加納さん


聞き込み終わり、駐車場に戻る途中、加納がいきなりジュエリーショップの前で立ち止まった。
「加納?」
じっとショウウィンドウを眺める加納、聞いた木島に加納は人差し指を立てた手を振り、しっし、と威嚇した。
「綺麗な、ロイヤルブルー…、サファイヤですか、此れは。」
加納の独り言に興味ない木島は外方向き、動いた影、おい、という言葉を無視し加納は店内に入った。
「ショウウィンドウのネックレス、あのサファイア、箱に詰めて頂けますか。」
「はい、只今。」
ジュエリーに負けぬ美しさを持つ店員は手袋を嵌め、ショウウィンドウの内ドアーを開くと、此方でしょうか、と確認を取った。
「ええ、其方です。嗚呼、美しい…」
光る宝石美しさに加納はうっとりと口を開き、溜息を漏らした。もう一人の店員が加納からカードを受け取り、回数は、一括で……木島は驚きに吹き出した。
なんだ此奴は、百万以上する物を一括だと?何の為のカードなのだ。
箱に詰められるサファイアとダイヤのネックレスを加納はうっとりとした表情で眺め、完璧だ、そう呟いた。
箱に詰められる間加納は店内を見渡し、失礼、とカードを切る店員の手を止めた。
「此のアクアマリンのブレスレットとパールのピアス、其れもお願いします。」
店員の美しい顔が美しい儘固まり、総額占めて二百万である。
「回数は。」
「一括で。」
馬鹿なのか此奴、木島の顔は引き攣った。
上機嫌で袋を受け取った加納は駐車場迄歩き、然しなんだ、果たして二百万円は後部座席に投げ捨てられた。
投げ捨てた、というのは語弊があるが、ぞんざいに扱った。卵パックの入るスーパーの袋の方が未だ大事に扱われるのでは無いかという位、加納は適当に其の紙袋を後部座席に放った。
「おま…」
「構いませんよ、箱は捨てますから。」
彼女は中身にしか興味がない。
加納は呟き、腕時計に視線を落とした。
助手席に座る木島は、俺が持っておこうか?と何度も聞いたが、いいえ大丈夫ですよ、と構いない。
「四時過ぎ…ですか。」
ジュエリーの事など完全に忘れた様子で加納は呟き、エンジンを入れた。そして署に着いたのが五時過ぎである。戻るなり加納は電話を掛け、え?あの高額ジュエリー乗せた儘で良いの?と木島の方がドギマギした。
「八雲君、ワタクシです。」
「嗚呼、馨ちゃん。なんや?」
如何やら電話相手は科捜研の文書担当、斎藤八雲らしかった。
「仕事を頼みたいのですが、宜しいですか?」
「んあー、ええとぉ、期限は?」
「ヴァレンタイン迄にして頂きたい。」
「おっけ、大丈夫。一週間あればでける。」
充分間に合うと八雲は破顔する。
「今な、仕事立て込んでて、ええと、今が…ええと、一月十日…、やから…、ううんと…二十日?二十日からなら取りかかれるわな。」
「其れで結構、ヴァレンタイン迄に間に合えば構いませんので。」
「おっけ、持って来て。」
ほんで?と八雲の口調は一気に厭らしくなる。
「お幾ら万円、頂けて…?」
「二十。如何ですか。」
「……他でもない馨ちゃんの頼み、引き受けましょ。」
「ついで、と云ったら何とも言葉悪いですが、お納め下さい。パールのピアス、奥様にどうぞ。」
「大きに、馨ちゃん。」
電話を切った加納は其の儘聞き込みの結果を課長に報告し、木島は思う。何が二十万なのか判らないが、あのピアス、其の代金が二十五万だった。
鬢に流れる髪を耳に掛けた加納は、お疲れ様でした、と退勤した。


*****


うぃーーん、とセグウェイのモーター音が廊下に響く。其れに重なるエレベーターの停止音。鐘のような音に一瞥向けた長谷川秀一は眼鏡奥にある鋭い目を動かした。
「よう、ハゲ。今日は一人か。」
