報酬は自分が払おうと心で決めてとりあえずは目の前にある温かな食事に手を伸ばした。




***




雨もすっかり上がり、外はカラッとした良い天気だった。あちこちに出来た水溜りで遊ぶ子供や、ぬかるみに足を取られて転ぶ大人。昨日の静けさとは打って変わって歌舞伎町は賑やかさを取り戻していた。


「銀さんって料理お上手なんですね。」
「まあ一人暮らしが長かったからな。」


家に帰る道中。昨日の重い空気を忘れるように、千春は努めて明るい態度を取った。気まずい空気が流れるかとも思ったが、何も思ってないのか切り替えが早いのか。銀時の方も話を蒸し返すこと無く穏やかな雰囲気を纏う。


「あれ、旦那じゃねぇーですかィ」


不意にかけられた言葉に、二人の足は止まる。聞いたのとのある声の主は、以前店に訪れた事のあった真選組    沖田総悟だ。


「朝から出歩くなんて真人間に戻ったんですかィ。」
「オメーにだけは言われたくねぇーよ。俺だって夜寝て朝起きる事ぐれぇーあるわ。寧ろ殆どそうだから。朝帰りなんてした事ないから。」
「あれ、そうでした?お宅のチャイナが良く『また銀ちゃんが朝帰りアル〜乳繰り合ってたアル〜マジ天パキモいアル〜』って言ってやしたけど。」
「嘘だね!!うちの神楽ちゃんがそんな事言うわけねーだろ!お前らいっつも仲悪いのに何でそんな事知ってんだよ!」
「近所のガキどもと喋ってんの聞きやした。」
「マジでか」


まるで娘の反抗期に出くわす父親のようだ。頭をかかえ真面目にショックを受けている銀時を見ながら、知らない会話にどうして良いか分からず千春は言葉を挟まずにいた。

チャイナ、とは会話の流れから銀時と一緒に住んでいるようだ。昨日居なかったのは、たまに銀時の家に泊まっているのかたまたま居なかったのかどっちなのだろう。


「そういえば、」


何も言えず俯く千春を真顔で見つめながら、沖田が口を開く。条件反射で顔をあげ、千春はすぐにそれを後悔した。


「昨日、匿名で通報があったんでさァ。」


無表情な顔でいる沖田からは何も感じれず、それがより一層怖かった。ジッと丸い瞳に見つめられ、自分が殺人を犯したわけでもないのに責められているような居心地の悪さを感じた。


「アンタぐらいの歳の女の声で。悪戯かとも思ったがどうにも切羽詰まった声だったらしくてね。ウチの隊員が見に行くと本当に死体が転がってやがった。」
「それで朝から鬱陶しい野郎供が街をうろついてんのか。」
「昨日は生憎の雨で調査も難航してんでさァ。ヤられたのは攘夷浪士みてぇだが、問題は誰かヤッたか。今ある手がかりは現場を見た匿名通報の女だけだ。」


沖田の目が、千春を捕らえて離さない。確信のない言い方だ。だけどそれは、千春が通報した女だと疑っているようでもあった。丸い瞳に映る自分は、どんな顔をしているだろう。碌に動かない頭はそんな事を考えていた。


「何々、おたくコイツの事疑ってんの?ンなもんどうせいつもの攘夷浪士同士のやり合いだろーよ。やれ正義だ仁義だ価値観の違いっつーのは男も女も関係なく生じるもんなんだよ。」


固まる千春の肩に手を回した銀時が、擁護するように千春を引き寄せた。銀時の着物から、甘い匂いが千春の鼻先を擽る。甘味の匂いに心から安堵するのは、きっと今までにない経験だろう。


「あれ、そう聞こえやした?俺ァただ、善良なる市民に情報の提供を求めてるだけでさァ。」

「けっ。白々しいっつーの。第一なあ、こいつは昨日からずっと俺と一緒にいたんだよ。なあ?」

「え、あ、はい…」


昨日のスタートが何時からにもよるが、嘘は言っていない。千春の顔を覗き込む銀時の目は余計な事を話すなと言っているようで、罪悪感を持ちながらも千春はコクコクと必死に頷いた。

「へぇ、こいつあァ驚いた。お二人はそういうご関係で?」
「さーなァ。どっちにしたってお宅らには関係ねぇ事だよ」


ニヤニヤと笑いながら顔を覗き込もうとする沖田に、銀時はシッシッと猫を追い払うように手を振った。無粋な視線を向ける沖田に話は終わりだと言わんばかりに背を向けた。肩を抱かれてる千春もつられて沖田に背を向ける形になる。


    助かった。


ホッと息を吐いて心から安堵する。もう少しポーカーフェイスと言うものを身につけなければ。そんな事を考えている千春の後ろ姿を沖田が考え込むように見ていることに、千春は最後まで気づくことができなかった。

Azalea