煙草、買って来て。


普段呼ばれる事はそう無いのですが、と云うか、呼ばれても行きませんが、先輩であり、相方刑事の木島さんから二十二時近くに電話がありました、御前暇か、と。
全く、何と不躾な方。
例え後輩とはいえ、夜分に電話掛け、第一声が、今晩は、でも、今大丈夫か?、でも無く、御前暇か――呆れ果てて何も云えません。
ワタクシ、余りの無礼に黙っておりますと、聞こえてんのか能面――もう、ね。一度死んだら宜しいのではないでしょうか、彼は。
「あのぉ、木島さん。」
「聞こえてんじゃん。」
「今晩は、御用件は。」
「だから、御前、今暇?」
大体ワタクシ、此の、「暇?」と聞かれるのが大嫌いなのです、ですのでワタクシも、お時間御座いますか?、お暇な時にでも、では無く、お時間ある時に、と御相手に伺います。何かもう、イラ…とするのですよ。
失礼ではありませんか、暇、とは。
「御用件に依って、返事を決めさせて頂きます。」
ワタクシの苛立ちが伝わったのか、受話口から雑音が聞こえます。そして聞こえた伝言。

加納、貴様なんか祝いたくないって。無駄に老いろ、だって。

は?とワタクシ訝しんでおりますと、木島さんの青年ボイスが聞こえました。
「課長、怒ってるよ。」
「話が、全く…」
「今日ね、課長の誕生日なんだよ。」
早く其れを云えよ貴様。此の家鴨口、チビ!貴様、其のボブカットの真ん中にバリカン走らせるぞ。
「早く其れを仰って下さいよ!」
「聞かなかったの御前じゃん。」
云わなかったのは御前じゃん!
「行きます、行きます!何処でもドアーで参ります!」
「え、駄目。」
なんなんだ此奴は本当に…。
呼び出したいのかそうで無いのかも判らず困惑しました。
「コンビニ寄ってよ。」
「はあ。」
「煙草、俺と、井上と、本郷、ええと其れからね。」
俺のもぉ、と菅原先生の声も聞こえました。
「二箱づつ買って来てね!」
お願いね、と電話は切れました。もうあっさりと。つまり此れはアレでしょう?課長生誕祭に呼ぶ云々では無く、煙草が切れたから、使いっ走りが欲しかっただけでしょう?
電話をテーブルに置いたワタクシはハンガーに掛かるジャケットをソファに掛けました。
不安そうな目でワタクシを見る妻の頭を撫で、少し出て来ますから先に寝てて下さいね、と抱き上げ、ベッドに乗せた。
ワタクシの家はワンルームなので、寝室やリビングといった区切りが御座いません、部屋全体がワタクシの生活基盤であり、全てなのです。ベッドに乗せてもワタクシの動きは妻には丸判りなのです。
テーブルは確かに食事をする場所でもありますが、鍵や時計、其の他細々した物が乗ります。其処から時計を取り、付けると、とすんと妻がベッドから降りました。
「寝なさい、琥珀さん。良い子だから。」
行っちゃ駄目!
妻は小さな手でテーブルからキーケースを取ると、其の儘ベッドの下に隠れました。
誰だこんな、ベッドの下に隙間があるベッドなんか買った奴。
…ワタクシです。
だってまさか此れを買った時には妻が出来る等、又其処に隠れる等考えもしなかったのですから。近々、隙間の無いベッドに変える予定です。
「琥珀さん、良い子さんでしょう?ね?鍵、下さい。」
やあよ!
全く、困った妻です。
朝はあっさり送り出してくれるのですが、一度帰るともう駄目です。買い忘れを思い出しても、家から出して貰えません、軟禁です。其の時は妻と一緒に、散歩がてら買いに行くのですが、今日だけは無理です。
「琥珀さん、ね?ワタクシを困らせないで下さいよ。」
行っても良いけど、じゃあ帰りにアイス買って来て。
「此れ以上太る気なんですか!?」
デブって云わないで!
「貴女はおデブさんです。」
違うわよ!毛がもっさりしてるだけよ!貴方と違って!
「いいえ違いません、貴女はおデブさんに加え、意地悪さんです。…ハゲって今仰いました?」
此のデブ……なんですって……?――夫婦喧嘩になりました。
妻はデブと云われると怒ります、ワタクシはハゲと云われると怒ります。
時間が無いのに飛び掛かって来た妻に応戦したのです。
然もワタクシ、自が出ると、国言葉が出るのです、生憎妻しか知りませんが。
「鍵返さんね、此のデブ!痛かろうが、髪ひっぱんな!」
何よハゲ!又女の所でしょう!ハゲの癖になんでもてるのよ!全部抜くわよ!浮気できないようにアンダーヘア迄抜くわよ!あっはっは!
「嗚呼、うっさい!早よ、鍵出さんか!木島さんが怒るやろうもん!あん人一旦怒ると鬱陶しいったい!痛いって、云いよろうが…ぁ…、髪の毛、引っ張んな……」
木島さんなら、最初にそう云いなさいよ、此のハゲ!
「電話聞いとったろうもん、御前耳付いとらんとか!」
付いてるわよ!小ちゃいけど!
見なさいよ!、と妻は頭を鼻にグリグリ押し当て、バランスが崩れ、二人してベッドに倒れました。其れでワタクシ、ヘッドボードに頭を強打致しました。
「痛過ぎる…」
大丈夫?馨さん。
「煩い…、もう行く…」
アイス買って来てね。
結局妻は、ワタクシに何をしたかったのでしょうか。
ジャケットの内ポケットに電話を入れ、鍵をしっかり持つと、ベッドに寝そべる妻にキスをしました。

