ヤックスリーさんは少しでもヴォルデモートさんに認めてもらえるようにと躍起になっているようでした。ですが、それもスネイプ先生に叩き切られてしまいます。

「ポッターはそのどちらも使いませんな。
 騎士団は魔法省の管理下にある輸送手段すべてを避けています。魔法省絡みのものは一切信用しておりません」
「かえって好都合だ。やつは大っぴらに移動せねばならん。ずっと容易い」

ヴォルデモートさんは静かに言葉を続けました。

「あの小僧は俺様自身が直々に始末する。ハリー・ポッターに関してはこれまであまりにも失態が多かった。
 ポッターの息の根を止めるのは俺様ではならぬ。そうしてやる」

そういったあと、ヴォルデモートさんは杖を上げ、テーブルの上に浮いていた女性にパッと杖を向けました。
見えてしまったその女の人の顔に私は声を抑えることが困難になり、咄嗟に両手で口元を覆いました。

それはホグワーツでマグル学を教えてくださっていたチャリティ・バーベッジ先生だったのです。

「セブルス、客人が誰だかわかるか?」

バーベッジ先生と同僚のスネイプ先生は上下逆さまになっているバーベッジ先生を見上げます。バーベッジ先生は怯え切った表情で嗄れた声を上げました。

「セブルス…! 助けて…!」
「なるほど」

スネイプ先生は短くそう言っただけでした。ヴォルデモートさんの視線はドラコくんに向きます。

「お前はどうだ? ドラコ」

ドラコくんはヴォルデモートさんと視線を合わせることを恐れるように、素早く首を左右に振ったあと、静かに視線をテーブルに落としていました。
ヴォルデモートさんはそのまま私の姿を一瞥します。私は口を抑えていた震える手をゆっくりと膝の上に下ろし、ヴォルデモートさんを睨み返します。ヴォルデモートさんは面白そうに薄く笑っただけでした。彼はきっと今のこの状況の楽しんでいるのでしょう。

「知らぬものにご紹介申し上げよう。今夜ここにおいでいただいたのは、最近までホグワーツ魔法魔術学校で教鞭をとられていたチャリティ・バーベッジ先生だ。
 彼女は魔法使いの子弟にマグルのことを教えておいでだった。やつらが我々魔法族とそれほど違わないとか…」

「助けて助けて」と繰り返すバーベッジ先生に杖が向けられ、先生は猿轡を噛まされたかのように静かになります。
ゆっくりと浮遊するバーベッジ先生を私は震える拳を握り締めたまま見上げていました。

「魔法族の指定の精神を汚辱するだけでは飽き足らず、バーベッジ教授は『日刊予言者新聞』に穢れた血を擁護する一文をお書きになった。
 純血が徐々に減ってきているのは、バーベッジ教授によれば最も望ましい状況であるとのことだ。……我々全員をマグルと交わらせるおつもりよ…」

ヴォルデモートさんの声には紛れもなく怒りと軽蔑がこもっていました。

バーベッジ先生の顔が私を一瞬見ました。涙が溢れ、髪の毛に滴り落ちています。私は先生の表情から目を逸らすことが出来ず、唇を痛いほど噛み締めていました。
3

そして、不意に流れるような動きでヴォルデモートさんが杖をバーベッジ先生に向けました。
私は咄嗟に椅子から立ち上がります。スネイプ先生が厳しい視線で私を見るのを一瞬だけ感じました。それでも私は止まらず、杖先を向けていました。

「『アバダ・ケダブラ』」
「『シレンシオ(黙れ)』」

ヴォルデモートさんの杖から緑の閃光が飛び出すのと、スネイプ先生が私に向かって呪文を唱えるのはほぼ同時でした。

私が唱えようとした呪文はスネイプ先生の沈黙の呪文によって遮られ、バーベッジ先生がドサッと重い音を立ててテーブルの上に降ってきました。
死喰い人の何人かは椅子ごと飛びのき、ドラコくんは怯えた表情でテーブルから離れます。

バーベッジ先生は一切の動きを止め、テーブルに転がっていました。―――死んでしまったのです。
私は溢れ出した涙を拭いもせずに、ヴォルデモートさんを睨みつけました。
ヴォルデモートさんは私を静かに見ていました。死喰い人達の視線は私かヴォルデモートさんのどちらかに集まっていました。