俺の和臣何処だ、と探すが、木島は別秀一の物でも無く、又此れからもそうはならない。
「御機嫌よう、博士(ハクシ)。」
其の儘加納は科捜研のラボに向かい、又、御機嫌よう、とドアーを開いた。
ひぃひぃひぃ。
足元で鳴る息遣いに加納は頭を下げ、足の間を往復する猫の姿に其の儘身体を下げた。
「今日は、コタちゃん。今日もお美しい。アイラインがとっても素敵ですよ。」
「まあ!あーぁあまぁ!」
純白の猫、信じられないが此の研究所、八雲の愛猫が彷徨いている。
アイライン、というのは、言葉通りである。猫によって、目の周りに黒い縁…詰まりアイラインがある。こうなる事で、かなり目の大きい猫になる。
此の猫は純白のボディに碧眼の美しさを持つだけでは無く、アクアマリンのような目を一層際立たせる漆黒のアイラインを持つ、途轍もなく美しい猫なのだ。身体が白い分、其の漆黒がはっきりとする。
猫好きの加納は、一瞬で骨抜きになった。雑種の野良猫、と聞いた時、心底驚いた。其の美しさと雰囲気で、由緒正しき血筋だと思い込んだのだ。
其れ程八雲の此の愛猫、美麗なのだ。加納が見て来た中で、一番美しい猫だと云える、八雲の猫云々で無しに、本当に。
唯少し、鼻の通りが悪いのが難点だが。
故に此の猫は何時も、ひぃひぃひぃ、と鼻を荒く鳴らしている。
まあ、が本来の鳴き声で、あーぁあまぁ、と云うのは、馨ちゃん、と鳴いている。八雲を呼ぶ時は、まぁおまぁ…パパと呼ぶ。八雲の妻には、ママぁ、と鳴く。加納は此れを聞いた事がある。
此奴ほんま喋りよんねん、コタ、お母ちゃん呼んで来て……聞くと、本当に八雲細君を、ママぁ、ねぇママぁ、どこぉ?、と呼んだのだ。此れには加納も驚いた。マグロオイシイ、の次元ではなかった。
可愛いでは無いか。
猫も、其れを溺愛する八雲も。
「斎藤か?」
秀一の声に加納は猫から顔を上げ、おおいやぁくん、とセグウェイの動きを追った。
「馨ちゃん来たよ。」
「おお、馨ちゃん。来たなぁ?来よったなぁ?」
「来たよぉ?んっふふ。」
こう、弾ける加納は、一課の人間は先ず見ないであろう。
加納は何時も完璧で、誰も寄せ付けず、Sクラベンツに乗り、薄ら寒い能面に笑みを薄っすら蓄えるだけ……、其れが一課の知る、“加納馨”と云う男なのだ。
「ほんで?」
椅子に座った八雲は加納に向き、加納は持っていた紙袋を渡した。
「あ、そうです、此方が…」
一番小ぶりな箱を出し、少し開いた八雲は、おほ、と唇尖らせ眉を上げた。
「なんぼした?」
「…邪推ですよ、八雲君。」
「敵わんな、此れなら報酬貰えんがな。」
八雲はキリキリ笑い、鞄の中に箱を入れた。其の儘手袋を嵌め、一番大きい…あのサファイアのネックレスの箱を開けた。
「あらぁ、貴方、お高いのでしょう?」
後ろから覗いた秀一も、セグウェイから滑り落ちる勢いでジュエリーを覗き込んだ。
「おいハゲ。」
「なんです。」
「此の金を頭皮に掛けろよ、アートネイチャーに落とせよ。」
「ワタクシはハゲでは無いと、はっきり課長からお墨付き頂きました。」
舌打ち。
彼の方がそう仰るのなら、致し方無い。
秀一は歯軋り、ジュエリーに触れようとしたのだが、八雲から手を叩かれ、加納から睨まれた。
「博士、阿保やろ!こんな一見して百万越えのジュエリー素手で触んな!渡る前に発光が鈍なるわな!」
「八雲君とワタクシ以外、彼女に渡る迄触れさせませんよ!」
「あー、そういや御前、既婚者だったな。」
八雲が十二月の初め、加納からジュエリーの加工を引き受けた。最も此れは加納が頼んだ訳では無く、目敏く見付けた八雲が無償で引き受けたのだが。
八雲、実は本職考古学者であり、称号は修士である。加え、宝石鑑定士資格も持つ強者だ。
