家の中は思ったよりもゴタゴタしていた。親類が多いというよりも、近所のヒトたちの手伝いが思ったよりも多くて、当然俺は邪魔者扱いを受ける。
手伝いっつったって何したらいいか分かんねぇし、外に行ってろ!と追い出される始末。ぶっちゃけるとじいちゃんとの思い出はあんまりない。小学校まではそれなりに来ていたけど、つったって正月とかお盆とかくらいだったし、中学になってからは部活が忙しくてそれどころじゃなくなった。どんなヒトかって聞かれたって、そこまでじいちゃんのことを知ってるわけじゃなかった。だから訪ねてくる人訪ねてくる人が泣いてたり、惜しい人をなんて口ぐちにいうもんだから、当然俺は吃驚する。そこまで、慕われてたんだ、って。俺にはよく、分かんねーけど。
あちぃ。こう向こうのようなジリジリと嫌な暑さではないものの、建物が少ないし、圧倒的に一戸建ての家々が連なるばかりだから日差しが直に顔にぶつかる。暑いのは部活で慣れてるけど、テニスしてる時とは場面が違う。
外に出たって別にどこへ行くという目的があるわけじゃない。ここらのことなんざ全然分かんねぇし。「コンビニねえの?」ぼそっと呟いた言葉を聞いていたのか、しらねえおばちゃんに言われた。「歩きじゃちょっと遠いよ。車で10分くらいかな」…マジかよ。
しかたねえな。折角海辺の町に来たんだし、海に行こう。思い立ったがキチジツ。んなわけで小学校くらいまでの記憶を頼りに、俺は携帯をいじりながら歩き始めた。げっ、電波三本たたねぇじゃん!今日何度目か分からないため息をついて、携帯をポケットにしまった。
細い路地を突き進み、真っ直ぐ歩いて行けば、あったはずなんだけど――ふ、と顔をあげれば、そこはもう海だった。おー、海だ。微妙な感動。海っつったら砂浜を想像するんだけど、どうやらここ岩場らしい。閉鎖されているらしいプールの横に在る駐車場、そこを突っ切れば目の前には広大な海原が広がる。ぴょん、とガードレールを飛び越して、駐車場に入る。人っ子一人見当たらず、車も一台も止まっていない。潮風が頬を撫でつける。おりれねぇのかな。ンーと…。ひょっこりと駐車場から下を見下ろしてみた。



「…あ、」



灰色がかった岩の上に、寝転がる一人の女の姿がある。さっきのヤツだ。大きな岩場にあおむけになって、腕で目を覆っている。その頬に一筋の涙が流れていた。…泣いてんのか?俺が声を出したのが聞こえたのか、そいつは慌てて飛び起き、こちらを振り向く。「あ、」とそいつも声を出した。目が赤くなっていた。まるで俺がテニスをして目が充血した時のように真っ赤。ぎくりとした。なんだか悪いものを見たようだ。別に女が泣く姿なんて、仁王先輩とか丸井先輩が女子フッてんの見てるから見慣れてるんだけど。
じっと俺を見つめる目に耐え切れなくなった。「そっち」気づいたら、口がそう動く。



「そっち行ってもいい?」
「え?…あ、え、うん?」



向こうも俺の言葉は予想していなかったみたいで、驚いた表情のまま頷いていた「あ、左に階段あるよ」そのままの表情でそう付け足すもんだから、何となく面白くなって俺はわらった。「りょーっかい」左、な。あ、あった。すげえ錆ついてるけど。「岩とか揺れるのあるから気を付けて」階段を下りたところでそう言われた。階段降りてすぐに岩場とか。ちっちぇえのしかねえからどれも危なさそうなんだけど。バランス取るのは得意な方だと思うけど、っと。大きな岩に飛び移る。すぐそこに海水が入り込んでいた。岩と岩の間には水や海藻やらがある。あ、魚。そんなものを見ながらそいつのいる場所まで辿りついた。中々簡単じゃん。



「はやいね。吃驚した」
「まあ俺こういうの得意だから」
「自分で言いますか」
「自分が言わなかったら伝えらんなくね?」
「たしかに」



…やっぱり、変なやつ。あんまり学校にこういうやついねえから、何だか新鮮だった。特に俺のことなんて気にしないで喋ってくるとことか余計に。何かを隠すように緩まされた頬には、やっぱり、涙の筋がついていた。少し視線をそらす。「あちぃ…」たらりと頬を汗が伝った。暑さなんて慣れてるはずだ。部活中は死ぬほど暑い。ただ何もしてなくてただじりじりと照りつける太陽にさらされるのは慣れてねぇから。



「制服だから余計に暑そう。脱いで来ればよかったのに」
「他に服ねえし。荷物増えるからコレで行けって母ちゃんに言われたから」
「まあたしかにね。てか制服かっこいいっすね」
「普通じゃね?」
「いやいや、それが普通って」



