伸ばされた手は届かない

目の前にいる男は、自分がずっと会いたかった男だ。それだけ聞くと、まるで恋い焦がれた相手に再開し、幸せいっぱいの乙女のようだ。
現実はそんな甘い気持ちではない。会いたかった。けれど、会うのが怖かった。嫌われているのだと思ったからだ。突然知らない世界に連れてこられ、自分はこの男に、心底憎まれているのだと。


「こんにちは。少し痩せたようですね。」


それなのに千鳥はなんて事ないように、以前と変わらぬ笑みを浮かべ千春を見ていた。相変わらず整った容姿に上品な服装で、どこかの絵本から飛び出た王子様のようである。それなのに、千春の心はざわざわと落ち着かない。言いようのない不安が千春の心を占めていた。


「…千鳥、さん」

「嗚呼、あちらでの洋服のようにシックな服装も似合っていましたが、今のように着物もよくお似合いですね。」

「何で…。私、貴方に聞きたいことが沢山…、!」


焦って上手く回らない舌にもどかしさを感じる。言いたいことや聞きたい事が多すぎて、何から口を開けばいいのか分からなくなった。ぐるぐると回る千春の思考を読んだように、千鳥はふわりと優しく微笑んだ。


「本当は、もっと早く会うつもりでした。けれど貴方が、貴方が思っていたよりも逞しく生きていくものですからー、」


ゆっくりと側に歩み寄ってくる千鳥に、千春は逃げる事ができなかった。地面に縫い付けられたように足が言うことを聞かない。そして小さく震える千春の頬を、千鳥が大きな両手でそっと包みこんだ。
ゾッとする程冷たい指先に、千春の肩がビクリと震える。

  この人は、こんなにも感情を込めずに笑う人だっただろうか

するりするりと、千鳥の両手は頬を伝い、ゆっくりと千春の熱を手のひらから奪うように首に降りていった。すっぽりと千鳥の両手に収まった千春の首に、僅かに力が込められていく。恐ろしく殺意のない暴行が、千春の脳を余計に混乱させていった。


「っ千鳥、さん…?」

「……邪魔が入りましたね」

「え、」


残念、とため息をついた千鳥に、訳もわからず千春は戸惑う。首にかかっていた手は離され、同時にジャリ、と浅く砂を削る音が千春の耳に届いた。音の鳴った方に振り返ると、そこには千鳥に負けないくらい感情の読めない顔で銀時が立っていた。


「悪ィな、逢い引き中だったか?」

「ぎん、さん…」


いつもの冗談のように軽口を叩いているのに、その声色は恐ろしく冷たい。これはあの銀時なのだろうか。千春は無意識にごくりと喉を鳴らした。会いたかったはずの人物に、2人同時に出会えたと言うのに。その再開は決して穏やかなものではなかった。


「…熱はもういいのか」

「えっ?……あ、は、はい…」

「にしてもオメェー、病み上がりにこんな所で何してんの?ちょっと変わったプレイしましょう、なんて柄じゃねぇーだろ」


千春に問いかけているはずなのに、銀時の視線はずっと千鳥に向けられていた。暑いはずなのに、この空間だけ凍りついたように張り詰めて鳥肌が止まらない。それが殺気だと知るには、千春の生きて来た世界はあまりにも平和すぎた。


「…やれやれ。折角の再会だと言うに。貴方には最初から邪魔をされっぱなしだ。……気にくわない。実に目障りです。」


はぁ、と溜息と共に吐き出された言葉達は、随分と苛立ちに塗れていた。何かが引っかかるようで、千春は千鳥を見た。最初から、と言った。この世界で千鳥と銀時と合わせて会うのは初めてのはずだ。

知っていたのだろうか。この世界で初めて会ったのが銀時だと言うことを。分かっていて、今まで姿を現さなかったのだろうか。あんなにも、孤独に押しつぶされそうな日々を過ごしていたと言うのに。


「千鳥さん。ちゃんと、説明して下さい。貴方は何者なんですか?何で私を、」


この世界に呼んだんですか?
そんな千春の質問は、音になる事が叶わなかった。千鳥が素早く千春の肩を抱き寄せ、銀時から大きく間合いを取ったからだ。
すぐ傍に整った顔があるというのに、千春の心はちっともときめかなかった。そりよりも、千鳥と再会してから活発になっていた心臓の動きが、恐怖によって更に激しさを増していくのを感じた。


「その話は、この男に聞かす必要がありますか?」


ゾッとするほど冷たい声で落とされた言葉に、千春は次の声を発する事ができなかった。反射的に千鳥から離れようともがくも、強い力で抱き寄せられ身動きさえ取れない。何を言っても聞き入れてもらえないような、冷たく大きな壁を感じる。

ふと、視界の端に銀時の姿が映った。眉間に皺を寄せ、鋭い目つきで千鳥を睨んでいる。その赤い瞳が、千春と合わさった時。千春はほとんど無意識に、銀時へと手を伸ばしていた。


「…ぎ、銀さん、助けて……っ!?」


千春が言葉を言い切る前に、ひゅっと耳元に音がかすり、鈍痛が首に落ちた。痛さどころか何が起こったのかさえ理解できぬまま、千春の意識はゆっくりと落ちていく。

最後に見えた銀時の表情に、千春はまた罪悪感を覚える。神楽の時と一緒だ。巻き込んでしまった。こんなにも理不尽に、銀時に危険を与えてしまった。

ありがとう、と伝えようと思っていたのに。次に銀時に出会えたのなら、真っ先にごめんなさい、と伝えなければならない。それがなぜだか、とてつもなく悲しい事のように感じた。

Azalea