eccentric love


「え?一寸君誰?勝手入ったらあかんて。」
科捜研の研究室前の廊下に、五才程の少女が居た。研究室のドアーを物珍しそうに眺め、入ろうとして居たので、偶々エレベーターから下り見付けた宗一が、慌てて声を掛けた。少女は一旦は此方を向いたのだが、逃げる事もせず、廊下に佇んだ。
「ええと、何方さん?」
「あの。」
喫煙スペースにもなっている休憩室のドアーが開き、ペットボトルのお茶を傾けた男が顔を出した。
見た事の無い男で、宗一は一瞬警戒した。
「何方さん?」
「長谷川博士、いらっしゃいませんか?」
欠伸をしながら目を擦り、大きな猫目で宗一を見た。
少女は男の足にしがみつき、威嚇するように宗一を上目でじっと見詰めた。
「用件、何かな。」
「面会ですけど。」
見るからに柔らかそうの栗色の髪を空気に乗せ、男はしゃがんで少女を抱き上げた。
「宗。」
「うお、びびった。御前も居んのか。」
真横のドアーがいきなり開き、緊張していた宗一は、脅かした罰といわんばかりに課長を叩いた。
「…傷害の現行犯な。」
「いやもう、そんなんええから。御宅は誰よ。」
腕を摩る課長に構わず宗一は男に聞いた。課長も気付いたのか…いいや、男よりも魅力的な生き物に気付き、可愛いなー、と目線を一緒にした。
「長谷川博士、早く出して下さい。」
「あんさ、礼儀、てあるやろ?無断で居るわ、名乗らんわ、用件言わんわ、其れで長谷川出せて、出せる訳無いやろ、素性も判らんのに。態度改めよし、此処警察よ。此の三つ編みが不審者でしょっ引くぞ。」
「引かん、引かんぞ?…嗚呼、不審者って御前の事か。其れなら納得した。一寸御前、不愉快罪で来い。」
宗一の硬い声に、少し神経質過ぎたかも、と男は思い、鼻下を指で擦るとジーンズのポケットから身分証を出した。受け取った宗一は、先ずに見る事はせず、横から一緒に覗く課長に向いた。
「又抱っこしてる。最近貴方アレよ、御前イコール幼女を抱っこしとる三つ編み、になってるよ。」
何時抱っこしたんだ、と聞きたいが、課長はしっかりと男が抱えていた少女を抱え、男の身分証を眺めている。
「先進理工学部の、化学…生物……、何?御前、早稲田の院生か。」
「は?何其の全身痒くなるような嫌味な学歴。」
宗一も慌てて男の身分証基学生証を眺め、中年男二人は、近所に引っ越して若夫婦を観察する人間拡声器おばさんのような目で男を見た。
中年は、正体不明の若者に厳しい。
「世界を電気で革命しよう、って研究所か。」
「一寸違いますが…、まあ、合ってます。人間、と云う生命体を分子、原子で照明する学科です。」
「電気持ってないな!?」
「まさか。俺は長谷川博士と違います。」
「検問して。」
「断る。子供抱っこするのに忙しいんだ。」
此の男が何の目的で少女と共に、秀一に会いに来たかは判らないが、廊下に置いておくのも他の刑事に見付かったら何かと喧しいので、研究所内にある休憩室に入れた。男は研究所に入るなり、其の機材や雰囲気に目を輝かせた。特に今は、物理の侑徒が大画面のパソコン三台をフル起動させている。文書の八雲も巨大スクリーンで何かを確認している。
「先生ぇ、お帰りなさい。」
「お帰んなさい。」
二人は画面に向いた侭仕事に専念し、男を一旦休憩室に入れると、八雲の肩を叩いた。
「後どれ位此れ使う?」
「あ、ええですよ、使って。」
スクリーンは一旦停止の文字を青い背景に浮かばせた。宗一は自分の席からパソコン動かし、休憩室の硝子張りの壁にスモークを掛けた。男は、おお、と驚き、ペットボトルのお茶を傾けた。
スクリーンに映し出される死体、そして解剖写真、此れをあの男…況してや少女に見せる訳にはいかない。課長と宗一は其のスクリーンを見ながら会話を続けた。
今回の事件は交通事故である、依って、物理である侑徒が一番多く働いているのだ。