時間稼ぎよ、行ってらっしゃい。
あたしは云って、玄関の閉まる音を聞いた。


*****


店の近くにコンビニがあり、中に入ったのですが生憎煙草の置いて居ない店で、其処から少し離れた場所に煙草屋がありました。
煙草屋、と云うとこじんまりしたのを想像しておりましたが、其処は煙草屋と云うより、店でした。
聞いたところによりますと、煙草屋が半径何メートル以内にある場合、コンビニや商店で煙草が売れないらしいのです。
ま、あんな有害物質、一箱一万にでもすれば良いと思います。
自動ドアーなのです、此の煙草店。
カウンターには、両腕タトゥーだらけの、鼻と耳に漏れなくピアスを付けた若いお兄さんがワタクシを一瞥もせず座って居ります。真冬なのにノースリーブ、日本経済新聞を読んでおります。
「あの。」
「はい。」
「煙草を二箱、欲しいのですが。」
「何の?」
「はい?」
彼は新聞を畳み、太い首を傾げ乍ら聞きます。
何の?
木島さんの…?
同じにワタクシも首を傾げて居りますと、いやだから何の煙草が二箱欲しいの?、と聞いて来るではありませんか。
「木島さんの煙草が欲しいのです。」
「キジマ産?」
そんな煙草あったけ、と彼はずらりと並ぶ煙草を振り返り、キジマって何処だよ、とぶつぶつ云い、しゃがみました。
「あー、御免、お兄さん、キジマ産は無いわ。」
「無いのですか!?」
「あ、うん。世界各国の煙草ある筈なんだけど、キジマって国、聞いた事無いんだけど。」
「…いえ、木島さんは、国では無く、ワタクシの職場の先輩です。」
「……知るかそんなもん!え?何?キジマ産の煙草、じゃなくて、キジマさんの吸ってる煙草、なのね?」
「はい。」
「うん、御免な、お兄さん。俺、其のキジマ先輩とやらを知らないんだ。」
「…困りました。ワタクシ、木島さんのだけでは無く、他三名の煙草を仰せ付かって居るのです…。持って行かないと、クビになります。木島さんの暴君発動で。」
若し、ワタクシが彼の立場なら、出て行け、と申しますでしょう。御前の立場なんか知ったこっちゃねぇよ、商売の邪魔だよ、と。
彼はタトゥーだらけの腕を組み、どんな煙草か覚えてない?と聞きます。
人は見た目で判断してはいけませんよ、皆さん。こんな怖いお兄さんでも、優しいのです。
「どんな、煙草…?」
「色とか、判んない?」
見た事ある煙草、此処に並んでない?、と彼は態々背面に並ぶ煙草を見せるように身体を退かしました。ワタクシはカウンターに両手付き、首を伸ばし伸ばし眺めました。
「あ。」
「何?あった!?」
「其の赤!赤いなんか、うん!」
「此れ!?此の赤マル!?」
「…ですか、なんか少し、違います…、此れって、こう、ぱかっと、開きますか?」
こう、こう、と手を動かすと、嗚呼ボックスね、とカウンターに二箱置きました。
「嗚呼!此れです、此れ!全く同じです!」
「よしよしお兄さん、記憶力良い!他、他!」
「他?他ぁ……?」
井上さん、本郷さん、そして科捜研の菅原先生……。
あの家鴨口、絶対嫌がらせに違いない。
「井上さんは…ええと…」
「色、色だ、お兄さん!」
「なんせ机が向かいなので、見えないのですよ…、ええと…」
なんか、青かった気が、しなくもない…。
「ううんと…、青かったかなぁ…、いや青は本郷さんだった…、ええと…、匂いが強烈なのは覚えて居るのですよ、木島さんが、御前の、ゴ…ええと…」
「オッケ、匂いが強くて始まりがゴ。此れしかねぇよ、ゴロワーズ。」
こんな臭い、と一本彼はワタクシに渡し、側面を嗅ぐと、嗚呼、まさに此のなんとも言えない異臭は井上さん!
此のお店、試飲ならぬ試煙があるそうなのです。なので、テスターで一番前の煙草の封は剥がれています。
「此れです。井上さんの匂いがします。臭いです。」
「あはは。で、ホンゴーさんとやらは?」
「此れははっきり覚えて居ります、ピースのロイヤルです。」
「なんで覚えてたの?」
「綺麗だったので。」
ロイヤルブルーとゴールドの此の美しい配色!素晴らしい!煙草なのが残念ですが、此のパッケージは許せます。
カウンターに置かれた三種類。菅原先生の煙草が全く思い付きません、見た事も御座いません、喫煙者…なのは存じ上げて居りますが。
然しなんでしょう、物凄く、青空のようなパッケージを持つ煙草を買って行かないといけない気がします。
「あの、其方の…」
「ハイライト?」
「嗚呼、ハイライト…、此れが、ハイライト、なのですか…」
彼はカウンターには乗せず、何故かワタクシに手渡したのです。
じっくりワタクシは其れを眺め、眩む程の青空を、夜中だと云うのに見たのです。
「父が吸っていた煙草と同じです…、嗚呼、此れです。此れを、買わないと、いけません…」
彼はもう一箱カウンターに置きました。
「此れで全部?」
「はい。」
今時珍しい、チン、と鳴るレジ、……此のお馬鹿さん。
確かにね?値段を知らないワタクシも悪いとは思いますが、思いますが、此の金額は無いでしょう…、サリンに値する此れが、此れが……!
ワタクシはこんな物の為に、妻と喧嘩迄して家を出たのでしょうか。判りません。木島さんからパワハラを受けたのだけは判ります。


