「わかった!で、具体的にはどうすればいい?」
「こちらの指示に従ってくれ」


 栞は、少しだけぼんやりとする意識の中で、ナノモンの見えている方に左目が怪しい光を帯びていることに気がついた。杞憂かもしれないが、出来ることなら彼らに危害を加えないでほしい。光子郎がナノモンの指示で壁際に移動し、太一は光子郎の指示でレバーの前に移動する。ダイヤルを右に5、左に8、最後にボタンを押して、太一にレバーを戻すように指示をし―――栞は殺意にも似た敵意を感じ取った。急いで後ろをふりかえれば、そこにいは怒りに満ちた表情を浮かべ、今にも沸騰しそうなくらいにゆで上がった頭を振りかぶっているエテモンの姿がある。


(みんながあぶない…!)


 浮遊感に身を任せ、急いで一番近くにいた丈の手に触れる。しかし、彼女の手と丈の手が触れあうこともなく、す、と泡となり消えていった。まるで反発し合う水と油の関係のようで、栞はどうしようもない自分の非力さに、力強く拳を握りしめた。


「いいぞ…もう少しだ…」


 ナノモンが待ちきれないというように立ち上がる。小さな身体は始終彼らの行動を見つめていた。彼はエテモンが来ていることにも気づいていないのだろう。ただ歓喜に満ちた瞳が太一たちを射抜いていた。太一の右手がレバーに力が込められ、光子郎の顔に笑顔が浮かんだその時、ひんやりとした空気が彼らを突き抜けた。


「そこまでよ」


 拳を握りしめたエテモンが、何かを耐えるように震えていた。おそらくは、今にも爆発しそうな怒りを優雅に見せるために堪えているのだろう。


「エテモン…!!」
「あれだけ色んなことをやれば気づくわよ!!監視カメラもあるんだから!!」


 太一がしまった、と顔をゆがめる。空の言うとおり、軽率な行動を取ったのは自分だ。レバーから手を離し、少しだけ反省した面持ちでエテモンへと向き直る。一瞬だけ太一とエテモンの視線が混ざり、不意に視線を逸らしたのはエテモンの方だった。彼はゆっくりと視界にナノモンをとらえ、憎々しげに顔をゆがませた。戦いの末にようやく封印することができたというのに、またこうして外に出ようとする行為が腹立たしくて仕方がない。


「子供たちがこの大陸に上陸する時ネットワークがおかしくなったの。…守人の影響かと思ったけれど…あれもアンタの、」
「あの直前に修復を完了したのだ…」


 しら、と言い放つナノモンに、エテモンの堪忍袋の緒がぷつりと切れた。今一層ゆがめられた顔、醜いほどの雄たけびを上げ、彼はナノモンに向かった。


「太一―――ッ!!」


 アグモンの呼び掛けに、太一のデジヴァイスは答え、彼の身体を包み込んだ。


「アグモン進化―――グレイモン!!」
「テントモン進化―――カブテリモン!!」
「ピヨモン進化―――バードラモン!!」
「ゴマモン進化―――イッカクモン!!」


 アグモンに続き進化したデジモン達だが、完全体という様々な種のなかでも最高峰に達したレベルであるエテモンの前には、敢え無く薙ぎ倒されていく。しかし時間稼ぎをするのには十分すぎるくらいで、太一はくるりとうしろを向いてレバーを掴む手に力を込め、思い切り戻した。
 栞はただその様子を見ていた。次第に瞳の奥底から膨大で緻密なデータが押し寄せ始め、様々な触手が彼女を誘った。ゆっくりと口角は笑みを模し、流れ始めた脳内の音にゆっくりと目を閉じた。
 何かが、壊れ始めて行くのを――そして、それを望んでいた。


17/07/26 訂正
10/11/28

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