「何を唱えようとした? 盾の呪文か?」

ヴォルデモートさんが私に問う中、スネイプ先生の杖は未だ私に向いています。

私の口から零れた言葉は声にはならず、乾いた呼吸だけが私の口から出ていきました。

「いずれにせよ、この状況でよくやる」

ヴォルデモートさんは薄く笑い続けながら私の頬に手を伸ばしました。

私達のすぐ横には沢山の死喰い人がいましたし、特にその中にいるレストレンジさんは私を睨み殺す勢いで見ていました。
私の反応を全て楽しんでいるかのようなヴォルデモートさんが、スネイプ先生に向かって軽く手を上げます。

数瞬動きを止めたスネイプ先生でしたが、やがてゆっくりと私から杖先を外しました。

魔法の効果が切れ、咳とともに私の声が戻ってきます。ヴォルデモートさんが短くスネイプ先生の名前を呼びました。

「セブルス。リクを寝室へ連れて行け」

スネイプ先生は短く頷いて私の腕を引っ張るようにしてその大広間から出そうとします。
ですが、私は後ろを振り返って、死んでしまったバーベッジ先生を見ていました。

見るとバーベッジ先生の死体のすぐそばに、ゆっくりと鎌首をあげるナギニがいました。
私から嫌な汗が溢れ出ます。暫く言葉を発していなかった私も、我慢が出来なくなって言葉を荒上げます。

「スネイプ先生、待って、待ってください! 止まってください!
 バーベッジ先生が、バーベッジ先生を助けてください!」
「黙れ」

短い拒絶の言葉と共に痛いくらいに腕を引かれ、スネイプ先生は玄関ホールまで戻り、淡々と歩き続けます。

逆らおうにも大人の男性の力に叶う訳もなく、私はズルズルと暗い廊下を進み続けました。

そして、最終的に部屋にまで連れてこられた私は、バタンと閉められた自室の扉を、その前に立つスネイプ先生をぼたぼたと泣きながら睨みつけました。
スネイプ先生は私と同じくらい、それか私よりももっと怒りを滲ませていました。

「我輩は、」

痛いくらいに握られていた私の腕をゆっくりと離してから、スネイプ先生は静かに言葉を紡ぎ始めました。彼から溢れ出していた怒りはゆっくりと静かに収まっていくようでした。

「我輩は口を挟まぬように、と言ったはずだが?」
「……でも私は黙ってバーベッジ先生が殺されていくのを見ることは出来ませんでした」
「バーベッジはこの屋敷に来た時点で死が決まっていた。あの会議の時点ではもう何も出来まい」

先生は静かに、そして口早にそう言います。私は深く黙り込んだあと、ゆっくりとスネイプ先生から視線を逸らしました。

私も、きっとどこかで理解していたはずです。
バーベッジ先生があの場にいる時点で、バーベッジ先生を助けることは難しいであろうことを。

ぼたぼたと涙が零れ、私はふらふらと部屋の隅に用意されてあるベッドに腰を掛けます。
スネイプ先生はそんな私を黙って見下ろしていました。少しして何度も目元を拭う私の前に片膝を立て、私と目線の高さを合わせるような体制になりました。
そんなことをするスネイプ先生が酷く珍しくて、私はしゃっくりを繰り返しながらも、ぱちくりと先生の顔を見つめていました。先生は私の目を見て、そして視線を逸らしてから小さく囁きかけました。

「……君がいるのはこういう所だ」

声は酷く優しくて私は戸惑います。溢れる涙が驚いて止まればいいのに、優しい声に感化されて余計に溢れ出てしまいます。

「傷付くなとは言わない。傷付かなくなればそれはもう『死喰い人』と変わりない」

スネイプ先生は静かに私の頬に手を伸ばしました。冷たい手が私の頬に、しいては流れていく涙に触れました。

「ただ、闇の帝王にだけは逆らうな。
 絶対に。例え他の誰かを犠牲にすることがあったとしても。
 ……Ms.を犠牲にする訳にはいかない」

私はその言葉に決して首を縦には動かしませんでした。決して認めたくはなかったのです。
静かに私の頬に触れるスネイプ先生の表情を見ることは出来ません。
視線を落として、ぼたぼたと涙を零しながら私は首を左右に振り続けていました。

スネイプ先生は深い溜め息を零して私の頬から手を離し、俯いた私の頭をぎこちなく撫でてくださいました。

手はあまりにも優しくて、私は俯いたままぼたぼたと涙を溢し続けていました。


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