「こちらへ」

かけられた言葉に、素直に近寄ったリクは伸ばされたヴォルデモートの腕の中に収まり行く。
ヴォルデモートは酷く柔らかな微笑みを浮かべて、リクの身体を優しく抱きしめた。

「ありがとうございま、」

お礼を告げるリクの笑みが、やっと違和感に気が付いて固まる。
浮かべ続けられていたヴォルデモートの笑みは邪悪そのものだった。

ヴォルデモートはリクの耳元に口を寄せて、静かに囁きかける。

「お前がコイツに『磔の呪文』をかけられたら、だ」

囁きは冷たい氷のように。

固まったリクの笑顔に、ヴォルデモートの笑みは強まった。
優しく抱きしめるヴォルデモートの手がリクの頬を愛おしそうに撫でる。

「きっと苦しいだろうな。死ぬよりも苦しい。むしろ死は…、救いだろう」

ヴォルデモートはリクを抱きしめたまま、彼女の身体を男へと向けた。

男の恐怖に歪む表情が真っ直ぐにリクを捉える。そんな顔を今までに向けられた事の無いリクの手が自然と震えた。

ヴォルデモートは再び優しく囁きかける。

「手伝ってやろうか?」
「やめてください!」

張り詰められた声が空間に響き渡った。リクの呼吸は浅く、短く。
周りの死喰い人達の嘲笑うかのような笑みがリクに向けられる。

恐怖に顔を歪めるリクは震える声で言葉を紡いでいた。

「やめて、ください」

泣き出しそうなリクの声に、ヴォルデモートは微笑みを浮かべる。
ヴォルデモートの青白い手がリクの手を支えた。杖を握らせた手をヴォルデモートが男へと向ける。

「『アバダケダブラ』」

緑の閃光はリクの杖からではなく、全く別の方向から飛んできた。

だが、その閃光は確実に男を貫き、男は目を見開いたまま簡単に息絶えた。倒れた男は自身の血の中に伏し、血が跳ねた。

「! あ…」

ヴォルデモートの腕から逃れ、駆け出すリク。足がもつれて彼女が転びそうになる寸前。彼女を真正面から抱きしめたのはリドルだった。

死んだ男に手を伸ばすリクの、その伸ばした手を握り、彼女を強く抱きしめるリドル。
涙を溢れ出させて、呆然と男を見ている彼女に、リドルは囁き続けた。

つい数瞬前に死の呪文を唱えたその口で、言葉を紡ぎ続けた。

「リク。リクは何もしていない。リクはこいつを守った。助けた。救ったんだ。
 リク。安心して。リクは、リクは、」

リドルの言葉が詰まる。リドルは昔から嘘をつくのが得意だった。

だが、彼女にだけは嘘を貫き通すことが出来なかった。

「………ごめん」

向けられた杖に一瞬ヴォルデモートが鋭い視線を向けるが、リドルが唱えたのは呪いなどではなく『忘却呪文』だった。

涙を零しながらもゆっくりと瞼を閉じていくリクを、リドルはこれ以上ない程強く抱きしめる。
彼は眠ってしまったリクを抱きしめながら、ヴォルデモートの姿を見ないままに言葉を掛ける。

「リクのことに関しては、僕もお前も意見が一致していると思っていた」

リドルの声は酷く硬く、視線は気絶したリクの顔だけを見つめていた。意識を失いつつも、涙を流しているリクは苦痛の表情を浮かべたままだった。
ヴォルデモートは肩を竦めながら、自分の過去の姿であるリドルを見下していた。

ヴォルデモートはリドルの言葉を理解できない。リクには傷一つ付けていないというのに。

「一致しているだろう?」
「違う」

声は即答だった。リクの目元を伝った涙を拭ったリドルは、リクの身体をゆっくりと抱え上げた。

リドルの足元は霞ががった幽霊のような状態で、気を抜けばすぐにリクすらも落としてしまいそうであったが、残った魔力を振り絞る勢いで、実体であるリクの身体を抱えていた。

「随分魔力を使ったな」

そんなリドルの様子を見て、嘲笑にも似たヴォルデモートの声がかかる。

リドルの魔力はヴォルデモートが与えたもの。魔力が完全に尽きてしまえばリドルは消えてなくなる。
リドルが消えようが関係ないヴォルデモートだが、またリクにせがまれて復活させるのは酷く労力を消費する。
ヴォルデモートは再びリドルに声をかけた。

