白と黒でした。
白い紗幕を引いて現れたスネイプ先生は、いつもの黒い服に着替え終わっていました。
彼は聖マンゴ病院にいるにも関わらず、病衣でいるのがどうしても落ち着かないと言って、早々にいつもの服に着替えてしまったのです。
明日には退院出来ると言っても、まだ病み上がりには違いありません。
「無茶してません?」
頬を膨らませながら問い詰めると、スネイプ先生は私から視線を逸らすように顔を背けます。
私が頬を膨らませたままでいると、先生は私の頭に手を伸ばしてよしよしと甘やかすように撫でてくださいました。
誤魔化すようなその動作に抗議の声を上げたくもなりますが、頭を撫でられる感覚が心地よくてついつい頬が緩んでしまいます。
でも、だめだめ!
「ご、誤魔化しちゃ駄目ですよ!」
「誤魔化してなどない」
さらりと答える先生をじーと見つめながら、ふいとそっぽを向いて私はベッドの淵に腰をかけます。
スネイプ先生も私の隣に座って、留めていなかったらしき袖口のボタンを留めていました。
「Ms.」
先生はボタンを留めながら私に声をかけました。私は先生を見ながら首を傾げて言葉を待ちました。
「…少し、考えた」
ぽつりと零された言葉の続きをさらに待ちます。ゆっくりと口を開いたスネイプ先生は考えを纏めているかのように見えました。
スネイプ先生が静かに続けた言葉は私達が自然と避けていた話題でした。
「これから先のことだ」
「……はい」
不安がどうしようもなく私を包みます。その不安を包み隠すようにスネイプ先生は私の手を握ってくださいました。
「これから、どうなるかわからない。
魔法省から追われることも考えられる」
スネイプ先生はずっと死喰い人でした。最初は彼自身の意思だったのでしょう。ですがそれは途中からダンブルドア校長先生からの指示に変わりました。
全てダンブルドア校長先生からの指示だとしても、校長先生を殺害したことに変わりはない。とスネイプ先生は裁かれる覚悟をずっとしていました。
握られた手を私も強く握り返します。それは先生が遠くに行かないように、逃げてしまわないように留めておこうとしているようでした。
先生は心配事を抱える私を安心させるように、手をぎゅうと握り返してくださいました。
それでも私は不安を消せなくて、頬を膨らませて先生に抱きつきます。抱きしめ返してくださる彼の腕の中で瞳を閉じて、言葉をこぼします。
「もし罪となったとしても…、そばにいますから」
先生は私の髪を梳くようにして撫でてくださいます。スネイプ先生は静かに言葉を続けました。
「…ルーピンに会えなくなるぞ」
「でも、先生と一緒にいられます」
「ルーピンだけではない。他にも、沢山。沢山」
「それでも私が選んだのは1人です」
例え全てを捨てたとしても、スネイプ先生さえいれば、私はそれで満足でした。
腕の中から顔を上げて、私はにっこりと笑みを浮かべました。
「2人で逃げましょう」
微笑むとスネイプ先生も瞼を閉じて小さく笑ってくださいました。
髪を撫でていた手が私の頬に伸びます。触れた手は冷たくて心地いいものでした。
「……そうだな。遠くへ。魔法界の手が届かない程、遠くへ」
手に擦り寄って頬を緩ませていると、スネイプ先生は両手で私の頬を包みました。
ゆっくりと目を開けるとスネイプ先生も私を見つめていました。
息が止まりそうなくらい時間が静かに流れていきます。先生の手が、親指が、私の唇に触れて、
「リクちゃん、いる?」
その時、紗幕の外からリーマスさんの声が聞こえて、スネイプ先生と私はぱちくりと瞬きをしました。
重ねていた視線をどちらともなく逸らして、そしてスネイプ先生の咳払いを聞き流して、私は小走り気味にリーマスさんの元に向かいました。
「はい。どうしました? リーマスさん」
声をかけたところで、リーマスさんのお隣にマクゴナガル先生がいることに気がつきました。
マクゴナガル先生はこれからホグワーツの校長先生になることが決まっています。
スネイプ先生は戦いが終わったあと、すぐに校長先生の座を譲ったのです。
ぺこりと頭を下げて、ちらりと病室の方に視線を向けました。
