お坊さんの声が、耳に届いた。為五郎おじいちゃんを弔うために集まった人々の中に私も居て、少し後ろの場所からおじいちゃんの遺影を見つめていた。
少しだけ日焼けした肌がヒリヒリとしていた。制服の上からでは分からない部分が、きっと赤くなってしまっているのだろう。そして、目も。
一番前に座っている彼は特に私と目を合わすこともなかったし、私は私で堪え切れない思いがあふれだして、誰よりも泣きじゃくってしまった。血のつながりがあるわけではないというのに、誰よりも近くにいたと自負している。隣にいたお母さんに手を握られて、その思いは益々膨れ上がった。
幾度となく訪れたこの家も、家主を無くして少しさみしそうにミシリと軋んだ。トキおばあちゃんは、これから一人になってしまう。遠目に見えるその背中が、いつもよりも小さく見えた。それでもおばあちゃんが泣くことはなくて、だからこそ余計に私は涙が出た。おじいちゃんとおばあちゃんは、ずっと二人だった。これからは、やさしいトキおばあちゃんを私が支えてあげなくてはいけない。
お焼香の時間になった。身内が一人一人、おじいちゃんに語りかけるように進んでいく中で、これでお別れなんだと気付いた瞬間、ぶわっと涙があふれ出した。



「…咲紅」



みっともなく声が漏れていたのかもしれない。お母さんにぎゅっと強く手を握られた。



―――…泣き虫でもいいんだよ、さっちゃん。その分、さっちゃんは人の痛みがわかる子なんだから。



不意によみがえるのは、幼き頃のおじいちゃんとの思い出だった。お母さんもお父さんも仕事でいなくて、泣いてばっかりいた私に、おじいちゃんは抱きしめながらそう言ってくれた。膝に小さな私を乗せて、いつもゆっくり語りかけてくれた。



「おじいちゃん…っ」



本当に、ありがとう。為吾郎おじいちゃんが居てくれたから、私は寂しくなんてなかった。お父さんもお母さんも仕事が忙しくて、参観日も来れなかったけど、まだ元気だった為吾郎おじいちゃんは、お父さんとお母さんの代わりに来てくれた。さっちゃん!なんて大きい声で名前を呼ぶから、私は少しだけ恥ずかしかったけど、でも凄く凄く嬉しかった。
ありがとう。 ありがとう。向こうで、うちのおじいちゃんと仲良くしてね。ありがとう。

そうして時間は過ぎた。誰もがおじいちゃんとの別れを惜しんだ。私も、ぼんやりとおじいちゃんの遺影を見つめる。素敵な笑顔をしていた。やっぱり、歳をとってても、おじいちゃんはハンサムだ。
その時、とんとん、と肩をたたかれ、私は目だけで上を向く。未だ腫れぼったい眼が、痛かった。目の中に入り込んだお母さんは、少しだけ忙しそうに濡れた手をエプロンで拭いていた。



「咲紅、お母さんたちまだお手伝いあるから先帰ってる?明日、登校日でしょ?」
「……うん」
「ほらしゃきっとしなさい。為吾郎おじいちゃんもそんなんじゃ安心して天国行けないよ?」



それほど、私はみっともなく腫れぼったい顔をしているのだろう。曖昧に笑って、立ち上がる。もう、外は真っ暗らしかったが、この家にはまだ大勢の人がいた。おばあちゃんもここにいるので、完全に帰ったら一人である。別に一人が寂しいわけじゃない。でも、今は何となく一人になりたくなかった。
重たい腰を持ち上げて、少しだけ狭い廊下へと出れば、台所からおばさんが顔を出した。



「あら、さっちゃん、帰るの?いろいろありがとね」



やっぱりお母さんと同じように、濡れた手をエプロンで拭いていた。おばさんは優しく微笑んでいたが、紅く染まった瞳が少し印象的だった。おばさんは娘なんだ。私以上に、悲しいんだ。
おばさんの言葉に首を振れば、おばさんも、首を振った。