深夜に起きた大型トラックと軽自動車の衝突事故、大型トラックの運転手も重症負い、相手が何せ軽自動車である、然も此れが最悪で、定員オーバー車両、五人乗っていた。何処に向かって居たかは知らないが時速八十キロ以上を出し、対向の時速八十キロ近く出す其れに突っ込んだ。トラック運転手が重症なのだ、当然軽自動車に乗っていた奴等は全員死亡した。
疑問。確かに全員死んだ。然し女の死体が明らかに事故死では無いのだ。
……と云う事件内容である。
「どうせあれだろう、四人で強姦して、殺したかうっかり死んだかで、死体捨てに行く途中だったんだろう。」
「ま、そやろな。」
「悪い事するから死ぬんだよ。」
スクリーンを八雲に交代し、八雲は八雲で本庁の事件を抱えている。大量の旧紙幣の偽札である。
偽札の事で思う事あるのだが、偽札防止で新札を発行しても、旧紙幣を使えるのだから、此方で偽造すれば意味無いのでは無いか。旧紙幣等、夏目漱石の千円紙幣なら未だしも、伊藤博文の千円紙幣等、誰が記憶するのか。百円札迄使えるというでは無いか、絶対におかしい。
「夏目漱石に新渡戸稲造、伊藤博文の千円紙幣だ。ウケる。」
「懐かしいなぁ。」
伊藤博文の千円紙幣は、課長達世代で懐かしいになる。
「幾ら何でも、精巧すぎやろ、此れ。わいも一瞬、ん?懐かしいな、と思ったもん。…勿論、夏目漱石にね?」
伊藤博文にでは無い。八雲は伊藤博文紙幣を知らない世代である。
「其処迄似てるか。」
「うん。」
此の旧札事件は、伊藤博文の千円紙幣を使い捲った世代の多い田舎で大量発生した。六十歳以上が大半を占める寒村地で、だからだ、懐かしいね、で物品と交換するのだ。そして、銀行或いは郵便局が受理出来ない。其れが全国から報告された。
「イギリスの、50ポンド紙幣、絶対に変わらん理由がある。さて、なあんでデショ。」
八雲は持っていたイギリス紙幣のファイルを開き、課長に見せた。
「現君主である女王の顔が印刷されるから。」
「せいかーい。」
「え?そうなん?」
本気で知らないのか、そんなの世界の常識だぞといわんばかりの二人の冷たい視線が宗一に突き刺さる。
「無知にも程がある。」
「酷いな、先生ぇ。」
「仕方無いやん、ドイツはユーロ圏やもん!ポンドとか見た事無いもの!イギリス行った事無いんやから仕方無いやろう!」
「御前、本当にドイツ好きだな。」
「うん、還暦なったらドイツに住むわ。」
珈琲を淹れる宗一は二人をあしらい、其の匂いに侑徒も休憩を始めた。
「お疲れ、橘さん。」
「嗚呼、課長さんか。今日は。」
御前は今日も美しいな、と頭を撫でた。先に休憩室に入った八雲は、見ず知らずの先客二人に一旦ドアーを閉め、中を指した。集中していた為、二人が中に入って来た事を知らず、又スモークも掛かっていた。何故掛かっているか疑問には思ったが。
「……子供。」
「あ、そうか。」
スモークを切った宗一は四つのマグカップに珈琲を入れた。
「御前、子供嫌いやったな。」
斎藤八雲、子供が大嫌いである。子供等此の世から消えてなくなれば良いのに、と思う。
課長は絶句し、そんな人間が此の世に居るのかと軽蔑した。自分も子供時代があった癖に。
「キンキンギャーギャー煩いんよ。後、臭い。」
「子供特有の匂いやろ。」
「アレがもぉ、あかん。わい、子供好きな奴は、前世に絶対悪業しとるて思ってるもん。」
宗一は課長を見た。
「御前、前世で何したん。」
「徳の高い坊さんだ。」
「絶対嘘やろ、A級戦犯食らった誰かやて。戦争の犯罪者に決まってる。歴史上稀に見る独裁者やて、スターリン辺りちゃうの。」
「あー、課長さんなんか、日本陸軍のなんかっぽそう。主戦者、みたいな。元帥、って感じ。」
「判る判る、海軍では無いわ。」