「足りないのでは?」
「必要だとしても今は欲しくない」

吐き捨てるようにそう言ったリドル。ヴォルデモートは短く鼻で笑って、すぐ傍に近寄ってきたナギニを撫でていた。

「リクは知らないのだろう?」
「……何を」

再びかけられた声に、リドルは怪訝そうな顔をして少しだけヴォルデモートへと振り返った。

「お前を再びここに呼ぶために、1人使ったことを、だ」

言葉にリドルが黙り込む。

リドルは1度死んでいる。それを元通りに、と願ったのはリクだった。
だからこそ、ヴォルデモートは任務を失敗した純血の死喰い人を使って、日記のリドルを再び活動できるようにした。

リクがそれを望んだから、そうした。ただそれだけだ。
ヴォルデモートやリドルにとって、1人ぐらいどうなろうが気にすることなどない。

だが、リクは違うだろう。リクがもう1度と願ったそれだけで、1人死んだのだと知れば、彼女はどうなるか。

「やはり教えてはいないな?」

くつくつと笑うヴォルデモートを、リドルは無視して再び歩き出す。
ふらつく足取りを隠して、彼が心から愛しているリクを一刻も早くこの場から遠ざけるために。

彼女には決して伝えることが出来ない嘘をまたひとつ増やしながら。


†††


ここは何処でしょう。

私は豪華な天蓋付きのベッドで目を覚まして、ふわと欠伸を零しながらぼんやりとした意識のままそう思いました。

少し隣を見ると、ベッドのすぐ脇に置かれた椅子に、半透明な彼が軽く俯きながら座っています。

「リドルくん」

私は俯いたままのリドルくんの名前を小さく呼びかけていました。
リドルくんははっと気がついたかのように顔を上げて、そして次に何も言わずににっこりと微笑みました。私はふにゃりと微笑み返します。

「そっか。今はヴォルデモートさんの所にいるんですもんね」

今いる場所を思い出した私は、ベッドの上で身を起こしながら、うんと背伸びをし、もう1度零れた欠伸を噛み殺して、リドルくんに問いかけていました。

「ナギニにはもう行っちゃったんですか?」
「ナギニ?」

問い返すリドルくんに、私はきょとんと首を傾げます。
きょろきょろと周りを見渡しても、そこにナギニの姿はありませんでした。

「ナギニがいたような?」

私は小首を傾げてから、次に照れたようにはにかみました。どうやら私の勘違いだったみたいです。

「夢でも見ていたのかい?」

リドルくんはとても優しげに微笑んでいました。私もその微笑みに安心してふにゃりと笑みを返しました。

「かもしれません」

私はベッドから足を降ろします。立ち上がろうとすると、リドルくんが私の前に騎士のように手を差し出していました。
にこりと笑った私は彼の手をとって、お姫様になった気分で立ち上がります。

そのままリドルくんは私の手の甲にキスを落とします。
キザな行動をするリドルくんに私はくすくすと笑って、彼と手を繋いで歩き出します。

「リク」
「はい」

短く私の名前を呼んだリドルくんは、部屋の扉に手をかけたまま、動きを止めました。
彼は、私と視線を合わせようとはせずに、真っ直ぐに前を睨んでいました。

「絶対に1人で部屋を出るなよ」

彼の纏う空気はなんだか怖くて。

それを不思議に思いつつも、大人しく返事をすると、リドルくんはいつものように優しく微笑んでくださいました。

リドルくんはエスコートするように扉を開けてくださいます。
その時のリドルくんはもういつものリドルくんでした。

「ほら、お腹減ってない? もう朝食というよりも昼食だけども」
「え!」

ばっと時計を見ると、なるほど、もうお昼の時間です! どうやら私はとっても寝坊してしまっていたみたいです。
頬を染めて少しだけ俯くと、リドルくんは短く笑って私の頭を撫でてくださいました。

その時、下げた視線に私自身の身体が見えて、足を止めます。
急に足を止めた私に、リドルくんは不思議そうにしてから、私の顔を覗き込んで問いかけます。

「どうしたの?」

私は自分の姿を見つめて、瞬きを繰り返します。そして疑問。

わたしは、いつのまにきがえたのでしょう?

「……いいえ。なんでもないです」

深く考えだすと何故か寒気が私を襲います。それがとても恐ろしくて、怖くて。
不思議と心音が早くなってしまい、不安がじっとりと私を包みました。

「そう? じゃあ行こ」

リドルくんは再び私の手を引いて、にっこりと笑みを浮かべます。
私も誤魔化すような微笑みを返し、何事もなかったかのように、彼の手を強く握りました。



(忘れてしまった日のこと)


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