「おじいちゃんね。電話かかってくる度にさっちゃんの話していたの。うちはほら、お姉ちゃんも赤也も中々会えないし、一緒に里帰りなんてしないでしょ?実の孫よりも、さっちゃんが可愛くて仕方なかったみたい。いつも一緒にいてくれて、ありがとうね」
「…っ、私も、…おじいちゃんと一緒にいれて、よかった、です」
「これからはおばあちゃんのこと、よろしくね」
「…うん」



私は、笑えていたかな。口角は、あげたつもりなんだけど。



「それじゃあさっちゃん。もう暗いから、気を付けてね」
「…大丈夫だよ、隣だもん」



気を付けて。再度おばさんに言われ、私はそのまま玄関へと向かって歩き出した。明日は登校日か。少しだけ遣る瀬無い思いをを抱えて、靴を履こうとした時――「帰んの?」ふ、と階段上から声が聞こえた。一階に居る場所がなかったから、二階に避難していたのだろうか。だからさっきから見かけなかったんだ。



「…うん。お邪魔しました」
「目、真っ赤だけど。帰ったら冷やせよ」
「うん、分かってる」
「……」
「……」
「送ってく」
「え?」



おもむろに、赤也はそう言って、私の横に立ったかと思えば、突っかけを履いた。「でも隣だからいいよ」そう言えば、赤也はちらりと私も見て、いいから、と。



「お前一人になんだろ?今みんなこっちにいんだし」
「でも、」
「別にこっちに居たって何もやることねえし、上に居ても荷物凄くて居場所ねえんだよな」
「赤也…」



戸を引いて、私を振り返り、早くしろよ、と。
向こうは全然そんなつもりなんてないんだろうけど。何となく心が見透かされたような気がして、 でも、嫌じゃなかった。



「これ」



外に出れば、もうすっかり月が顔を見せる時間帯だというのに、ムシムシとやけに暑かった。そんな中、玄関先にある小さな花壇。そこにひっそりと植えられている色とりどりの花々。



「これね。為吾郎おじいちゃんと植えたんだ」



赤也の足はうちに向いていたけれど、私の声に反応して、こちらを振り返った。その時、ふわっと彼のあちこちに跳ねている髪が飛び散り、舞った。



「よく小学校の時、朝顔育てなかった?」
「あーあったな。なんかあれだろ、一人一個もらって」
「うん、そうそう。私、水あげるのとか凄く苦手でいつも枯らしちゃってたんだよね。それで、おじいちゃんに相談したら…ここで花を育てようって言ってくれたんだ。それから毎日、水をあげるのが私の役目だった。ほらほら、見てみて。見事なもんっしょ?」
「自分で言うかぁ?」



ポケットに手を突っ込んだまま、少し呆れたような顔。やっぱり、おじいちゃんに似てる。



「赤也は、おじいちゃんに似てるね」



思わず。そう口走っていた。「は?」きょとんと大きな目を瞬かせ、私を見つめる。「きっともっとカッコよくなるね」小さく笑めば、今度は目を丸くしてから、少しだけ顔を紅く染める。



「ばっ、馬鹿じゃねえ?」
「はは!照れてるー」
「うっせ!ばか!」



確実に照れてる。思わず、声を上げて笑ってしまった。そうすれば、赤也はガシガシと髪を掻いて、ぶっきらぼうにそっぽを向いた。



「…変なヤツ」
「え?ごめん、聞こえない」
「何でもねえよ!つーか行くぞ!」
「ちょっ、待っ!」



スタスタと歩く後ろ姿は、高校生らしく逞しかった。
本当、あの人に比べたら、全然逞しい背中だった。それに、カッコイイ。



「…はやく、忘れなきゃ」
「は?なんかいった?」
「ううん。何でもない。つか家汚いけど」
「別に気にしねえよ、そんなの」
「じゃあいいや」
「…やっぱりお前変なヤツだな。ふつーは気にするだろ」
「だって今赤也が気にしないって言ったんじゃん」



なんて、そんな他愛もない話を。
クラスメイトの男子とすらこんなに話したことはない。きっと、遠い存在だからこそ、遠慮なしに話せるんだろう。今日のお通夜、そして明日の葬式が終われば、もう、会う事がないだろうから。
そう思うと、たったの二回こっきりの間柄だったけど、少しだけ寂しくなった。


夏の残像
夜に月の、花が咲いていた

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