「御前等、知らんな?WW2始まる迄の日本陸軍将校の紳士さを。WW2始まって、野蛮だ何だ鬼畜だ海軍将校様紳士、って云われ始めたんだからな?陸軍だって、元は物凄い紳士集団なんだからな。」
「元、な。」
「皆んな、もっとさ、日本陸軍とか陸自の格好良さ、知ってくれ。」
「海自の方が絶対格好良い。」
「だからな、御前何回云ったら理解するんだ?海上自衛隊が格好良く見えるのは、海軍の洗脳なんだよ。あの巨大な宗教がな、国民に“海の男はスマートで格好良い且つ紳士”って植え付けたんだよ。でな、陸軍は野蛮だって洗脳されてだな。」
「もう判ったよ、煩い。洗脳なんですね、はいはい。日本海軍は巨大なカルト宗教なんですね。日本を軍事国家に仕立て上げ、国民を洗脳したのは陸軍なのにね。」
もう何十年も課長の此の話に付き合わされる宗一は聞き飽きて居る。聞いている男は笑いを堪えながらペットボトルを傾け、そう見方もあるのか、と思った。
「今日は。」
侑徒から挨拶受けた男は会釈し、エレ・キ・テル氏の知り合い、と宗一は説明した。瞬間、八雲が嫌な顔をした。
「何、あの変人の知り合いなん?」
「俺は出来れば知り合いたくなかったんですけどね。今からでも他人になりたい。」
其の言葉に八雲は笑い、男の肩を叩くと、君とは良い酒が飲めそうだよ、わい飲めんけど、と気に入った様子だった。
「おお、懐いた。斎藤が懐きよったぞ。」
此れはかなり珍しい事で、八雲は初見で他人に懐く事は先ず無い、一年近く一緒に居る宗一ですら未だ懐かれて居ないのだ。
少女を構う課長に男は、其方はミクさんですよ、と呟いた。
「ミクさん、ね。」
「電子歌手、なんですかね?彼女。二つ結びやし。」
「電子…?嗚呼、嗚呼、そうか。」
男は宗一の言葉に何か閃いたように感心し、だからなのか、変な名前だと思ってたんだよ、と歪む口元を隠した。課長は慌ててミクと呼ばれた少女の耳を隠し、本人の前で変な名前とか云うな、と叱責した。少女は課長を見上げ、素敵な名前だよ、と課長は苦笑うと男を睨んだ。
「ま、ええ名前ちゃう?変わってるけど。」
「宗。」
「かわええ名前やと思いますよ、俺は。」
「貴方、男性なんですか?」
橘侑徒、何時も女と間違えられるのが悩みである。顔も身長も声迄も女、男らしいのは名前だけである。
「一応、男です。」
自分も中々に女顔で其れがコンプレックスだが、貴方は女性にしか見えない、と褒めているのか貶しているのか判らない感想を述べた。
男は腕時計を見、長谷川博士は未だですか、と宗一を見た。
「彼奴、今何処居るん。」
「コンビニじゃないですか?」
「誰か電話鳴らせ。」
少女の二つ結びの髪を、毛先摘んで持ち上げ遊ぶ八雲に、宗一が急かした。此れ以上八雲と子供を、同じ空間に置いておくのは危険である。
然し、此の少女は一体なんなのだろう。男は何と無く判る。早稲田大学院の研究生…其の場所、秀一が病院に入る三年前迄居た場所なのだ。謂わば元勤務先、男は助手なのだろう。あれでも一応、秀一は博士号持つ化学者である。然も極めて天才的な。
「聞いてええ?」
「はい。」
男は宗一に向き、ペットボトルの蓋を閉めた。
「君は、長谷川の助手?」
「……正確には違いますが、そうです、最悪です。死にたい。死ねないのなら誰か殺して下さい。」
八雲の豪快な笑い声がした。
此の男の秀一に対する態度、八雲が我が妻にする態度と全く同じなのだ。
斎藤八雲、此れでも既婚者である。
「正確には違う?」
「俺は、彼女の、お母様の、助手です。然し、博士も俺と同じ研究室にいらっしゃるので、其処で、まあ…、長谷川博士にもこき使われています。」
「ほんで、此の子はなんなん。」
少女に手を向け、男は少女の顔を覗き込んだ。
「ね、ミクさん。御自分で仰って下さい。」
「パパに会いに来たの。」
