「栞、」


 疑問形から確定形に変わった語尾に、栞は余計に涙が溢れてきた。ぎゅう、と更に強く抱きしめれば、一馬も同じように抱きしめ返してくれた。「栞、」時々名を呼ばれ、栞の肩はぴくりと上がる。不器用にもゆっくりと背中を撫でてくれる優しさは、やっぱり一馬だからこそだった。


「会いたかった」


 しゃくり上げながら、心からそう思って、口に出した。一馬の少し吊りあがった瞳が、ぱちくりと動く。まるで、栞が「実は男だったの」なんてカミングアウトしたくらいの不思議なことを聞いたようだった。
 なんて言ったらいいか分からない。あー、と言葉を濁らせ、眉を寄せる。こういう時に己の不器用な性格が憎らしかった。二回、小さな背中を撫でてから、一馬はため息をついた。


「…朝、見送ったばっかだろ?」
「そんなこと、ないよ!探して、なかったの?」
「探すも何も、…だからお前が朝キャンプに行く前に、見送ったって」
「うそ、だよ。だって私、私たち、ずっと向こうで―――」


 ぼんやりと浮かんだビジョンを振り払うかのように頭を振った。『探すも何も』――『私たちは』『キャンプ場で一律に夢を見ていた?』――どん、と一馬の身体を押した。「いてぇ」と小さく呟いた一馬は、少しだけ不機嫌そうに眉を寄せる。それでもすぐに表情を崩して、彼女がペンダントを握る手を掴んだ。酷く暗い表情を、栞は浮かべている。まるで、彼女の兄である志貴が消えた時のように、置いてきぼりをくらった子供のような。何故このような表情をさせてしまったのか、一馬には分からない。ただ志貴の代わりに兄となると誓ったあの日から、自分が栞を泣かせてはいけないことくらい一馬にだってわかる。自分よりも背の低い彼女を慰めるようにそっと屈んだ。


「わたし、」


 くしゃ、と栞の顔が歪んだ。一馬はどうしようもなく不器用な己を呪う。結人みたいに明るかったら、この場を盛り上げるようなジョークの一つでも言えるだろう。または英士みたいに聡明であったら、栞を慰める言葉の10個くらい直ぐに見つけることができるだろう。または彼であったのなら、優しい笑顔を向けることができるだろう。何だか、自分が泣きたくなってきた。


「…今日が8月1日なら…私達は一体何をしていたの…?」


 その声は余りにも小さすぎて、一馬に届くことはなかった。


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