甘い物には福がある

三週間。それは千春がこの世界を知るには十分な時間だった。最初は客と話すたびにボロが出ないか不安だったか、今では客のジョークに笑える余裕さえある。なるべく自分の事は話さず客の話す言葉に耳を傾けていれば、『あの店には聞上手の看板娘がいる』といつの間にか評判になっていた。

「千春ちゃん、落ち着いてきた事だし、そろそろ休憩にしましょ。」

「あ、はーい!」


食器を拭いていた千春にお華が声をかける。小さな店とはいえたった2人での仕事量もとても多い。これを今まで1人でしていたというのだから驚きだった。千春は動かしていた手を止め店の奥に歩を進める。休憩と言っても店先から声をかけられればすぐに出ていかなければならない。千春は赤色のエプロンをかけたまま椅子に座った。


「千春ちゃんが作ってくれるコーヒー、美味しくて好きだわあ」

「そんな…。ありがとうございます。私も、お華さんが作るお団子大好きです!」


元々喫茶店で働いていた事からコーヒー作りだけは自信を持てた。団子とコーヒーは合わないだろうに、お華はいつも美味しそうに千春の入れたコーヒーを啜る。それが千春にはとても嬉しくもあり、照れくさくもあった。


「…最近天気悪いですね。」

「そうねぇ。梅雨明けはまだ先そうね。洗濯物も満足に乾かないし、困ったわ。」

「あの、コインランドリーとか…」

「ああ、そうね!その手があったの忘れてたわ!」


やあねぇ、歳をとると。そう言って笑うお華にこの世界にもちゃんとあるんだ、とホッとする。この世界は基本的には千春のいた世界と変わらなかった。寧ろもっと進歩しているようにも感じる。だからこそ、思わぬ発言が相手に通じない事もあって戸惑う事も多い。初対面の人と話すときはまだ緊張は解けず精神がすり減らされていくのを何となく千春は感じていた。ふと窓に映る自分と目が合い、その顔が仕事で疲れて帰ってくる自分の母親に似ていて笑うしかなかった。


「…私、行ってきましょうか?」
「あら、そう?これ以上溜まるのも嫌だしお願いしようかしら。こんな天気じゃ今日はお客さんも少なそうだしね」


曇天の空を2人で見上げ、顔を見合わせて笑う。道を歩く人はまばらで、今にも降りそうな雨を心配してるのか早足に通り過ぎていくばかりだ。千春は最後のオカズを口に入れて「ごちそうさまでした」と手を合わせる。お華の作る料理は自分の母親を思い出してとても優しい気持ちになる。それと少しだけ、胸に残る寂しさ。千春はそんな気持ちを誤魔化すように食器を持って流し台に置いた。


「洗い物なら私がしとくわよ。雨が降っちゃいそうだし、早速お願いしてもいいかしら?」
「もちろんです!すみません、お願いします」

お華の言葉にニコリと笑って身支度を始める。お華から預かったお金と、カゴいっぱいに溜まった洗濯物。それと、傘を一つ。番傘だ、と密かに感動したのは内緒だ。赤いそれは時代劇に出てくるそれで、これを挿せるなら雨の日も悪くないなと思う。


「気をつけてね。」
「はい。行ってきます。」


お華に見送られ千春は歩き出した。この世界にきて3日目、怖くてお華の家と仕事場から出なかった千春を心配してお華が銀時に道案内を依頼してくれたのだ。殆ど甘味処やパチンコ屋等銀時の御用達の店ばかりだったが。それでも千春の心が解れるのには充分だった。


(銀さん、いい人だなあ…)


それが千春の銀時に対する一番の感情だった。見ず知らずの自分に親切にしてくれて、優しさが痛いほど嬉しかった。ふわふわとした綿菓子みたいな頭を思い出して、こんな日は大変だろうな、と口元が緩む。たまに会いに来てくれるのが、いつの間にか楽しみにもなっていた。


「……あ、」
「んあ?おー、千春じゃん。こんな所にサボりか?」
「お、お使いです!」

思い人が目の前に現れてドキリと心臓が高鳴る。コインランドリーの入り口でバッタリ会った銀時の手にも籠二つ分の洗濯物があった。店内の乾燥機も数台しか空いてなく、思う事はみんな同じという事だ。何となく2人で並んだ乾燥機を使う。ちらっと銀時を盗み見すると、今着てる着物と同じ柄の着物が何枚か放り込まれていた。

「(…お気に入り?)」
「なーに見てんだ千春のえっち」
「なっ……!!」
「そっちは……いや、やめとくわ。ババアの下着にゃ興味ねぇし」
「し、失礼な…!」

ニヤニヤと笑う銀時と目があって顔が真っ赤になるのを千春も自覚する。確かに、人の洗濯物も盗み見するのも悪かったが。千春の洗濯物も見ようと身を乗り出した銀時は、途中でげんなりとした顔で目を逸らした。千春の同居人を思い出したらしい。

「今日は、タオルとかしか持ってきてません!お店で使うからいっぱい溜まるんです。」
「あー、そ。頑張ってんじゃねーか」
「え、う、はい…」

不意打ちに褒められて、ポッとまた顔が赤くなる。褒められるのは、幾つになっても照れくさい。ましてや銀時は直々に仕事を紹介してくれた人だから尚更だった。ふーん、そう、へーん。などと不思議な相槌を繰り返しながら、パタリと扉を閉め小銭を入れる。何だそれは、と思いながら千春も習って小銭を入れた。大体、30分くらいだろうか。


「なー、乾くまで時間あるしパフェでも食いに行かね?」
「えっ!でも私お金が…」
「給料ちゃんと貰えんだろ?出世払いにしてやるよ。特別だぜ?銀さんがこんなこと言うの。」



はい、決まり〜。千春の言葉も聞かず出口に歩き出す銀時に、慌てて追いかける。良い人だけど、結構人の話を聞かないな。苦笑しながら銀時の横に並ぶ。銀時は甘いものが好きなのか、鼻歌まで歌って上機嫌である。店でお華の特製団子を頂くことはあるが、パフェなどは元の世界から数えても随分と久しぶりだった。

銀時に御用達のファミレスで店先のショーウィンドウに並ぶ食品サンプルたち。カラフルな色をしたパフェを眺めると少し心が躍る。そういえば学生の頃よく学校帰りに友達と食べてたっけ、なんて思いを巡らせた。気を張って生活をしていたせいか、何だか懐かしく途端にこの冷たく甘いものを舌が欲した。


「ま、あれだ。疲れた時は甘いもんが一番ってこった。」
「え?」

銀時の言葉に食品サンプルたちから視線を上げると、ぽんっと頭を数回叩かれる。痛いわけじゃない。寧ろ優しいそれに思考が止まる。もしかして、心配してくれているのだろうか。頭から離れる手に僅かに寂しさを覚えてしまうのは、自分の中で坂田銀時という男が大きくなりつつあるからなのかもしれない。


「おーい。早く入んぞ」
「……っ、はい!」


既に扉に手をかける銀時に、上ずった声で返事を返し赤くなった頬を押さえた。最後にもう一度だけショーウィンドウに振り返り、反射して映る自分の顔を見る。何となく、さっきよりも心が軽く見えた。

Azalea