*****


「持って来ました、木島さん。」
「くそ!なんで全部当てやがったんだ、此奴!」
冗談じゃない、冗談じゃない、とワタクシの持って来た煙草に頭を抱え、此れ以上飲める訳が無い、と歯を鳴らしております。
「テキーラ行け、ほら木島!」
「もう、無理、もう無理ですって、課長ぉ…!」
「大丈夫、カズなら行ける、ね!俺のカズだろう?俺のカズなら、飲めますよぉ。」
グダグダの木島さんは、おやまあ珍しい、同じくグダグダの課長に首を固定されて居ります、何時もなら綺麗に巻かれる三つ編みが解かれて居ります。
如何なって居るのです?とジンを傾ける井上さんに聞くと、課長とゲームしてんの、で、負けた方がテキーラ一気、加納さんが誰一人として煙草間違えずに買って来たら課長の勝ち……唖然と致しました。木島さん、負けてしまいました。
「はい、兄ちゃん。煙草、大きにな。」
グラスを傾ける菅原先生に、一万円頂きました。なんです此れ、と伺いますと、煙草代、残りはお駄賃ね、とまあ何と太っ腹な男前な御言葉を頂きました、福沢諭吉と共に。
「兄ちゃん、何飲む?」
「あ、ワタクシは車ですので。」
烏龍茶を渡されたワタクシは上機嫌の課長に寄り、床に両膝を付いてグラスを向けました。
「おめでとうと御座います、課長。」
「あはは、有難う。」
「御名前も似ていれば、誕生日も同じなのですね。」
「……ほら、ほら見ろ、カズ。」
「何?何!?未だ飲ませるの!?」
「加納、俺と俺の崇拝するhideの誕生日が同じなの知ってたぞ。」
「はあ!?なんで知ってんの?なんで知ってんの!」
俺が電話する迄課長の誕生日知らなかった癖に、貴様課長のストーカーだな?と木島さんは仰います。
ストーカーなのは貴方でしょう。其れに、課長がhide崇拝者なのは、見ていれば判ります。パソコン、電話、タブレット、全ての壁紙が彼で、着信音迄彼なのですから、此れで崇拝者では無いと聞かされたら、少し考えます。
「hideの誕生日位、存じております。」
「そして、hide崇拝者の俺に、おめでとうと云うより喜ぶ言葉を、加納は知ってる。カズは駄目、だからテキーラ一気な。」
「いっひっひ、未だ飲ませる、うっはっは。」
酔いが完全に回る木島さんは膝を叩き、タイも何処へやら、今の内に動画でも撮っておきましょう。明日、見せます。
「フォぉおおエヴぁらぁあああ!」
「喧しいわ、シュウ。」
「なんだい、折角課長の為に、エックス歌ってあげようと思ったのに。」
こんな、こんな狭い場所でも、何故に貴方は、セグウェイに乗ってらっしゃるのですか、長谷川博士…。
「紅歌えよ。」
「良いよぉ!」
ううん、ワタクシもね、人様の事云えぬ音痴ですが、博士、嗚呼博士、貴方とは仲良くなれそうです。菅原先生等、余りの音痴っぷりに、煙草に火を付けるのも忘れ博士を眺めて居ります。本郷さんもです。
「大丈夫か?此れ。」
課長の機嫌が、と井上さんはジンと一緒に煙を飲み込みます。
「んー、大丈夫ちゃう?完全に酔ってるし。」
「課長、貴方帰れますか?」
空になったグラスを置き、課長に寄った井上さんは、何故か課長に抱き着かれて居ります。
「違う、ね、課長。俺、貴方のハニーじゃない。」
「八雲何処だあ!」
「斎藤さんは居ねぇよ。」
「宗、宗!」
「はいはい、此処よ。」
「シュウは何処行った。」
