熱に浮かされた感情


本当は、毎日だって泣き散らしたかった。手当たり次第物を投げて破壊して普段言わないような暴言だって吐き出したかった。そうでもしないと、頭がおかしくなりそうで怖かった。

窓を開ければ知らない景色が広がって、当たり前のように知らない常識が存在して、自分以外の生き物は当たり前に生まれて育ってこの世界に生きていた。

そんな中生きる事だけで精一杯で、不審に思われないよう誰かに嫌われないよう笑顔を保ってただただ唇を噛み締め踏ん張って立つ事が千春の最後に残された意地だった。



ぐにゃぐにゃと視界が歪んで霞んで頭の中が考える事でいっぱいでもうどうにでもなっちゃえなんて自暴自棄になりかけた頃。ふ、と滲む視界に真っ白いふわふわしたものが写り込んだ。


「……、わ、たあめ」

「いきなり悪口ですかコノヤロー」


白いもふもふが喋った。
ぼんやりと眺めていると次第に焦点が合わさって、目の前にいるのが銀時だと判明する。夢だろうか    。千春は熱のこもった視線を送りながら考えた。夢か。夢なら、丁度いいかもしれない。


「ぎん、さん」

「お前さー、ほんっと体調管理ぐらい基本中の基本よ?神楽がお前抱えて帰ってきた時はマジでビビったからな。遂にヤっちまったかと思ったわ。」

「ぎんさん、あたま、さわっていい?」

「千春ちゃん??俺の話聞いてる??」


返事を待たずに伸ばした腕は思っていたよりも重く、目指していた場所へは届かなかった。重力によって下がりかけた手は、落ちる直前で大きな手に包まれる。自分の手が熱いからだろうか。それはひんやりとして随分と気持ちが良かった。


「たっく…。今日だけだからな」

「ふ、ふふふ」


不満そうな銀時の声と共に、腕は自分の力ではなく上に上がり手のひらにふわふわとした感触が伝わった。力の入らない指を動かすと、細いくるくるとした毛が指に絡まる。思っていたより柔らかい毛質らしい。


「ぎんさん。あのね、ずっと不安だったの。でもあのひ、銀さんが見つけてくれて…。ううん、いまでも、まだ怖くなるんだけど。でも、ぎんさんがー…」


支離滅裂な自分の言葉は何となく自覚はあったものの、夢だしまあいいやと千春は頬を緩めた。相変わらず熱に浮かされた頭は最早まともな思考回路を辿れないらしい。ふわふわした気持ちのまま銀時の髪を撫でれば、ぽかん、と間抜けな顔で呆けてる銀時が見えて、胸のあたりがこそばゆくなった。


「ぎんさんが、当たり前みたいにわたしに話しかけてくれるから。わたしここにいてもいいのかな、って。ほんとうはね、帰りたいんだけど…帰りかた、分かんなくて。あのね、わたし、嫌われてたみたいで。ほんとうに、そんなつもりなかったの。でも、あの人しか浮かばなくって。私、1人ぼっちになっちゃって…」


するすると頭を撫でていた手が下に降りて、銀時の頬を撫ぜる。男にしては綺麗な肌だと思った。ゆっくりと、確かめるように肌を伝えば細かい古傷があちこちにあってかさぶたが治っていない所もある。

随分と、穏やかでない生活もしているのかもしれない。万事屋の仕事を神楽が自慢気に言っていたが、半分冗談だと思っていた。この世界は千春の生きていた世界よりももっと物騒なのは確かでもある。銀時が強いと言うのも、何となく納得ができる。それ故に、護るために傷を作る事もあるのだろうか   



「お華さんとか、お客さんとか、いっぱい笑いかけてくれるのに。なんだか、ずっとひとりな気がして。なんだろ、なんか、説明できないね。」

「まー、何となく分からなくもねぇけど。で?孤独な千春ちゃんは今も一人ぼっちなわけ?」

「あは、かいわしてる。へんなの。」

「さっきからしてますけど!?」


急に大声を出す銀時が可笑しくて、千春はコロコロと楽し気に笑った。少し喋ったせいで熱が上がったのかもしれない。先ほどより体は熱っぽく、生理的に浮かんだ涙で銀時の姿はまたぼんやりと輪郭を消した。
それがまた夢が消えることだと錯覚した千春は手探りで銀時の手を掴み、きゅっと握りしめた。びくりと震えたのは、汗ばんだ手が気持ち悪かったからか、別の何かがあるのか。   今の千春には到底見極める事はできない。



「ぎんさん、ありがとう。私を見つけてくれて。」



もしかしたら   


そんな思いが笑うたび脳裏を掠めていた。この世界を知り自分のいた世界よりも治安が悪い事を知った。銃刀法違反だなんて自分の世界よりも名ばかりで。凶器はすぐ隣に歩いているかもしれないこの世界で  

もしも、最初に会ったのが銀時でなければ、売られていたかもしれない。殺されていたかもしれない。路頭に迷って死んでいたかもしれない。こんな風に、都合よく仕事や住みかが見つからなかっただろう。銀時ではなかったら   



「ぎんさんに、あえてよかった」



視界がどんどん狭くなり、やがて真っ暗な世界に千春の意識は落とした。額に張り付いた前髪を払ってやりたいが、銀時は何故だが動かない自分の体に焦った。    なんだ、今の


「はあ〜〜〜」


深く深く溜息をこぼし、力の抜けた手から同じく力の無くなった千春の手が離される。握られた左手が、まるで千春の熱を貰ったみたいに熱かった。「やべー」とりあえず、呟く。


布団からはみ出た千春の手を戻し、額にかかる前髪を今度こそ払い、側に置くだけ置いて使わなかった手ぬぐいを水に浸し軽く絞って乗せる。薄く開いた桜色の唇を見て、先程までその口から紡がれた言葉を思い出し「やべー」また呟いた。


「…ガキじゃあるめぇし」


よっぽど、大人の恋愛とやらの。
目と目を合わせて「愛してる」なんてより。「世界中敵に回しても君だけを護る」とかくさいセリフより。「貴方とのセックスが一番よ」なんてセクシーで嘘くさい情景より。



「ぎんさんに、あえてよかった」



何だってこんなセリフに心臓が騒がしいんだか。

Azalea