「長谷川博士のお嬢さんです。俺は子守です。間違っても、長谷川博士から頼まれたから請け負っている訳では無く、俺の上司である博士に頼まれたから請け負っているだけです。ねー、ミクさん。貴女のお母様は素晴らしいのにね。お父様はちっともですねぇ。」
「そうですねぇ。」
瞬間課長が椅子から滑り落ち、宗一は珈琲撒き散らし蒸せ、侑徒は唖然と少女を眺め、八雲は汚物を見る目で少女を見た。
「悪魔の子!」
「斎藤!」
課長は少女の耳を塞いだが、叫び合って居るので意味は無い。
「早ぅ、はよ隔離しなさい其ん子!触ってしまったやないか、そう云う大事な事は真っ先に言いなさいよ、誰か知らんけど!あの男の子供?意味が判らん!」
「斎藤、其れ以上云うなら、俺も笑ってないぞ。シュウの事を嫌いなのは構わんが、此の子を傷付ける権利は誰にも無い!子供の前で其の親を悪く云うんじゃない、御前、大人だろうが、そんな分別も判らんのか!」
獅子の咆哮に虎は全身強張らせ、下唇を噛んだ。正論には噛み付けない、噛み付ける筈が無い。
例え親が犯罪者でも、子供に罪は無い。親を嫌っても、子を嫌いになる理由にはならない。八雲は正に、其の態度を取った。課長が許す筈が無い。
「今のは斎藤が悪い、其の子に謝りなさい。」
撒き散らした珈琲を拭く宗一の静かな声に、八雲は困った顔で、御免な、お父ちゃん悪く言って、と白衣のポケットから飴を出し、小さな手を持つと中に落とした。
「ナッシー、飴貰った。ミクちゃん一個、ナッシー一個、一個づつですよ。ママの分が無いですねー。でもママはミクちゃんが美味しかったら良いのよー。」
「其の言い方、博士そっくりですよ。」
少女は袋を破り、口に入れ、其のゴミを男に渡した。
「おい、あんた。」
「はい、なんです?」
八雲に両肩掴まれた男は、飴を味わいながら真剣な顔を見た。
「何?あの男は、ホモちゃうんか。」
「長谷川博士ですか?さあ、興味無いので。俺の偉大なる崇拝されるにふさわしい博士は、猫と女性とお金を愛してらっしゃいますけど。」
「何?ゲイ同士が子供作った、て事なん?」
男の上司で少女の母親が、大変素晴らしい博士なのだけは判った。
課長は口元押さえ、やっぱりシュウは俺と同じタイプなんだ、と少女を見た。
「俺もやっぱり、シュウと同じ事すれば良かった…!」
「今更遅いよ、貴方。」
「やっぱりあの時、あの女と子供作ってたら良かった…、今、猛烈にシュウが羨ましい。」
「…どういう事なん、全く意味が判らん。課長さん、ゲイでしょう?」
「ゲイだよ、だけど俺は女と…も…」
言い掛け少女を見、にっこり微笑むと耳を塞ぎ、な?、と言葉を濁した。
「バイやんけ…」
「違う。俺は生粋のゲイだ。男しか愛せない。バイセクシュアルは、両方を愛せるんだ。俺は女を愛せない。」
限りなく小声で、セックスが出来るだけ、と少女の耳から手を離した。
「帰ったよぉ。」
「誰も居ないじゃん。」
研究所に響く声、少女の顔が跳ね上がった。
「パパ!」
「お、ミクじゃん。」
休憩室から飛び出した少女を秀一はセグウェイから見下ろし、横に何故か居る和臣は目を丸くした。
「は…?」
「可愛いだろう、俺の娘ぇ、ミクちゃんよ。」
「御前、どんだけ電気電気エレ・キ・テルなんだよ。娘に迄電子関係の名前付けるなよ。息子ならカイトか。」
「お、判った?頭良いなぁ、和臣。」
戻りました、と休憩室を覗いた秀一は、自分を見る男に気付くと、幽霊を見たような顔で固まった。其処だけ世界が変わったように、秀一は男を凝視した。
「た……」
「ご無沙汰しています、長谷川博士。」
男はゆっくり立ち上がり、秀一に近付いた。
「御約束通り、ミクさん、お連れしました。」
「あ、嗚呼…」
「一時間、一時間です。其れ以上は一秒でも許しません、五十八分後、お迎えに上がります。ミクさん、良いですか?」
「良いよ。」
足にしがみ付く娘の存在等、感覚の無くなった秀一には空気だった。
