進むことを止めるな

銀色髪の男の人は坂田銀時と名乗った。お昼ご飯を食べようとした外出中に、たまたま千春を発見したそうだ。その気怠げな目とは裏腹に世話焼きな性格なのか、困惑する千春から立ち去る気配はない。


「あー、ところでそちらさんのお名前は?つーかちゃんと記憶ある?」

「あ、はい。佐藤千春です。その、何というか……仕事中トラブルに巻き込まれまして…気を失った事は覚えてるんですけど…」


流石にキスされて気を失った、とは言えなかった。あの時何か飲まされたような気がするから、あれはもしかしたら睡眠薬とかそういうものなのかもしれない。それにしたってこんな所で放置される覚えはないが。気を失う前、千鳥の言っていた言葉を思い出し無意識に自分を抱きしめるように震えていた。あれは、初めて向けられる感情だった。


「此処、どこでしょう?お店から近ければ良いんですけど…。」

「場所はかぶき町な。けどまあ、外見た方が早いかもな。」


そう言って銀時は千春に背を向け路地裏の外へと歩を進めた。


「(…かぶき町?)」


銀時の言葉に引っ掛かりを感じながらも千春も慌ててそれに続いた。なぜか止まらない胸のざわめきに不安を覚える。この言いようの無い違和感。ドキドキと高鳴る心臓の上を抑えながら銀時に続いて路地裏から顔を出した。


「…え」


そうして見えた景色は驚くものだった。店から近いとか、自分の知っている地域だとかそれ以前の問題だったのである。街行く人は銀時よりもしっかりとした着物に身を包み、中にはとうてい人間には見えない(例えるなら宇宙人のような)者までいる。まるで何処かの映画の撮影現場にでも来たような気分だった。


「どうした?見覚えある物無ければ近くまで送ってや、っ…」


横から千春の顔を覗き込む銀時の言葉は不自然に止まる。銀時の目にはまるでこの世の終わりだ、と言わんばかりに顔面蒼白の千春が映っていたからだ。心なしか、彼女は僅かに震えているようにも見える。銀時の目に映る光景は至って普通の日常の風景のはずだ。こんなにも、怯えるようなものは見えない。


「なん、で…」

「おい、どうした!?」

「…知らない、なんで?ここ、どこなの?なんで、なんで…っ!」


パニックに陥る千春は泣きそうな顔をしながら数歩下がった。知らない世界が、千春の目の前に広がる。言いようの無い不安はこれが千春のいた世界では無いという事を示しているようだった。そんな千春の様子に、ただごとではないと感じ銀時は千春の手を掴みもう一度路地裏の中へと連れ戻った。どうやらまた面倒ごとに巻き込まれたらしい。それでも放っておけない自分の性分も中々考えものなのかもしれない。


「とりあえず落着けって。まずは何があったか詳しく銀さんに話してみ?意外と解決策が見つかるかもよ?」

「……。」


道に放置された木箱に千春を座らせ、頭を優しく撫でながら提案する銀時。その暖かさに、涙が出る一歩手前で止まってくれる。言ってしまおうか。もしかしたら自分は未来から、…いや、それならまだ良いほうだ。同じ地球上の出来事なのだから。それよりももっと酷い、異世界から来たかもしれないなどと、とても初対面の人間に言える話でなかった。

急に黙りを決め込む千春に銀時も言葉が続かない。先ほどまで青ざめていた顔は不安一色で、一向に良くなる気配もないというのに。人には言えない何かを目の前の女が抱えていることは経験上よく分かる。そういう人間が、自分の周りによくいるからかもしれない。


「……話変えるか?これからアンタはどうしたいわけ?」

「…生きない、と」

「いや重ぇよ。」


聞きたかったのは何処かに行きたいとか、誰々に会いたいとか。具体的な事だったのに。まさかの回答に、思わず真顔でツッコミを入れてしまう。いや、千春にしてみれば真剣なる悩みなのだが。まさか訳ありといえど体一つに何も持っていないとは想像もつかない銀時にすればドン引きする回答である。


「いやさ、ほらもっと具体的にあるじゃん?生きることは大事よ?それに伴っていろんな事経験して人は生きる喜びを感じるわけじゃん?お風呂上がりの牛乳しかり仕事帰りのアイス然りよ」

「すみません後半よく分からないです。でも、そうですよね。生きるために……あの、ここら辺で住み込みで雇って頂けるお店とかありませんか?若しくは日払いのバイトとか…何でもいいんです!」


銀時の口から出まかせは意外にも千春の心に響いた。千春のいる状況は絶望的だ。だけど今は、その状況に泣き叫ぶ余裕さえない。自分は今、この世界で生きる術を何も知らないのだから。単純に考えて着物を着た人がいるのならここは日本と近い世界観なのだろう、と仮定する。目の前の男は日本人なのかも怪しいが。(そもそも宇宙人みたいなのが歩いてる世界に自分の常識が当てはまるのかも危うい)


「住み込みねぇ。そんな都合よく……あ。」

「…都合、ありました?」

「あったあった。そういや甘味屋のババアがそんな事言ってたわ。」

「本当ですか!?」


いやでも結構前の話だから住み込みは聞いて見ねぇと分かんねぇけど、と前置きをしてから紹介してやろうか?と相変わらずの死んだ魚の目をして千春を見下ろす優しい男。本当はまだ指先が震えるくらい不安で状況だってまだ理解も仕切れてない。それでも前に進まなければ、自分はきっとこれから生きていけないだろう。

「お願いします…!」


初めて会った男がこの人で良かったと、心から感謝した。


Azalea