「御前の命令で紅歌ってるわ。」
「もう良いよ、歌わなくて。」
「もう少しでぇ、終わぁるーよぉお!」
「もう良いよ。」
課長の命令で歌っていた博士はしゅぅんとなり、誰か俺に酒をくれ、と泣いております。
加納!と叫ばれ、ワタクシびくりと強張り、烏龍茶を少し溢しました。
「飲め。」
「車ですって、課長。」
「宗が運転してくれるよ。」
「おや、菅原先生、飲んでらっしゃらないんですか?」
「飲めるか、こんな状況で。」
課長、きちんと判ってらっしゃるのか、井上さんに抱きつきはしたもの、菅原先生を横に座らせると、ずっと引っ付いて居ります。
「宗はねぇ、アッシーだよぉ。うふふ、オッケー。」
「嗚呼そうね、バブルん時から、俺は貴方のアッシーでしたね。」
「アッシーとか、死語過ぎるしぃ、あはは、オッケー。」
酔っ払い二人は、オッケーオッケー、オッケー牧場、と最早何処に向かいたいのか判らない次元に飛び、オッケーオッケーと繰り返します。
「加納さん。」
「はい…?」
「見捨てんでくれるか、此奴を…」
菅原先生の切実な願いにワタクシは本郷さんに向きました、そしてズボンのポケットから鍵を取り出し、渡したのです。
今迄のワタクシでは、有り得ない事なのです。
車の鍵、が付いているだけでは無く、家の鍵も…全財産の入る通帳がある其の場所の鍵を他人に渡す等、今迄のワタクシなら考えられない事なのです。
そう、此処に来る迄の、ワタクシなら…。
「頼まれて、頂けますか?ワタクシの家は……」
「…判った。貴方もベンツも、無傷で送り届けよう。」
本郷さんの声は何処迄も頼もしく、其の声にワタクシは一気にテキーラのショットグラスを傾けたのです。強烈なアルコールにワタクシは頭を振り、檸檬を口に入れました。其の酸っぱさにも如何にかなりそうで、でも何故でしょう、凄く、楽しいと思ってしまったのです。此の状況が。
木島さんに使われる事も、酒を強要される事も。
ワタクシは今迄、誰かに一度として、此処迄歩み寄られた事があるのでしょうか、いいえ、御座いません。ワタクシは常に一人で、其れが気楽と思い乍らも心の何処かで、混ざりたいと、思って居たのかも知れません。
でも、誰も、ワタクシを輪には入れてはくれませんでした。そんな状況にワタクシは何時しか慣れ、求めない事に決めたのです。
そうする事が楽だと、ワタクシの頭は、心を無視し、計算を弾いたのです。
「おお、行ったぁ!加納ぉ!」
「あっは、面白い!」
「だろう!?だろう、楽しいよな、ショットガン!」
はい……。
ワタクシは本心でそう云い、笑ったのです。
視界が歪むのは、強いアルコールの所為だと、心では無く、頭に、此の高度の計算を脆ともしない頭に言い聞かせました。
そうでもしないと、ワタクシは……。
「加納。」
「はい?」
博士の言葉に喉が動きます。
「俺達は、少し、周りを、無視し過ぎたかもな。」
セグウェイを撫でる博士の姿に、益々世界が歪んで見えたのです。
「俺達は、はっきり云って、頭が良い。けど、其れは、時として、人間で無くなる。」
「博士…」
「少し、廊下に出よう。」
うぃーーんと響く独特なモーター音に、惹かれました。
店の騒音が、微かに聞こえる廊下、冬の冷たい冷気が、アルコールで蒸気した頬を愛撫します。
カキン……ジジ……。
漂う煙草の匂い、響くデュポンの金属音。
