路地裏の景色

「千春ちゃん、そろそろ暖簾を片してくれるかい」

「はーい!」

千春が曇天の空を見上げながら今日は雨が降るかしら、なんて考えていると背後から年配の女の声がかかった。それに元気に返事を返し、くっと背伸びをして目線より高い位置にあるのれんに手を伸ばす。『向日葵』と赤地の布にかかれたそれは千春がここ三週間身を寄せている甘味処の名だった。


「ほらよ。毎回毎回大変そうだな」

「っ銀さん!」

一生懸命伸ばしていた手の上を、逞しい腕が重なる。ひょいっといとも簡単に暖簾を外した銀髪の男は「踏み台でも買って貰えば?」と死んだ魚のような目で千春を見下ろす。千春は暖簾を受け取りながら「そうですね」と小さく苦笑した。




***





    佐藤千春がこの地(世界といったほうがしっくりくるかもしれないが)に来てから、三週間がたった。あの日、千鳥に口づけをされた日。意識を失った千春は狭い路地裏にいた。肩を揺さぶられ強制的に目がさめると、目の前にいたのは日本ではとうていお目にかかれない銀色の髪をした男だった。


「おーい!生きてっかー?こんな所で寝てっと襲って下さ〜いって言ってるもんだぜ」


まあ、そういうのが趣味なら止めねぇけど。男は言葉とは裏腹に優しく千春の体を起こし髪に絡まった埃まで落としてくれる。しかし、生憎と千春の耳には男の言葉は入ってこなかった。千春の目に映るのはどう見ても天然色の銀色の髪に、和服と洋服を組み合わせたような不思議な服装。そして、どうしても目を引いてしまうのが腰にある木刀だった。

「…え、…えぇ!?」

「どーした?酒でも飲みすぎたか?俺ァたまたま通りかかっただけだかんな。別にお前とお酒飲んで何やかんやしたような感じじゃないかんね」

「いや、そんな心配はしてないです。…あの、失礼ですが貴方は、」

日本人ですか?と聞きかけて止める。初対面の人に、助けてもらったお礼も言う前にそれを問うのは失礼だと思ったからだ。別に、男が弁解するようなやましいことはないとハッキリ分かる。千春は普段お酒なんて飲まないのだから。


「…ごめんなさい。先にお礼を言うのが筋ですよね。起こして下さってありがとうございます。」

お陰様で襲われずに済んだみたいです、と笑うと男は少し目を見開いて「おう」と短く返した。機嫌を損ねる事は無かったようだ。見ず知らずの自分を助け起こしてくれたのだ。きっと良い人なのだろう。千春は混乱する頭を整理するためにも、男の人にもう少し付き合ってもらわねばならぬ事を悟り、申し訳なさそうにもう一度すみません、と謝った。


Azalea