「おい、レッドピラミッドシング。本当にいつまでセニョリータを置いとくつもりなんだよ」
ロビーの声はいつ聴いても耳障りだ。
返事をするのも億劫で無視を続けていると、ロビーは眠っている『彼女』に手斧を突き立てようとした。
彼女に当たる寸前で腕を掴み、片手で砕いて腕力のみで引きちぎる。悲鳴と共にすぐさま別個体に移ったロビーは、再び病室の入口辺りから顔の半分だけを覗かせていた。プラスティックの無機質な瞳がじっとこちらを見つめくる。
「あーあ。いけないんだァ。可愛い可愛いマスコットの僕をこんなにも無残に壊すだなんて」
抜け殻となった着ぐるみを窓の外に投げ捨てて再び椅子に座ると、ロビーも懲りもせずに彼女を挟んで対面の場所に座った。
ロビーは大きな溜息をついて片膝に肘を合わせて頬杖をついていた。
「はぁーあ。おめーらが遠慮なしにどんどん壊していくから、こっちもどんどん裁縫してやらないといけないんだよォ?」
自業自得だなと無い鼻で笑ってやる。ロビーは手斧を振り回しながら声のみは可愛らしく「もう!」と声を上げた。
「君やバブルヘッドナースは気軽だろうけれど、こっちは死活問題なの!」
この街に何千と『換え』があるくせにそんなことを言うおかしなロビー。
もう1度笑ってやるとむすとしたロビーの顔が小さな寝息をたてている彼女に向かった。
「話を戻すけれど、コレを本当にずっと置いておくつもり?
ここは『普通』の人間が来る所じゃあない。それも罪の意識も無いようなツマンネー女なんて…」
ロビーの言葉は珍しく至極真っ当なのだろう。
彼女は他者の罪人によって紛れ込んできた存在だ。罪の意識が全くないとは言いすぎだとしても、それでもそれは日常生活範囲内のことで、このサイレントヒルの影響が及ぼす程じゃあなかったようだ。
彼女は元の世界でもジェイムズとは違って『普通』に生きていたのだろう。
だが、それでも、この世界から彼女を出してやるつもりは全くなかった。
今も静かに眠る彼女を見つめる。人間は不便だ。ある一定時間眠らないとすぐに動けなくなってしまうのだから。
こっちは限られた時間でしか彼女と会うことが出来ないというのに、その貴重な時間を睡眠という彼女には欠かせないものに奪われているのは少々癪だった。
無理矢理起こして彼女の機嫌を損ねるのが嫌で、こうやって大人しく待っているだけで、本当ならば今すぐにでも彼女を連れ出してサイレントヒルの街並みを見せてやりたいというのに。
ジェイムズやメアリーが気に入っていたこの街を。霧に包まれていようが構わず美しいこの街を。
「どうしてそんなに?」
ロビーは怒っているかのような声を出す。
どうしてと聞かれても困る。理由は簡単で直感的で、そして意味なんてないのだから。
気に入ったから。
ただそれだけ。
気に入ったから傍に置きたい。
気に入ったから誰にも奪われたくない。
ただ、ただ、それだけなのだ。
だからこそ、彼女が自分自身で何処へ行こうとするのだって気に食わない。
彼女の見ていないところで破壊し尽くした車椅子。あのナースがひとつだけ目敏く見つけたようだが、もう本当に無傷の車椅子など無いだろう。
彼女がひとりで動けるようになるだなんて、考えたくもない。だってそんなことをすれば気付かぬうちに逃げてしまうかもしれないではないか。
そう考えると、目の前にいる憎たらしいロビーの事を唯一褒めてやれるのは、真っ先に彼女の足を使えなくしたところか。
しがみついてくる腕でもなく、名前を呼ぶ喉でもなく、見つめてくる眼球でもなく、触れると鼓動を感じる心臓でもなく、ロビーが奪ったのはここから逃げ出そうとする両の足だけだ。
