『髪を乾かしましょう』(5年目)

「部屋に誰も入れるな」

夕食も終わってこれから眠りにつこうとした時。突然クロコダイルの私室に呼ばれ、向かうと妙な命令を受けた。

「はい。……何を?」

アスヒは素直に返事をしたが、流石に気になって聞き返してしまう。
これから誰か来客があるという話もないし、人払いする理由がわからない。

疑問を抱きつつ、クロコダイルを見上げていると、彼は小さく口を開いた。

「…風呂だ。覗くんじゃねぇぞ」

そして浴室に消えていくクロコダイル。姿が見えなくなったあと、アスヒは呆れた顔をしながら短く溜息をついた。

能力者であるクロコダイルは風呂に入っている時間が1番無防備になる。それをアスヒに警護させようというつもりらしいが、なんとも今更な話だ。

「…誰が楽しくて男性の入浴を覗くっていうんですか」

1人呟きを零して、アスヒは何もするでもなく部屋を見渡した。
掃除でもして待っていようかと思ったが、特に汚れている所もない。彼女はなんとなく大きな水槽のガラス前に立った。

(水が苦手なのにこんなにも水に囲まれて生活しているなんて)

アスヒは苦笑を口元に浮かべて、指先でガラスに触れる。中には優雅に泳いているバナナワニが見えた。
悪魔の実を口にしたからだろうか。ガラス越しでも水の香りが漂ってくるような気がする。

「……落ち着くなぁ」

主がいない今だけに限るけれども。

んっと背伸びをしてアスヒはソファに腰掛ける。本当に何もすることがないという貴重な時間は、彼女にとっては特別な休憩時間だった。

溢れた欠伸を手で隠して、暇を持て余す。ただ待っているだけなら何か暇つぶしの道具も持ち込むべきだった。

少ししたあとに、ふと思い立ったアスヒはゆっくりと目を閉じる。
目を閉じれば神経が研ぎ澄まされたように、遠く、ガラス越しの水の音が聞こえてくる。

アスヒは長い息を吐いて、その水に意識を集める。空気中の水が振動する。アスヒの体内にある水と同期する。水が集まり、アスヒの世界が潤って、

次に見えたのは天井で、背中はソファに沈んでいて、首筋には黄金の鉤爪が押し当てられていた。
ばしゃと水の弾ける音がして、アスヒの足元には水たまりが出来た。

殺気立ったクロコダイルが鉤爪の先をアスヒに突き立てていた。

「なにしようとした?」

アスヒはソファに押し倒された状態のまま、髪の先から水を滴らせている主を見上げる。
彼女は恐れることなく小さく溜息をついて目を閉じた。タイミング悪い時にクロコダイルが戻ってきてしまったようだ。

「久しぶりに足をつけかけようとしただけですよ。クロコダイル様」
「……」

冷淡に答えたアスヒにもクロコダイルは何も言わない。

が、やがてアスヒの上から身体をどけると、苛立った様子のまま砂になり、次には対面のソファに腰掛けていた。

「…。髪を乾かしましょうか」

ゆっくりと身体を起こして、アスヒは片足で立ち上がる。つけかえようとした足は未完成のままで、水の球体がぼんやりと伸縮を繰り返しながらアスヒの近くで漂っていた。
クロコダイルの視線が水の球体に向けられ続けている。アスヒはクロコダイルの髪にタオルで触れながら苦笑を零した。

「お気に召さないようなら消します」
「さっさと付け直せ」

クロコダイルの声は低いまま。アスヒは視線を水の球体に向けた。

「……では失礼して」

水の球体はアスヒの無くなった足の先を包むようにして動く。少しすると透明な裸足が形成されていき、そしてそれを隠すようにニーソックスを履く。
やがて彼女の足は両足ともに誤差はないかのように自然な義足となった。

ちらりとクロコダイルの背中を見て、囁くように彼に語りかけた。

「確かに貴方様と私では相性最悪でしょうけども、力じゃ叶いませんよ。
 貴方様と私では格が違いすぎますし、私はか弱い女の子ですからね」
「2つ目は冗談か?」
「酷い方」

小さく答えたアスヒの声はどこか優しかった。変わらず不服そうなクロコダイルのすぐ後ろに立ち、タオルを持って彼の髪を拭き始める。

「と、いうよりも……」

言葉が途中で止まる。

(この男、まだ私を信用してないのか)

言葉を止めたアスヒをちらりと横目で見るクロコダイル。アスヒは黙り込んだあと、ふるると左右に首を振った。

「…いえ。何でもありませんわ」

クロコダイルの髪を乾かしながら、時折髪先に触れる。以前だったら、この行為さえも許されてはいなかっただろう。
それでも完全には信用されていないことがわかり、複雑な思いを抱くアスヒ。だが、思いを悟られないうちに、声をかけた。

「いかがですか?」
「まぁまぁだな」


(髪を乾かしましょう)

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