『邪魔しないで』(5年目)


「アスヒさん!」
「騒がしいですよ」

大声を出し、クロコダイルの執務室に飛び込んできた使用人。
今はクロコダイルが不在だったからいいものの、クロコダイルがいた場合、これは彼への不敬に当たる。

執務机の周りを掃除していたアスヒは、使用人を窘めて、それでも非常事態なのだろうとすぐに彼に向き直る。
使用人は顔を真っ青にさせて謝罪を告げてから、慌てた様子でアスヒに口早に状況を説明し始めた。

すぐにアスヒの表情も険しいものとなる。


†††


「いかがなさいましたか。ドフラミンゴ様」

にっこりと余所行きの美しい微笑みを向けて、アスヒはスカートの端をつまんで礼をする。

静かな屋敷とはうってかわって、煩すぎるカジノルーム。
ここはアスヒの嫌いな場所だった。そして目の前にいる男もとても嫌いな男だった。

「お。アスヒちゃん。久しぶりだなぁ。
 なぁ、ここのカジノのディーラー、弱すぎじゃねぇの? つまんねぇんだけど」

チップを数枚つまんで、指先で遊んでいるドフラミンゴ。

その前にいるディーラーは泣きそうな顔でアスヒに助けを求めているし、周りにいる客達はドフラミンゴに圧倒されて、同じ台で遊ぼうとする勇者はいない。別のゲームをしている客ですら、出来うる限り目立たないようにしていた。聡明なものはカジノに入ってきた瞬間に踵を返していくぐらいだ。
彼1人で、カジノ中の空気を全て掌握している状態だった。客の視線がちらちらと集まる中、アスヒが表情1つ変えないまま、冷たく答えを返す。

「ドフラミンゴ様程の強運な方ならではの悩みですわね。ご迷惑な人」

隠すこともない不機嫌さに、ドフラミンゴはフッフッフッと独特な笑みを零す。

不機嫌なその態度は彼女の主である『誰か』にそっくりだ。とドフラミンゴは思う。
アスヒはそれを指摘されると怒るだろうから、決して言いはしないけれど。

「アスヒさん…」

ドフラミンゴの前に立つディーラーが心底困った表情を浮かべてついに根を上げた。彼の視線はドフラミンゴの横にあるチップの山に注がれている。
換金すれば相当な額になる。これだけのチップが彼1人に流れるとは思ってもいないし、これだけ稼がせてしまってはこのカジノにとっても不利益だった。

「換金して差し上げて」

だが、アスヒはディーラーの困惑の表情を一蹴し、メイド長として即座に命令を下した。

まさか換金など出来ないと言ってしまえばレインディナーズの名に傷がつく。
クロコダイルの経営するカジノに傷をつけるのは、クロコダイルに傷をつけることと同意なのだから。そんなことはしてはいけない。させてはいけない。

即座に換金の準備を始めようとしたディーラー達だったが、ドフラミンゴが手を振るい、それを引き止めた。

「いーや、金はいらねぇ」

ドフラミンゴの言葉に、アスヒは怪訝そうな顔を返す。ドフラミンゴはにやりと笑っていた。

「なぁ。景品として来いよ。アスヒちゃん」

ドフラミンゴの言葉に、アスヒの視線が彼が稼いだチップの山を一瞥する。
そしてにっこりと外向けの笑顔をドフラミンゴに向け、頬に手を当ながら可愛らしく小首を傾げた。

「この金額なら半日もお付き合い出来ませんわ」
「フッフッフッ。高ぇ女」

浅く笑ったドフラミンゴにアスヒは変わらず余所行きの笑顔を向け続ける。ドフラミンゴはアスヒの腰辺りに手を回した。

「ま、それでもいいや。買った」

使用人達がざわつくが、アスヒがそれを一瞥してやめさせる。そして一番近くにいた使用人に視線を向けた。

「通常通りの業務に戻りなさい。…何かあればMs.オールサンデー様へ」

短く命じたアスヒは隠すことなく溜息をついて、髪を後ろに流してからドフラミンゴの隣に並ぶ。メイド服から着替える気もない。

肩を抱き寄せてきたドフラミンゴに極寒の視線を送るが、ドフラミンゴはそれをものともせずにまたフッフッフッと笑った。


†††


カジノを抜け出すと照りつける太陽に、アスヒは目を細める。
溜息をついて視線を逸らすと、ピンクの毛玉が見えてアスヒの目はもっと細くなった。

ドフラミンゴはアスヒの身体を抱き寄せつつ、興味津々といったようにアスヒを見つめていた。

「アスヒちゃん、俺に対しては随分強気じゃね? 怖くないの?」
「その質問が王下七武海が怖いか、というものでしたら答えはいいえです。
 貴方様は『彼』と比べて理不尽に切れたりしないでしょうから」

クロコダイルは誰よりも気分屋だ。機嫌がよければアメを与え、機嫌が悪ければ話しかけることすら困難になる。
アスヒからすれば、確かにドフラミンゴも気分屋に見えた。だが、クロコダイルに比べればまだマシだろう。

アスヒはクロコダイルを思い出して、小さな笑みを口に浮かべ、そしてその表情のままドフラミンゴを見上げた。

「唯一、貴方を恐れる点を上げるとするならば、その身長でしょうか」

ぱちくりと目を瞬かせるドフラミンゴ。それに気づかないままアスヒは本心を告げていた。

「流石に私の倍はありそうな人と肩を並べるのは恐ろしいですわ」
「………そうだな」

ぽつりと零したドフラミンゴが、次にまた先程と同じように口の端を上げる。

アスヒが呆れたように声をかけた。

「本当によく会いに来る方ですね。お暇なんですか?」
「だって、話に聞くと会議にはもう顔を出してないらしいじゃん? ならここまで来ねぇと」
「貴方様がいると本当に仕事が進まない」