出て来るのだ、考古学には、値の付けられぬ装飾品が。特に金。
此れを鑑定、復元するのが、八雲の本職である。
小さなルーペでサファイアの奥底を見た八雲は、純度が高い、と息を吐いた。
「御前って、金持ちなの。」
「まあ、人並みには。」
加納の言葉に、人並みの奴が百万のジュエリーをあっさり買うか、と秀一には珍しく顔をくしゃませ笑った。
「愛妻家なのなー。」
「まあ、ね。」
「ハゲだけど。」
調子外れのエックスを歌い乍ら秀一はセグウェイを動かし、猫を追い掛けた。


*****


「なんで来たの?」
非番の加納が来た事に木島は眉を顰めた。職場以外で全く関わらない木島は、初めて見る加納の私服に違和感覚えた。Tシャツにジーパン、襟元にファーの付いたブルゾン、そしてスニーカーと、こう見ると加納は本当に二十五歳の若者…いいや、大学生で通る風貌である。仄かに良い匂いもする、又其れが腹立った。
「直ぐ帰ります。」
「あれ…?」
木島の前に席を構える井上が、加納の姿に困惑気味に声を出した。
「加納さん…」
「はい。」
「あんた、髪、切ったの…?」
「はい。」
昨日迄加納の髪は、肩に付くか付かないかの長さを持っていた。其の長さが加納馨の特徴でもあったのだが、耳が出る位に切られている。
「なんで切ったんだよ…」
「妻に引っ張られた時痛かったので、掴めない程度に切りました。」
自分のデスクにあるファイルを立った儘開き、此れ此れ、と携帯電話で写真を撮ると頭を下げた。井上との会話はてんで無視である。頭には入るが、其処に感情は無い。
「お邪魔しました。」
職場に来てお邪魔しましたと挨拶するのも如何かと思うが、まあ良い。
廊下から聞こえる課長の笑い声、其の声は段々と近付き、ドアーは開かれた。
「本当、此奴、可愛いな。」
課長の腕にはオレンジ色の毛並みを持つ小型犬…ポメラニアンが抱かれており、課長に愛敬を振り撒いていた。
「何其の犬。」
不細工だな、と木島は云ったのだが、瞬間加納から物凄い力で側頭部を叩かれた。叩かれた、と云うよりは殴られた。
余りの強さに目眩が起き、頻りに瞬きを繰り返した。
「訂正して下さい。」
「はい…?」
「謝って下さい。不細工では御座いません。」
「そうだそうだ、可愛い顔じゃないか。狸顔で。なぁ?」
激しい剣幕と形相の加納、一方のんびりと犬を愛でる課長。
課長は犬好きである、其れは知っているが、猫好きと記憶する加納が何故此処迄怒り狂うのか判らない木島は、課長に抱かれる犬を見た。
其の、首周り。
オレンジ色の毛色に埋もれる青い色。
「あ…?」
見た事ある物が一周していた。
そう確か、聞き込みの最中で寄ったジュエリーショップ、其のサファイアのネックレス。
「うわ、なんだ此の犬!すっげぇモン首に付いてるよ!」
井上の言葉に、矢張りそうだ、間違いない、と木島は立ち上がり、恐る恐る犬の首に回るネックレスに触れた。
「触るなよ、御前汚いんだから、汚れちゃうだろう。」
課長の言葉さえ耳に入らず、眼球が零れ落ちそうな程開いた目で加納を見上げた。
「え…?」
加納の腕に渡った犬、もう少し、と課長は強請ったが、もう帰ります、とあっさりだった。犬は嬉しそうに加納にキッスを繰り返し、気持ち悪い程加納の顔面は蕩けた。
「なんです?」
侮蔑の目を受けた木島は、普段なら癪に触るのに、知った現実に何も考えられなかった。
「御前って、馬鹿なの…?」
さぁ…と頭から血の気が引くのがはっきり判った。
「はい?」
木島は井上に向き、揺れる指を犬に…ネックレスに向けた。
「百…二十万…」
「はあ!?」
「俺、俺、其の場に居た…、一括…カードで一括…」