「高……」
「名前、呼ばないで下さい。貴方に名前を呼ばれると虫酸が走る。良い子にしてて下さいね、ミクさん、俺は下に居ますから。」
少女の頭を笑顔で撫でた男は会釈し、其の儘研究所から出るとエレベーターに乗り込んだ。
固まった侭セグウェイに突っ立つ秀一は、男が居た場所を呆然と眺めていた。
「木島、何してるんだ。」
「課長を迎えに来たの。迷子になってるんじゃないかと。」
顔を隠した秀一は深く溜息を吐き、前髪を撫で付けた。課長と和臣は秀一の其の表情に口を止め、覗き込んだ。
「パパー。」
「ん……?」
「抱っこして。」
「ん…嗚呼…」
セグウェイから降りた秀一は少女を抱き上げ、其の儘自分の椅子に座った。
全員が秀一の態度に口を閉ざし、顔を見合った。
充電が切れたのだろうか、何時もの、アイアムジーニアス、エレ・キ・テル氏最強なり、のテンションは何処に行ったんだ、と訝しんだ。
「あんた、一寸…、生きてるか…?コンセント、向こうあるよ…?」
八雲に肩を叩かれた秀一は見開いた目で素早く反応し、無言で顔を逸らした。
「せ…先生ぇ…、エレ・キ・テルが死んだ…」
「一寸ぉ…、やだぁ、長谷川さぁん…、エレ・キ・テルぅ、言うて下さいよぉ…」
「電気流したら…、机にショックペン置いてあるし…」
「長谷川さん、おおい。木島はんが電気流してええて言うてますよぉ。」
「云ってない!」
ショックペンを振る八雲を秀一は一瞥するだけで、宗一でさえ何が起きているのか判らなかった。
「あかぁん、時一呼べ…」
「時一先生、居ないんだ。」
「時一何処行った。」
「病院で仕事しとるよ。」
しょっ中研究所に居ない時一、何処に居るのか疑問だったが、心理分析をする時一は、呼び出さない限り此処には来ないらしいのだ。
「良いな、俺も自宅待機にならんかな。」
「科捜研の心理が動くて、どんだけでかい事件やと思てんの。犯罪史に残る犯人位ちゃう?科捜研の心理が動くって。そんだけ闇が深くて全国を震撼させる犯人やないと、他の分析医で賄えるもの。そんな何時出てくるかも判らん犯人の為に、此処には縛り付けん。週一で遊びには来とるけど。後、ニュース見て、其の犯人見たい、とか。」
「ふーん。」
課長達は、秀一を再起動させようと躍起になる八雲達を見た。
「シュウ、如何した。」
課長は後ろから秀一の頭を両手で挟み、左右に振った。秀一は顎を上げ、課長を見た。
「虫酸が走る、がそんなにショックだったか。」
「御前の目、マジでキモい、って云われるんですけど。」
「あっはっは。」
課長と同時に和臣も笑い、笑いを堪えながら秀一の肩を触った。
「何、御前、自覚無いの。くふ…」
「え?」
「御前の目、自分が思う以上に、蛇っぽいんだよ。あはあは。あの男、爬虫類が嫌いなんだよ、あっはっは。何御前、そんな事にショック受けてショートしてんの?んっふふ、意外と、硝子のハートなのですね…、あっはっは!」
和臣は膝を叩きながら笑い、過呼吸起こしそう、と笑い続けた。
和臣を睨み付ける蛇の目に、八雲達は離れ、娘を膝から下ろした秀一はショックペンを掴み、無言で最大ボルトで机に刺した。
机はスチール製である、電気を通す、通った電気は同じスチール製のペン立てを跳ねさせた。和臣は慌てて口を塞ぎ、謝罪したが、ペン立てと同じように跳ね、床に倒れた。
「パパぁ、駄目よぉ。」
だからナッシーに嫌われるのよ……。
床に倒れる和臣を靴先で突く少女は云い、ミクちゃんしー、と秀一は少女の口を塞いだ。
秀一から散々云われた、こうなった人間に決して素手で触れるな、と。だから靴先で突いた。
「嗚呼、な…」
課長はニヤつき、其の顔に秀一は首を振った。
「ん?流すか?俺に電気流すか?ん?良いぞ、ほら。」
敢えて腕時計の嵌る腕を課長は出し、秀一は溜息吐くと最小ボルトに下げたペン尻を、突き出された腕とは逆の手の甲に突き刺した。