自然と、俺は笑ってた。わけわかんねえけど、安心するっつーの?きっと、コイツが俺に対して何の気遣いもしてないからだろうな。クラスの女子とかって、ベタベタくっついてくるやつか、まともに話さねえやつかくらいだし。



「同じ年だよね、そういえば」
「高2なら一緒」
「じゃあ一緒だ。あ、うまい棒たべる?」
「うっわ、すげえ袋いっぱい入ってっけど、全部買ったわけ?」
「だって30円だし。買占め買占め。ここらコンビニないし、歩いて行ける場所には駄菓子屋しかないからさ」


傍らに置いてあった袋から一本のうまい棒を取り出し、俺の方に向ける。嫌いじゃねえし、むしろ腹減ってたから、と素直に受け取る。



「コンビニねえとか不便じゃねえの?」
「うーん。でもそれが普通だし。特には思わないかな」
「俺だったらぜってー無理なんだけど」
「うわあ都会発言キター」
「あ、今ちょっと似てた!」
「ありがとう。結構評判なんだ似てるって」
「ドヤ顔うぜー!…つか俺、アンタの名前しらねえんだけど」
「今さらすぎる。立花咲紅だよ。あだ名はさっちゃん」
「よし立花な」
「フラグ立ててあげたのに何そのスルースキル」



立花は袋をやぶってうまい棒にかぶりついた。しゃく、という音が耳に届く。「きったね」ボロボロ零れている足の上を見て言えば、「うっせ」と反論が返ってきた。



「そっちは赤也だよね」
「そーだけど。なんで知ってんの?」
「やや。だって為五郎おじいちゃんがいつも言ってたから」
「じいちゃんが?」
「うん、移っちゃったかな。ごめんごめん。くん付けとか慣れてなくて。えーっと赤也クン」
「別に呼び捨てでもいいぜ。つか逆にクンとか気持ちわりぃ」
「オケ。じゃあ赤也ね」


しゃく。しゃく。音だけじゃ何を食ってんのかわかんねえかも。「俺の食い方見習えよ」「えー赤也も結構汚いと思う」二人で海を眺めながらうまい棒タイム。向こうじゃ考えられないほどに、時間が流れるスピードがゆっくりだ。田舎パワーすげえ。
広がる海を少しの間無言タイムで見つめながら、ふと目に飛び込んだのは反対側の山中にある一つの校舎だった。ここからじゃ遠目にしか確認できねえけど、なんだかその場所から海を見守ってる感じがした。



「なあ、立花。あれ中学?」
「どれー?…ああ、あれ高校」
「ふーん。アンタが通ってるヤツ?」
「うん、そうだよ。地元で唯一の高校」
「え、あそこしか高校ねえの?」
「うん、ないよ。あとは1時間くらいかけないとないし。だからほとんどみんな同じ高校行くかなあ」
「マジ?」
「まじまじ。ほとんどは幼稚園から…うーん…幼馴染なんかは生まれたときくらいからもうずっと一緒だな」



そう言って、立花は笑った。



「おまえ、好きなんだな、ここが」



俺の口は、自然とそう言っていた。立花はきょとんとした表情で俺を見た。…何言ってんだ、俺。逆に俺の方がびっくりだ。



「好きだよ」



す、と何の恥じらいもなく。少しだけ呆気にとられた。そして、どきん、と妙に胸が刺激される。は?なんだこれ。隠すように、悟られないように、視線を海に移した。「私はここが好き」コイツが、妙に、笑顔で言うからいけねえんだ。「離れることが考えられないから」まるで、男にいう台詞みたいに、さらりと言った。だから、なんで、こんなに忙しねえんだよ。きっと間違いだ。バグが生じたんだ。失恋したばっかだから、どんなやつでも。



「だから、進路とか憂鬱なんだよね〜」
「なんでだよ」
「だって進学するとなるとここから離れなきゃいけなくなるでしょ?確実に一人暮らしは決定だし。県内にはあんまりないから、県外に出てかなきゃいけなくなっちゃう」
「そんなに離れたくねえんだ。俺にはわかんねえな」
「はは、ここに住めば分かるよ。不便でも、離れたくなくなる理由が」
「俺には無理だって。三日も持たねえな」
「早くない?一週間くらいは粘ってよ」



ケラケラ笑って、立花の視線は再び海へと向けられた。この海を見つめ、育ってきたんだとしたら、確かに見られなくなるのは寂しいものかもしれない。それでも俺にはあまり分からなかった。別に地元を離れるくらいどうってことはない。むしろ解き放たれた空間で、便利な生活を送れるならどれほど幸せなことだろうか。



「きっと赤也も好きになるよ」



ぽつり、と立花は呟く。どうしてか、その姿が悲しそうで。俺は、それから何も言えなかった。


夏の残像
きっときみも好きになる

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