煙草を吸っていた本郷は唖然とした顔で手を宙に止め、ゆっくりを加納を見た。
「失礼ですが、加納さん。」
「はい。」
「其方の方は…」
如何か頼む、間違いであってくれと、三人の目は加納に注がれた。
妖艶な薄い唇から出た言葉。ジーザス、此奴は馬鹿なのかと木島は過呼吸起こし、井上は信じらんねぇ、吐きそうと呟き、本郷は何を聞かされたのか判らない様子で辺りを見渡していた。
「おかしいと思ってたんだよ、結婚したとか。」
「おやまあ、そうですか?」
「百二十万、ねぇ…」
毛に埋まるネックレスに触れた課長は呟き、良い旦那持ったな、と小さな頭を撫でた。
「息…息が、出来ん…」
蹲り、タイを緩めボタンを開ける木島に、何時もなら無視する井上が、あんた大丈夫かよ、と優しく声を掛けた。本郷も心配そうに首を伸ばした。
「息が、息が、詰まる…」
「木島、大丈夫か。」
「助けて、課長…」
蒼白した顔で呼吸を繰り返す木島に課長は寄り、後ろから抱え込むと一緒に椅子に座った。
「よーしよし。」
鎖骨の下をトントン叩き、木島の呼吸を整える姿は、まるで犬をあやしているみたいである。
「御前、こんな事で過呼吸起こすなよ。面倒臭い…」
「だって…」
「まあな、判らんでもないが、其処迄ショックな事ではないだろう。」
「おやまあ木島さん、大丈夫ですか?」
大丈夫な訳あるか、と犬といちゃつく加納に怒鳴ってやりたい所だが、酸素が足りなかった。嗚呼、と怒鳴ると一気に酸素が減り、課長の肩に頭が勝手に乗った。
「おお、此れはいかん。結構重症かも知れん。」
「救急車呼びましょうか?」
「要らん。加納、早く帰れ。」
木島の口と鼻を両手で丸く覆った課長は、顎を動かした。指の隙間から、そうだ早く帰れ、俺が死ぬ前に、と聞こえた。
「おやまあ、では御機嫌よう。」
微笑んだ加納は犬の手を持つと一緒に振り、帰ろうとしたのだが、入れ替わるように入って来た女刑事に、やだ超可愛い、と引き留められた。
「可愛いでしょう。今日はー。」
「ポメラニアンですね、可愛い。今日はー。」
手を持った儘犬と一緒に加納は一礼し、刑事も同じにお辞儀した。
「早く…早く帰れ加納…」
「やぁだ木島さん、過呼吸起こしてる。大丈夫ですか?」
課長に抱えられ膝の上に乗り、本郷にファイルで風を送られ、井上に膝をポンポン叩かれる殿様然とした木島の姿に刑事は態とらしく眉を顰めた。
「加納さん、猫派なのかと思ってました。」
「ワタクシは猫派ですよ。」
そんな世間話は明日にでもしろ、いいや、夜辺り電話で囁き合ってろ、兎に角早く帰れと、木島を落ち着かせるのに必死の三人は二人を睨んだ。
「でも此の子、ワンちゃんですよ。」
「ワンちゃんでは御座いません。」
え?と刑事は加納を見た。
此れが犬で無かったらなんだと云うんだ。
訝しむ刑事に構わず犬の頬に自分の頬を寄せ、加納はジュエリー以上に輝く笑顔で云った。
「妻の、琥珀です。琥珀、ご挨拶ですよ。」
「あん!」
ひゅう……、と大きく木島の胸が競り上がり、いかん、末期だ、救急車、と課長が叫んだ。白目剥き、犬のようにハッハッと呼吸を繰り返す木島に、だから呼びましょうかと申しました、と元凶が吐き捨てた。
犬が、妻。
其れだけでも異常なのに、木島の此れは其れが原因では無い、妻と言い切った其の犬に高額のジュエリーをポンポン与えている事が一番の要因だった。
「奥様ですかぁ、羨ましいなぁ、琥珀さん。こんな素敵な人が旦那様なんて。良いなぁ。」
此のサファイア、大きい。
刑事の言葉に木島の意識が、途切れた。
判らんよ、天才の思考等、俺達凡人には。




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