059 想いは足枷




 一馬は己の目を疑った。むしろこの状況下で、正常で居られる方がおかしい。あ、と声を洩らした。栞はその動くぬいぐるみを抱きしめ、よかったと言っていた。何が何だか分からない。玩具かと言ってしまえば簡単かもしれないが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。本当に生きているかのようにふわりと靡く白い毛に、心が奪われる気さえ否めない。


「栞…」


 だから、一馬は栞の名を呼ぶことしかできなかった。彼女はその動くぬいぐるみを抱きしめたまま振り返り、少しだけ眉尻を下げた。恐らく、言われることが理解できているのだろう。ぬいぐるみを抱きしめる手に力を込め、――やがて一馬の手を取った。


「夢じゃ、なかったみたい」


 栞はぽつりとつぶやいて、一馬の手を、抱きしめたイヴモンへと誘導した。少しだけ骨ばった手は、イヴモンに触れると、ぴくりと動いた。暖かさを持つそれは、やはり、生きていた。


「これは、一体何だ…?」
「デジモン、だよ」
「デジ、モン?なんだ、それ」
「えっと…デジタル、モンスター」
「そういうんじゃなくって」


 強い口調に、栞はびくりと肩を揺らした。あ、と一馬も目を揺らし、小さく謝罪を述べると、栞は首を横に振った。


「私もよく分からない」


 そう言って、栞はぽつり、ぽつりと話しだした。
 キャンプの日――ようするには今日であるのだが――キャンプ場に雪が舞い降り、オーロラに飲み込まれ、ファイル島へと辿りついた。そこでデジモン―いわゆるイヴモンと出会い、帰る為の冒険に出た。いつしか黒い歯車に覆われたファイル島を救うために、悪の根源――栞は少しだけ悲しそうな瞳をしていた――デビモンと戦い、ファイル島を助けることができた。しかし新しい目的地を見つけ、その大陸――サーバ大陸へと渡ることになった。そこで見つけたタグと紋章。蔓延る闇の力に負けて、自分の心の闇を曝け出した。人を言葉で傷つけた。守れなかった。すべてとは行かないが、簡略化して語る栞に、一馬はただ頷くだけしかできなかった。


「それで…よく、分からないんだけど…気づいたら、ここにいたの」
「…そう、だったのか」
「けど…まだあれから一日も経っていないんでしょう?」
「ああ。確かにお前は今日の朝、キャンプに行った。真っ青な顔で」


 一言余計だ、と栞は少しだけ頬を赤く染めた。


「…で、それが…その、デジモン、とかいうヤツなんだな」
「うん、デジモン。デジタルモンスター。私の、えと、パートナー…かな」
「そうか。…よく分かんねぇけど、…大変だったな」


 一馬は、ただ何気なく呟いた言葉だった。しかし、現在の栞の心には重たくのしかかる。『大変だった』――そうだ、『大変』だった。それでも。

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