「あっはっは、痛い。」
「時計、壊れちゃうんで。」
「こんな感じか、エレ・キ・テル氏。」
「和臣は筋肉が硬直する電圧です、だから倒れるんです。」
「意識はあるのか?」
「ありますよ。意識が無くなる電圧を受けた場合、硬直直後に弛緩し、失禁しますから。」
「おおい、木島、今幼女に足蹴りにされたぞ。」
「御褒美やんな、木島さん。」
瞼を痙攣させる和臣は、殺す、エレ・キ・テル…と呟いた。


*****


五十八分後、果たして男は時間通りに来た。
「ミクさん、帰りますよ。」
エレベーターの前でしゃがんだ男は少女を待ったが、秀一の足から離れなかった。
「ミクさん、ほら、博士と旅行行くんでしょう?」
「旅行行くのか、ミクちゃん。」
「沖縄行くの。」
「冬にか?」
「はん。」
男は鼻で笑い、秀一は顔を向けた。
「なぁんにも、判ってないんだな、あんた。博士が何故冬に沖縄行くか、なんて。おっと、近付くなよ。」
少女を見た儘男は吐き捨て、俺も一緒ですもんねー、と両腕を伸ばす。
其れを研究所のドアーからこっそり覗く宗一達は、早く帰れば良いのに課長達も、息を潜め、成り行きを見守った。
「た…」
「名前呼ぶな、そう、何回云ったら判んの?あんた。人間の感情を汲み取れないロボットなんて、要らない。おっと、此れは博士の…貴方の元奥様の御言葉でしたかな?」
猫目を窄め秀一を見る男は口元を歪ませた、其の顔に課長は真下を見た。
「何…?」
同じような猫目で自分を見上げる和臣、和臣も、人を此れでもかと馬鹿にする時、同じ表情をする。
「あの男…」
宗一が呟いた。
「ぜぇんたい的な雰囲気、木島さんに似てへん?」
其の言葉に全員が和臣を見た。
髪型もボブカット、髪質も見るからに柔らかそうな猫毛、色白で身長も低く、声も青年っぽい、猫目の顔は中性的で、裏表が極めて激しい。
全員無言になり、男と和臣を交互に見た。
「木島、同族だ。宥めて来い。」
「え?え?何が?」
「良いから、ほら、行け。」
背中を押された和臣は廊下に突き出され、剣呑な空気に、御機嫌よう、と引き攣り笑いで片手を挙げた。
「和臣ぃ。」
「ミクさん、ね、はい。和臣です…、唇いっぱい引っ張ってくれて有難う…、益々家鴨口になった…」
「良かった。其の儘ミクさんを此方に引き渡して下さい。」
両腕を伸ばして来た少女の脇を支えた和臣に男は云い、和臣は秀一を見た。
「ええと…、何で仲悪いか知らないけど…、秀一は多分…其れなりに…若干…雀の涙程の…優しさは持ってると思う…よ…?俺は判らないけど…」
「其れ以上の邪悪さを此奴は持ってる。」
男は立ち上がり、和臣に向いた。
「嗚呼、うん、凄く判るよ。早く病院に帰れば良いのに、とは思う。」
「何時も何時も、…気持ちの悪い!」
「秀一…、此の子に何したの…、尋常で無い殺意を感じるよ。刑事の俺が云うんだ。極めて危険だ…」
何をしたかは知らないが、謝って済むなら謝れ、と和臣はけしかけた。
「何もしてない。」
「嗚呼!?」
「嘘吐くなよ…、尋常じゃないって…」
「何もしてないって、御前にしてる事してただけだよ。」
あかん、と宗一は額を押さえ、引き攣り笑っていた和臣は無表情になると少女を抱き上げ、其の儘男に近付いた。
「そら、其処迄殺意持つな。御前は正当だ。何も間違っちゃない。刺して来い。俺が守ってやる。其の後、俺も刺すから。」
「ですよね、俺は正しいですよね。俺は間違ってませんよね?」
「嗚呼。」
「ほら見てみろ、俺の主張の方が正しいじゃないか!博士だってそう仰ってた!医者だって同じ事云った!」
少女の手を掴んだ男は秀一に吠え、和臣は軽蔑に軽蔑を重ねた目で秀一を見た。
「誰か知らんが、此奴が正しい。俺が正しいと云ってるんだ、正しいに決まってる。」