「博士、煙草、お吸いになられるのですか。」
「普段は吸わない。年に何回か、だけ。」
アルコールだって肝臓の機能が本郷並みに低いから飲まない、と博士は云う。
「俺達。」
「はい。」
冬の冷気は、ワタクシの熱を冷ます事は無いと知りました。
だって、こんなにも、頬を包む熱は暖かいのですから。
「人間になれるかな。」
「なりましょう、博士。困難でも…」
博士は云う。知能は高いが、高いが故、俺達はコンピューターだと。
ええ全く、そうなのです、感情が、見当たらないのです。普通の方なら不思議でしょうが、人間の好意ですらワタクシ達の頭は計算してしまうのです。
「こんな頭、要らなかった…」
博士はセグウェイの手持ちに額を付け、吐き出しました。
「判らない、俺には。人間の感情が。其処には計算があるんじゃないかって、邪推する。好意でさえもだ。周り全員が、悪人に見える…」
「課長は、…菅原先生は、違います、絶対に…」
「だから困るんだ。愛情が、怖い。如何したら良い…」
セグウェイを握り締める手が、本心を物語って居りました。
愛情を受ける程、如何返して良いのか判らない。今迄緻密な計算で、利害関係でしか人間関係を築けなかったワタクシ達。
おやまあ如何やら、ワタクシ達は、バグが生じているようです。
「御出で、加納。」
「ほぉら、ハッセー、御出で。」
ショートしたコンピューターは、必要とされるのでしょうか。感情を見せる事で突き放されるのではないかと、常に恐怖と向き合って居るのです。
だからこそ、人と関わらず、生きて来たのです、一切の感情を押し込め。
「課長…」
「先生…」
「全く困った奴等だな、なあ、宗。」
「嗚呼、敵わんわ。」
親に貰ったのは、愛情では無く、期待……唯其れだけなのです。
期待に添え、初めて愛情が貰えるのです。
故に一見すると、多大なる愛情を貰い育った人間に見えますが、そうでは無いのです。無垢な愛情等、貰った事はなかったのです。
そう、此の様な……。
「テキーラで来たか?ん?夜は此れからだ、未だ未だだぞ。」
「課長…」
こんな暖かい腕、ワタクシは知りません。
「困ったな、泣き上戸か。」
「コッチもそうよ。ピーチ烏龍、飲み過ぎよ、ハッセー。」
「先生が飲ませたんだ!」
「はいはいそうな。」
本当、困った息子達だよ……。
其の言葉は何よりも暖かい物でした。今は、夏なのでしょうか、判りません。
「加納ぉ!」
「加納さん、テキーラ、未だ未だあるぜぇ?」
「大丈夫です、信じて下さい。」
「ううん、加納ぉ!」
「はいはい、木島さん。」
木島さんの体温と匂いさえ、ワタクシには愉快な物なのです。
「木島さん…」
「んー?…御前、本当、綺麗な顔してるな…」
「ずっと、付いて行きますから。」
吊り上がる猫目がぱちくりと開き、然し、下瞼持ち上げ笑う顔に、ワタクシも笑いました。
「よぉし、御出で、馨!」
「あはは、お手柔らかに。」
「お兄様はなあ!加減せんぞぉ!わはは。」
ワタクシ、思うのですよ、飛ばされて良かったな、と。
感情を剥き出し、警視総監を殴り付けたワタクシですが、ですからこそ、此処に飛ばされたのだと、ワタクシは思います。御前程欲望に忠実な人間には、此処が似合いだと。
「木島さん?」
「んー?」
「世谷署って、本当、楽しいですね。」
だろう?
木島さんの笑顔に、テキーラ一気、ワタクシ行きます。