愚痴を吐き捨てるアスヒ。ドフラミンゴは変わらず1だけ人楽しそうにしながら、大袈裟に肩を落とした。

「おいおい、客だぜ、こっちは」
「迷惑な客もいたもんだ」

声が聞こえてアスヒの表情が輝く。ドフラミンゴはにやりと笑って、逃がさないとでも言うようにアスヒの身体を抱き寄せた。

「おおっと、もうご主人様のお出ましか」

引き寄せられたことによって足がもつれて、アスヒはドフラミンゴの腕の中に収まった。
そうしてしまったことにアスヒは自身に腹が立って心底嫌そうな顔をした。

現れたクロコダイルは腕の中に収まっているアスヒを見て、舌打ちをした。アスヒもそれも見て、不機嫌そうな顔をする。彼女の本意ではないと訴える不機嫌顔だ。

腕から逃れようと抵抗するが、ドフラミンゴの方が力が強い。
アスヒがもう一度苛々と抵抗をした時、一瞬だけ表情を変えたドフラミンゴがバッとアスヒを離した。

数秒前までドフラミンゴがいた場所に砂嵐が吹き抜ける。いつのまにかアスヒの隣にはクロコダイルが立っており、アスヒは次にクロコダイルの腕の中に収まっていた。
アスヒはドフラミンゴを睨みつけながら、こちらの方が良いという風にクロコダイルの胸板に身体を寄せる。

ドフラミンゴはそんな2人が面白くてたまらない。お互い口では要らないと言うくせに、お互い大事で大事で仕方ないのがバレバレなのだから。
苛々と殺気立っているクロコダイルが、昔から誰も信用せずに寄せ付けなかったのを知っていると尚更だ。

フッフッフッと笑って、ドフラミンゴは肩を竦める。

「捕まえてみろっつったのはてめぇだぜ、クロコダイル」
「え」

何を余計なことを。とアスヒは口を尖らせて腕の中からクロコダイルを見る。
クロコダイルはアスヒを見返すことなどせずに、ドフラミンゴを睨み続けていた。

「しつこい男はモテねぇぞ」
「フッフッフッ。そりゃわかんねぇよなぁ? アスヒちゃん?」
「しつこい男は嫌いですわ」
「フッフッフッ。テメェらホントそっくりだよ!」

楽しそうに笑ったドフラミンゴに、心底興味がないクロコダイルとアスヒ。次にアスヒが静かに言葉を口にする。

「…午前が終わりましたわ」
「…。ふーん。時間か。
 午前中だけで済ませる気はなかったんだけどな。ご主人様が近くにいるってんなら分が悪い」

ドフラミンゴの視線がクロコダイルに移る。が、殺気を放っている彼からアスヒを奪い返すのは一苦労だと感じたのだろう。
ひらひらとアスヒに手を振り、大袈裟に肩を落として寂しげな顔をした。

「ごめんよ、アスヒちゃん。俺さ、これからちょっと忙しくなるんでな。暫く会えなくなっちまうんだけど、」
「まぁ。それはとってもとーっても残念ですわ」

心からの嫌味としてそう言い放ってやると、人の嫌味など気にするはずもないドフラミンゴが短く笑う。

「そんなに寂しいなら連れってってやるか?」
「あら、貴方様といるぐらいならバナナワニと心中いたしますわ」

きっぱりとそう言った彼女が鼻で笑ってやると、隣のクロコダイルもいつものように笑った。

「クハハハ。
 行くぞ、アスヒ」

アスヒもクロコダイルもドフラミンゴに振り返ることすらせずに帰り出す。
ドフラミンゴも、にやりと笑顔を浮かべたまま、それ以上2人にちょっかいを出すことなく、ひらひらと手を振って空へと飛び立っていった。

そうしてようやっとドフラミンゴを追い払ったあと、クロコダイルは隣のアスヒを不服げにちら見した。

「何、勝手に買われてんだよ、てめぇは」
「申し訳ございません、クロコダイル様」

見るからに不満げな顔をしたクロコダイルに、アスヒは浅く微笑みかける。
そして彼が次に言うであろう言葉を先に口にした。

「『服は全て処分』、ですよね? 湯浴みも済ませてきた方がいいですか?」
「そうしろ」

身体についてしまった気のするドフラミンゴの香りを手で払い、溜息を付いたアスヒ。
彼女はクロコダイルに寄り添って、見るからに肩を落とす。

「彼と一緒にいるのはとても疲れますわ。仕事も進みませんし…」
「愚痴るとは珍しいな」
「………すみません」

口が過ぎたか、と、片手で口元を抑えるアスヒ。
クロコダイルはたいして気にした風もなく、アスヒの腰元に手を回した。

他所に行っているでもないのに近寄るクロコダイルに、驚くアスヒ。だが、瞬時にその驚きを悟られないように平静を装った。

彼にだけ聞こえるような声で彼女は言葉を零す。

「珍しいですね」
「あの桃鳥のもんだと勘違いされても不快だ」
「それは確かに嫌ですわね」

アスヒもクロコダイルに寄り添って上品に微笑みを浮かべて、2人でレインディナーズに向かう。
通りの人間はクロコダイルに気付くと、英雄に手を振ったり微笑みかけたりする。女性の中には熱い視線を向ける者もいたが、隣で親しげに歩くアスヒが否応にも目に入り、悔しそうにしていた。

クロコダイルはアスヒの小さな歩幅に合わせて歩調を緩め、アスヒはメイド服のまま穏やかな微笑みを浮かべる。

お互いの心情などわからない。それでも今この時だけは、とっても近い距離でレインディナーズまでの道のりを歩いていた。


(邪魔しないで)

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