眠っている彼女の頬に触れる。触れると柔らかい肌は、例え素手でも簡単に皮膚をはがせるだろう。
その下にある真っ赤で熱くてどろどろとした液体をすぐに流すことが出来るだろう。それを今は望んじゃいないけど。
確かに飽きたら手放すだろう。でも。
「………その調子だと、セニョールが飽きるよりも、セニョリータが死ぬ方が早いだろうね」
ロビーは呆れたように呟く。話に聞く人間とは、睡眠を充分にとっていてもあまり長い期間動いていられないらしい。全く、人間は脆い、弱い。
「ま、セニョリータがどう思ってるかなんてわからないだろうけど」
ロビーが至極同然のことを言う。それでもやっぱりロビーは苛立たしい。
不快をそのまま伝えるために、大鉈に手をかけたが、眠ったままの彼女が身動きし始めたので、手をぴたりと止めて、じっと彼女を見つめた
ゆっくりと開いた瞳に赤色が映り込む。両の眼球は宝石のようだった。全身の動きが止まる。思考が止まる。彼女に見つめられるとどうにも思考が固まる。
「……おはよう、三角」
聴覚器官に心地よい響き。満足感に支配されて、思わず短く笑ってしまう。まぁ、この笑い声が聞こえるのはこの場ではロビーだけで彼女は不思議そうにしていた。
そして彼女はロビーを見つけて、表情が少し陰ったことに気付いて、一瞬消し飛んだ不快感が戻ってきた。手放した大鉈を再び握りこむ。もう話し相手はいらない。
「ちょっと待った、そりゃないよセニョール!」
煩い。大鉈を握らない片手で、彼女の目元を隠して、片腕で振るった大鉈はロビーの首を綺麗に落とした。
悲鳴と共に消えていったロビー。血塗れの抜け殻をもう1度窓から放り投げる。下に落としておけば、世話好きのナースかロビー本人が回収しにくるだろう。
彼女が起きた今、煩いウサギにはもう興味はない。彼女の視界を覆っていた手を離せば瞳にはまた赤が映る。自身の赤を映し出す宝石はまっすぐにこちらを向いていた。
その2つの宝石を抉って取り出して飾っておきたいが、何せそれをやると人間は早く死ぬため、衝動を押さえつけ、彼女の軽い身体を抱き上げて肩に乗せる。
彼女は次に会ったら湖の周りを散歩したいと言っていた。その願いを叶えるべく、ゆっくりと歩き出す。
「…まだ眠たいんだけれど」
言われてまたぴたりと動きを止める。ベッドに戻すかどうか迷っていると、その迷いを感じ取ったのか彼女がくすくすと笑った。
「冗談よ。お願いしたのは、私だったし」
彼女には恐怖に引きつっていたあの時の表情はなく、恐れも嫌悪も瞳には見つからない。
罪人だらけのこの世界に来た罪人ではない彼女。
何よりも美しく、そしてこのサイレントヒルの穢れに染まった愛おしき存在。
こんなにも素晴らしきものを手放すことなど出来る訳が無い!
「ねぇ、」
不意に何かを言おうとした彼女の言葉が途中で途切れた。
ぴたりと足を止めて続きを促すと、少し戸惑っていた彼女は酷く優しげな微笑みを浮かべていた。
この世界にいる誰もが浮かべることが出来ないその複雑な表情を浮かべて、彼女の手が優しく金属の頭に触れた。
「一緒にいましょう。三角」
ふるると、無いはずの心臓が震えた気がした。
してるはずもない息が止まり、浮かべられるはずもない微笑みを彼女に返した。
あぁ、そうだな。これからもずっと一緒に、一緒にいよう。
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつもまでもいつまでもいつまでもいつもまでもいつまでもいつまでもいつまでも。
ここに、2人、一緒に有り続けよう。
例え、彼女の鼓動が先に止まったとしても、2人で。
永遠に。永遠に。ずっと一緒に。
(Together Forever.)