*****


「一寸課長さん、大丈夫!?」
「あは!雪子ぉ!又来るねぇ!」
「菅原先生、本当にお願いね、和臣さんは私が送るから。」
「任し。ほら、御出で。」
「雪子ぉ。」
「又ね、課長さん、先生の言う事ちゃんと聞……ううん…」
「こら!刑事が強制猥褻するんじゃありません!」
「もう…本当に…、出来上がると直ぐキスするんだから、此の方は…、油断も隙も無いわ…」
「雪子可愛いな、やらせろ。久し振りに女としたい。」
「強姦予告しないの、貴方は本当に…、見境の無い…」
「龍太、帰るか?」
「だな。十二時過ぎたし。」
「んんー?なんか騒がしいと思ったらぁあ?Hey!Good Evening, guys!」
「Henry!henry!Honey!!」
「Hey, honey!出来上がってるんだねえ!?コッチに御出でよ……、夜は此れからさ……」
「ヘンリー、あかん!連れ込むな!」
「君に用は無いよ、俺が用あるのは彼だけさ…、御出でハニー、ワイン飲もうね…?ボルドーから輸入したよ…、ふふ…」
「飲むぅ。」
「あかん、あかんて、ほら!戻って来なさい!」
「宗煩い。」
「煩くないの!俺が貴方の旦那さんから怒られんの!」
「良いじゃないか、ねえ?」
「此のイギリス人ほんま…」
「ドイツには、負けないから…」
「加納さん大丈夫?歩ける?」
「拓也、背中に乗せろ、危なっかしい。」
「大丈夫ですよぉ、ワタクシはぁ。」
「博士、博士!何処行くの!」
「エレベーター遅い…、もうこっから飛ぶわ。」
「いやいや、此処六階よ?貴方!」
「足折る位だろう、平気平気。」
「セグウェイ乗れなくなっちゃうよ、博士!」
「長谷川博士!セグウェイ、俺が貰っちゃいますよ。」
「あ、其れはいかん。遅いよ、此奴!」
なんだか一気に疲れたわ。
雪子は吐き捨て、ソファで轟沈する和臣にキスをした。




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