切り取られた世界
―――例えば、世界にはどれほどの幸福と絶望が溢れているだろうか。誰かが笑うたびに誰かが泣いて、誰かが怒るたびに誰かが喜んで。考えたらきりがないこの現象は、自然の摂理で政府でも神様でもどうにもならないことだろう。
昔、おじいちゃんはそのことがとても悲しいのだと言っていた。
***
冷たい空気が肌に張り付くこの季節。私たちの学校は漸く冬休みを迎えた。あちこちで休みの計画が交わされる中、私と妹の真白は黙々と歩を進め校門をくぐった。早く家に帰って炬燵に入りたい。
「千尋」
横からかけられる声に「うん」と小さく返す。内容なんて、言わなくても分かる。ちらりと横を見れば目が合う、自分と瓜二つの姿。双子だからか、生まれ持っての環境のせいか。私の思考を、彼女が。彼女の思考を私が。まるで元々一つだったかのように把握できる。
…他人には、理解されないだろうけれど。
「この前の先輩かな」
「どうだろ。昨日の奴かも」
口が悪いせいで、恨みを買うことは多い。思ったことをすぐに口に出てしまうから。学校でも自分たちが疎ましい存在と思われているのは、周りの目を見ればすぐわかる。そういう目で見られるのも、もう慣れっこだ。
歩くスピードを早めると一緒になって早くなる、後ろから追いかけてくる違和感。誰かに着けられているのは分かるけど、心当たりが多すぎて検討がつかない。
「どうする?」
「真白の好きなようにしていいよ」
「それ、分かってて言ってるでしょ」
不貞腐れたように言う真白に苦笑して「ごめん」と謝る。――好きなように、なんて。私たちには無意味な言葉だ。だって思考回路も感情も、一緒の存在なんだから。
「「せぇーの!」」
ぴったり合った合図で二人で同時に駆け出した。向かう先は言わなくたって理解してるから大丈夫。二手に分かれて全力疾走。ちらりと振り返ると、違和感の正体、黒ずくめの男たちは慌てているようだった。
***
「あ」
日が沈みかける前に、小さな公園で合流した私たち。寂れた遊具しかないこの公園は人も寄り付かなくて私たちのお気に入りの場所だった。そこで途中買った肉まんを食べながらキコキコとブランコを漕いでる時だった。
「よォ。中々すばしっこくて苦労したぜ」
逃げ切ったと油断していたらしく(かと言って警戒もしてなかったけど)私たちはあっという間に黒ずくめのスーツ集団に囲まれた。ザッと見て、10人前後。全員が全員、見るからに怪しい職業してます、って顔。
「おじさん何か用?」
「おじ、…っ!?」
ジッと無表情のまま問いかければ、ピシリと固まった。どうやら自分ではまだお兄さんだと思っていたらしい。顔を引き攣らせたまま固まるおじさんにフッと思わず笑みが零れる。勿論微笑ましい気持ちでじゃない。
思いっきり見下した気持ちで、だ。
「おじさんたちこんな時間から大勢でなあに?」
「真白ったら。こんな時間にこんな大勢で鬼ごっこでもしてるように見える?普通に考えたら大抵の人はまだ仕事中でしょう?」
「なっ・・・!」
遠回しな嫌みは、通じたらしい。淡々と交わす私と真白の会話にわなわなと震えるおじさん。周りにいる人たちも、何も言わないけど怒っているのは雰囲気で分かる。短気な人たちだなぁ。
「あ、」
不意に横で真白が音を零す。隣を見れば、真白の食べていた肉まんが地面に落ちていた。ちょうど最後の一口分。もう、しっかり持っておかないから。
「あーあ。もったいないの。」
「さいあく…。一口だけ残すのって、何か無性に残念な気がする。」
「ほら、私のピザまんあげるから。」
「やだ。今は肉まんな気分なんだもん。」
拗ねたように唇を尖らせて真白がポイっと包み紙を地面に投げた。あーあポイ捨てはだめなのに。まあ特に注意しない私もダメなんだろうけど。
「おい!テメェら状況分かってんのか!」
二人でぼーっとふわふわした会話をしていると、痺れを切らしたのか今度は目の前から怒声を浴びせられた。存在を意識していなかったのが不服らしい。黒ずくめの人たちは相変わらず私たちを取り囲んで、日本では不釣合いな武器をちらつかせている。隣で真白が小さくため息を吐いた。
「うっさいなぁ。ダメ人間さんが早く用件言わないからでしょう?あーあ。もうどうすんの、私の肉まん」
「こら。肉まんは真白のせいでしょう?人に当たらないの。」
「だって…」
「後で買ってあげるから。それに、ダメ人間なんていっちゃだめだよ。こういうタイプの人間は自分がダメな大人だって気づかないで指摘されると逆上しちゃうんだから。」
「なん・・・っ!!」
無表情で淡々と会話する私たちに、目の前の男がとっても分かりやすく怒り出した。怒った顔、まるでお猿さんみたいだ。「ッんだとっ!?」ー思ったことはどうやらそのまま口に出てたようで、男は更に顔を真っ赤にさせた。
あーあ。めんどくさいなぁ。
「猿でもきっともっとマシだと思うけどなぁ。」
「うん。今のは失言だったね。お猿さんに失礼だったかな。」
「テメェら・・・・!!!!」
私はやっと食べ終わったピザまんの包み紙をそのまま足元に捨てた。真白から何か言いたげな視線が送られたけど、知らんぷりを決め込む。多分、さっきの私と同じことを思ってるんだろうけど。注意しないのは、お互い様。
「こンの…、餓鬼共が調子にのりやがって!テメェら!さっさととっ捕まえろ!!!」
男が額に青筋を浮かばせながら叫ぶ。
血管きれちゃうよ、なんてお節介は言わない。むしろ切れちゃえばいいと思う。襲い掛かろうとしてくる集団に私たちは特に何をするでもなくぼんやりと眺めてた。
どうせ逃げてもこの感じだとまた追いかけてきそうだし。流石にこんな怪しさ満点の大人、追いかけられる覚えもないけど。捕まって、めんどくさくなったらまた逃げればいいや。
ふぅ、とため息を吐いた瞬間。
後ろから荒々しいエンジンの音が響いてきた。こんな昼間から煩い。迷惑な存在に反射的にそちらを振り返れば、ボロボロの黄色い車が真っ直ぐに自分たちに突っ込んできて、轢かれるのかと思ったら私たちはその音の中へと引き込まれてた。
「……誘拐だ。」
「人聞き悪いこと言うなよ〜お嬢ちゃん」
「………猿だ。」
「んなにぃ!?」
開けっ放しのドアから無理やり車内に入れられたせいで変な所を打った。地味に痛い。睨みあげると猿顔と目が合う。凄く慣れているような、鮮やかな(それでも乱暴だったけど)お手並みの誘拐だ。
打った場所を摩りながら運転手を見るが、彼は車の外、つまり男たちの様子を気にしているようだった。
「落ち着けルパン。それより後ろ、追ってきてるぞ。」
「まぁ〜ったく。今回のお姫さんは随分手ごわそうなもんだときた!」
「うっわ。今時お姫さんとかマジどんだけ。」
「こら、いつの時代にも可笑しな人はいるんだから。ドン引きしちゃだめよ。」
「…今までに無いタイプの譲ちゃんたちのようだな。」
無理やり乗せられた車には赤いジャケットの兎に角派手な格好をしたおじさんと、髭があって咥え煙草の黒スーツのおじさんがいた。
っていうか煙、うざい。