「俺様大勝利!警察が味方してくれた!やっぱり俺が正しいんだ!」
男は少女から手を離し、両腕を突き上げた。そして其の儘秀一を指差した。
「ざまあ、長谷川!刑務所入れ刑務所!」
「そうだ、入れ!課長、捕まえて、此奴!」
和臣も秀一を指差し、課長に叫んだ。
「和臣、裏切ったな…?」
「裏切るも何も、初めから味方なんかしてない。何時も何時も電気流しやがって。」
「何が、御前の悲鳴って可愛いな、だ。キモいんだよ!」
「…同じ事云われた。」
「キモ過ぎるわ!」
「本当、捕まえようよ、課長。嫌悪罪、とかで。此れ、精神的傷害罪が立証出来るよ。」
「後、俺、ホモじゃない。抱き着かないで。」
「おお、キモ過ぎる。御前に抱き着かれるとか、蛇に巻き付かれるのと同じだ。」
「此の人良い人!其処の三つ編みさん、此の人良い人!俺の気持ち全部判ってる!」
ドアーから顔を出す課長に男は息巻き、和臣の肩を掴みながらぴょんぴょん跳ねた。
課長はゆっくり秀一を見、御前、諦めた方が良いぞ、と首を振った。
「貴方迄俺を見捨てるんですか?貴方に見捨てられたら、俺…、如何したら良いんですか…」
「済まん…、確かに俺は御前の味方だが、此ればかりは保護出来んよ…」
愛情表現の仕方に違いがあり、其れを相手が受け入れないだけなのだから、と。鳥の求愛ダンスに鼠が反応するか?と。犬の求愛に猫が反応するか?と。
「課長、俺の味方してよ!俺が可愛いなら!」
「してるしてる、大丈夫。後、其処の坊や。」
「はい。」
「…大変だったな…、でももう、大丈夫だと…思うぞ。」
なあ…?
全てを見透かすグレイの瞳から秀一は逃げるように顔を逸らした。
響く着信音、男は飛び上がる程驚き、急いでポケットから携帯電話を取り出した。
偉大なる崇高な美しい博士……画面に浮かび上がる文字に指先が冷えた。因みに此れは、発信者が勝手にそう、男のメモリーに登録したのである。間違っても男が登録したのでは無い。
「は……」
「何やってんの、あんた!何時来るの!飛行機の時間あるって云ったでしょうが!あんた、泳いで来なさい!」
「済みません、博士!只今向かいます!」
通話口からつん裂くような声が響き、ママ、と少女が跳ねた。男の腕を引き、電話を奪おうとする。
「ママ、ママ!」
「ミィちゃん、早く空港来なさい、飛行機出ちゃうわよ。」
「ナッシー、ナッシー早く空港行こう!」
「あ、サブウェイでサンドイッチ買って来て。スモークサーモンとオリーブのと海老とアボカドの。」
「ミクはね、ツナサンドよ!トゥーナ!」
双方の耳で怒鳴られる男は、目眩起こしているであろう表情で頻りに頷いて見せた。
「はい、はい只今博士…」
「レモンティー、砂糖入れたら珊瑚礁の一部にするからね。」
「はい、はい博士…」
「あ、後、本を…」
「はい、はい博士…、全てお持ちします…」
「ちゃお買ってー!」
「はい、はいミクさん…」
鼓膜と言わず脳みそがどうかなってしまいそうだと、男の顎は痙攣する。其れを眺める秀一の口元が、微かに歪む。
「はい、はい博士…、今日もお美しい…」
電話を切った男は頭を振り、ニヤニヤ笑う秀一を目敏く見付けると、何笑ってんだと吠えた。
「早く行かなくて良いのか?偉大なる崇高な博士が、お待ちだぞ。」
「美しい、を入れろ!」
「ミクちゃん、又な。楽しんでな。」
バイバイ、と少女は両腕を振り、エレベーターに乗り込んだ。男も続いたが、其の腕を和臣が掴んだ。
「木島和臣だよ、あの変人から何かされたら、世谷署の一課に連絡しろ。」
「有難う…御座います…」
「沖縄、楽しんで来てな。」
「あの、俺、高梨って云います。高梨…亘。」
和臣は薄く笑い、だからナッシーか、……エレベーターは静かに閉まった。




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