きっと、スネイプ先生とお話をするつもりでいらっしゃったのでしょう。スネイプ先生と、そして私の未来のお話を。
マクゴナガル先生は私に問いかけました。
「セブルスは起きていますか?」
「はい。体調も大分良くなっているみたいです。
お声を掛けてきますね」
私は部屋に戻ってスネイプ先生の元に駆け寄ります。スネイプ先生はすぐ戻ってきた私に顔を向けました。
「どうした?」
「マクゴナガル先生がいらっしゃってます」
スネイプ先生の視線が細められます。そして何を言うでもなく小さく頷きました。
扉に向かって声をかけ、マクゴナガル先生とリーマスさんが病室に入ってきました。
「身体の具合は如何ですか? セブルス」
「明日になれば退院できる」
素っ気なく返された言葉。マクゴナガル先生は慣れているのか大して気にした様子もなく、私が用意した椅子に腰をかけました。
「そうですか。貴方はこれから何を?」
マクゴナガル先生は単刀直入にスネイプ先生に問いかけました。
スネイプ先生はちらりと私の姿を見たあとに、静かに答えを返しました。
「……。退院したあとは、ひとまずスピナーズエンドに戻る」
「ホグワーツに戻るつもりは?」
言葉にスネイプ先生の動きがぴたりと止まりました。私も目を大きく開いて2人の先生を見つめます。それは願ったり叶ったりの言葉でした。
「……我輩が、」
スネイプ先生は組んだ自分の指先を見つめながら、静かに話しだしました。
「我輩がダンブルドアを殺したことに変わりはない。
魔法省がいずれ通常通りに機能し始めた時、教師が裁かれるのは問題なのでは?」
「それはもしもの話でしょう。
そして、貴方がダンブルドアを殺害したことを知っているのは騎士団のメンバーのみです」
マクゴナガル先生の言葉にスネイプ先生が顔を上げます。
「そんなはずは」
「世間に流された情報はダンブルドアはハリーが殺害したという情報のみです。そんなことを信用する人はいないでしょう。そして真の犯人は隠されたまま。
確かに、騎士団員は真実を知っています。ですが、」
1度言葉を飲んだマクゴナガル先生は、どこか怯えにも似たような顔をしているスネイプ先生を見つめていました。
「ハリーから全ての話を聞きました。ダンブルドアとのこと、リリーの話を。
その上で貴方を差し出そうとする人はいません」
「………」
それは都合の良い話ではありました。そして、いつ崩れるかわからない嘘でもありました。
スネイプ先生の視線は私を捉えないまま迷いを含んでいました。私は小さくスネイプ先生を呼びます。
それでも、例え砂上の楼閣だとしても。私はスネイプ先生と一緒に、ずっと、一緒に。
「リクちゃんのためにもなるよ」
暫く黙っていたリーマスさんが不意にそう言いました。
「リクちゃんは魔法薬学の教師になるのが夢なんだ。君がホグワーツでリクちゃんに教えてくれたら、リクちゃんのためにもなるよ。
リクちゃんも、その方が嬉しいんじゃない?」
リーマスさんは微笑みを浮かべて私を見ました。私も満面の笑みを返します。
「…はい!
私はスネイプ先生と一緒に、ホグワーツで先生になりたいです!」
「……そうか。そう、だったな」
スネイプ先生の手が再び私の手を握ってくださりました。重なった手に自然と笑顔が溢れます。
「決まりですね」
マクゴナガル先生はにっこりと微笑みを浮かべて、次に私に1枚の羊皮紙を手渡しました。
羊皮紙には『ホグワーツ魔法薬学教授採用試験』の文字が並んでいました。私はぱぁと顔を輝かせて両手を打ち合わせます。
「貴女が卒業した月、試験を行います。全科目、実技を含めた試験です。
その試験の成績によって貴女をホグワーツで採用するかどうか判断します。
受けますか?」
「はい! もちろんです!
よろしくお願い致します」
深々と頭を下げる私を、マクゴナガル先生も優しく微笑み返してくださいました。
「では貴女はこれからも勉学に励みなさい。共に働ける日を待っていますからね」
「はい!」
スネイプ先生はホグワーツで教師を続けることができます。そして私もやっと先生になれるのです。
ふにゃりと頬を緩ませながら笑っていると、スネイプ先生は小さく微笑みながら私の頭を撫でてくださいました。