気が付いたら眠っていたらしい。起きた時には赤錆に満ちた世界はすっかり消え去り、元の真っ白い病室になっていた。全くどういう原理だ。

今までの惨状を夢だと思いたいが、夢であると願うことは既に諦めていた。
現に私が起きたことに気が付いて紗幕を開いたナースは、腫れ切った泡頭で、生きている人間だとは思えないし、思わない。

それでも私を助けてくれる気があるらしいナースを邪険にも扱いづらくなってきて、私はナースへと手を伸ばして感謝を伝えるためにナースの頭を撫でてみた。ぶにぶにとした感触は少し固めの粘土を触っているかのようだ。
嫌がるかとも思ったが、彼女は大人しく撫でられている。それどころか頭を軽く下げて私が撫でやすいようにしていた。
若干嬉しそうにしている気もする。私から始めたことだが、何だ、この状況。

嬉しそうに肩を震わせているナースが不覚にも可愛いと思ったが…、いやいや気のせいだろう。どこからどう見てもコレは化物以外の何者でもない。私もこの世界に居すぎて感化されたのだろうか。

手に付く感触が気味悪くなってきてしまって、私はナースから手を離す。
ナースは名残惜しそうに小首を傾げていた。でももう私は撫でないと決めたぞ、ナース。

思わず私は溜め息を零して、ちらりと周りを見る。ふと窓から見える世界が気になって視線を向けた。

深い霧でほとんど真っ白に見え、何がいるのかを伺うことは出来ない。が、時折ぼんやりと街の影が見える。
ここに来る時は元彼の車の中にいて景色を見る余裕などなかったし、三角頭から逃げる時にも景色を見る余裕など全くなかった。

今は、少しだけ景色を見る余裕が出来てきたかのように思う。
まぁ、ただ、足が無くなってしまい、心に余裕があったとしても、身体に余裕が無くなってしまったけれど。

異常な程軽くなった足は酷く気持ち悪い。…でもだからってどうすることも出来ない。どうすればいいのかもわからない。

「ねぇ、ナース。外に出たいわ」

私は不意にそう言葉を零して霧の世界を見つめた。

何やら白いタオルを水に浸していたナースがぴたりと動きを止めた。
その様子に私は思わずクスクスと笑みを零す。あれほどの極限状態にあった私だったが、いつの間にか笑顔を浮かべる余裕が生まれていた。

ゆっくりと移動し、空いた私の足の部分に腰を掛けたナースに、私は微笑みかける。

「別に街から出たいという意味ではないわ…。出られるものならば出たいけれども。
 今はただ外の空気を吸いたいの」
「………」
「難しいのね」

何も動きを見せないナースに私は微笑みかけて、失った足を見つめてから静かに目を伏せた。こんな足では外に出ることはおろか、ベットから抜け出すことも出来ないことはわかっていた。
真摯に私の介護をしてくれているナースを困らせるわけにもいかない。

私は窓の方へと手を伸ばし、カーテンを締め切った。誘惑は断つべきである。

と、その時、ナースがいつもの手書きメモを差し出してきた。「もう少し待っていて」と書かれているメモに、私は怪訝そうな表情をナースへと向けた。

「ねぇ、どういうこと――」

その時、サイレント共に世界の浸食が始まった。

壁紙が剥がれ落ちるようにして、白の下から汚い赤が現れる。未だにその現象が物珍しくて、あたりを凝視しているといつの間にか三角頭がベットの横で佇んでいた。

「三角頭…?」

いつもの如く急に現れた三角頭を見つめていると、彼は両腕を私に伸ばし、ベットに腕をつくようにしてからその驚くべき怪力で私を軽々と抱き上げた。切れた足の断面が酷く激痛を訴えるが、悲鳴を上げる間もなく身体が宙に浮かぶ。

「な、なに?」

驚いている間にも三角頭は器用に私を肩に乗せ、私の腰を引き寄せるようにしてバランスをとった。
肩に腰をかける形となった私は、規格外の大きさとはいえ決して快適ではないその場所の不安定さに、思わず傍にある金属の頭にしがみつく。
彼の頭は酷く汚れていて、鉄臭い。困惑を重ねる私を乗せたまま、緩慢な動きで三角頭は動き出した。

扉へと向かう彼に私は目を丸くさせて、何処とはわからない彼の顔を覗き込んだ。

「外に連れて行ってくれるのね」

言葉に小さく頷く三角頭。私はふわりと微笑みを浮かべて、病室の中で手を振っているナースに手を振り返した。
私を支える手とは反対の手で持っている大鉈がギィギィと音を奏でる中、私は彼の肩に乗せられたまま散歩を始めた。

見える世界は相も変わらず赤錆に満ちていたが、良い気分転換にはなりそうだ。


◆ロキソプロフェン


ロキソプロフェンはプロピオン酸系の消炎・鎮痛剤。「ロキソニン」の商品名で、第一三共が提供しているほか、後発医薬品として各社から発売されている。

発熱や炎症を引き起こす原因となるプロスタグランジンの生合成を抑制することで炎症を鎮め、腫れの抑え、鎮痛、解熱作用などを示す。
非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)の一種で、鎮痛作用が強く消化器への副作用が少ないのが特徴である。

現在日本で最も使用されている抗炎症薬である。


(Wikipediaより引用)


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