「スネイプ、『アイツ』が呼んでる」

突然、声が聞こえて私は顔を上げました。慰めるように私の頭を撫でていた手が素早く離れ、そして小さく頭を下げるスネイプ先生。
扉のところでは退屈そうな表情をしたリドルくんが立っていました。私は涙を拭ってリドルくんを見つめます。彼は何故か少しだけ怖い雰囲気を醸し出していました。

スネイプ先生は私を一瞥して部屋を出るためにリドルくんの横を通り過ぎようとします。
扉のところに立ったままのリドルくんが、抑揚のない声で先生に声を掛けます。

「見たのが僕だけで命拾いしたな」
「……」
「リクに余計な手出しをするなよ」

リドルくんの言葉に、無言のままのスネイプ先生が再び頭を下げます。
ベッドの淵に腰をかけたままの私はそんな2人を、不安を抱えつつも見つめていました。

スネイプ先生はそのまま部屋を出ていきます。リドルくんがスネイプ先生の背中を見送ったあと、ベッドに腰掛けた私の傍に近寄り、少しだけ困ったような笑みを浮かべました。

「リク。会議の様子をルシウスから聞いた。
 大丈夫――そうではないね」

言い切ったリドルくんが私の隣に並んで腰を掛けます。

隣に座ったリドルくんの身体は、いつもの生身の身体ではなく、半透明のゴーストのような身体をしていました。私は表情を暗くさせます。

「まだ本調子に戻らないんですか…?」
「ん? …あぁ、僕の身体のこと?」

言葉にこくりと頷くと、リドルくんは呆れたように半透明の手で私の髪を撫でました。
手は透けてしまいますが、私は擽ったいような気がして表情を和らげました。

去年の終わりにあったホグワーツでの戦いにおいて、呪文を使いすぎたリドルくんは身体の中の魔力が薄くなり、その身体を実体化させることが出来ずにいました。
ヴォルデモートさんに再び魔力を入れてもらったらすぐに治るとのことでしたが…、リドルくんは何故かそれを拒否し、後回しにしているようでした。

ふぅと溜め息をついたリドルくんが半透明のまま私を抱き寄せる仕草をします。私は彼の動きに従い、彼に寄り添いました。

「本当に君は他人の心配ばかりする。自分のことにもそれくらい気を使った方がいいよ。ほら、目も腫れてる」
「…でも、気になっちゃうんですもん。…………バーベッジ先生は…」

私の表情が曇ります。授業の関係上、特別交流があった先生というわけではありません。
ですが、それでも見知った顔を目の前で殺されてしまったという衝撃は私を酷く動揺させていました。

震える私の身体を、半透明のリドルくんが抱きしめます。肩口に埋めた彼の顔を、私が見ることは出来ません。ですが、声は酷く怯えているようにも思えました。

「……僕にあまり心配させないでよ」

リドルくんの心配が伝わってきて、私は深く黙り込みます。ゆっくりと抱きしめ返して彼の背を撫でている途中で、私ははたと思い出してしまいました。
口をむぅと噤みながら私は、リドルくんの顔を下からのぞきます。

「……あの…その…、リドルくんに1つお願いしたいことが」

私の言葉を聞いて、リドルくんはわかりやすいぐらいに嫌そうな顔をしました。私は苦笑を零します。

「そんな嫌そうな顔しないでくださいよ」
「最近の君の考えることはろくなもんじゃない。出来るものなら縛って倉庫にでも置いておきたいくらいだ。
 今、僕が言った言葉をその小さな頭で本当に理解出来たのか一から問いただしたいよ」

苛々と言葉を続けるリドルくんに私は肩をすくめて反省の表情。
心配させてしまったというのはわかるのですが、これからの行動を改める訳にもいきません。

しょんぼりとしながらリドルくんのお小言を聞いていると、彼は深い溜め息をつきました。

「で? 何したいの?」

最終的には協力してくれるリドルくんに感謝しながら、私は弱々しい微笑みを浮かべながら言葉を続けました。

「ハリーの襲撃の時についていきたいんです」
「駄目だ」

返事は即答でした。

リドルくんは怒ったように立ち上がって私の目の前に仁王立ちします。私はベッドの上で、でも今度は真っ直ぐにリドルくんを見上げました。

「何考えてるんだか。次の襲撃はきっと箒を使って空中でポッターを追うことになる。
 空中でどこから呪文が飛んでくるかわからないんだ。今まで以上に危険過ぎる。もし『死の呪文』にでも当たったら…」
「危険は承知です。でも、救わなくては…。
 このまま何もしないわけにはいかないんです。何も起きなかったらそれでいいんです。でも」

何か起きてしまってからでは遅いのです。
なら、事が起きる前に私に出来ることをしなくては。

犠牲者を増やさないためにも。

私は真っ直ぐにリドルくんを見上げます。暫く見つめ合っていた私ですが、先に溜め息と共に視線を逸らしたのはリドルくんでした。私は眉根を下げながらも微笑みを浮かべます。
リドルくんは呆れたように再び私の隣に腰をかけて、一緒に考えてくださいました。

「………今回の最大の難関は『アイツ』の説得だね」
「そうなんです。それでリドルくんにもお願いしたくて」

ヴォルデモートさんと同等に交渉が出来る人物といえば、真っ先に思い浮かぶのは『同じ存在』であるリドルくんでした。
ですが、リドルくんは肩をすくめて苦笑を零します。

「僕から何を言っても聞かないさ。リクが直接言う他、説得は無理だと思うよ」
「……説得出来るでしょうか、私に」
「まぁ、例え機嫌を損ねたとしても、『アイツ』がリクを殺すことは絶対にない。絶対にね。
 要はやってみればいい」

リドルくんはそう言って私の頭を再び撫でてくださいました。私は表情を緩めながら、言葉を零しました。

「では、あとからヴォルデモートさんのお部屋に行ってもいいでしょうか?」
「リクなら急に押しかけても大きな問題はないさ。
 でも、今日はもう遅い。明日にでも行ってみればいい」
「ふふ。ありがとうございます」

微笑むとリドルくんは思い出したかのように険しい顔を作りました。私の背筋も伸びます。

「ただし、ポッター襲撃についていくなら、僕も一緒に、だ」
「は、はい」
「僕から離れない事。いいね?」
「はいっ!」

人差し指を立てて忠告するリドルくんに私は元気よくお返事します。リドルくんは楽しそうにクスクスと笑いました。

「いい返事。じゃあ、今日はもう寝なよ。おやすみ」

リドルくんは優しく私の髪を撫でてから、私に横になるように言います。私は大人しく横になってシーツを胸元までたくしあげます。
まだベッドに腰掛けているリドルくんは微笑みながら私の頬を撫でていました。私は微笑み返して言葉をかけます。

「おやすみなさい、リドルくん」
「…何かあったら呼んで。日記があればすぐに駆けつけられるから」
「はい。ありがとうございます」

再びお礼を言って私は部屋の明かりを消します。リドルくんの気配が少しだけ残っていましたが、彼はやがて部屋を出ていきました。

誰もいない真っ暗な部屋の中で思い浮かんだのは、バーベッジ先生の最期の姿でした。


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