写真のじいちゃんはただ笑っていたし、棺の中のじいちゃんも、さほど苦しそうには見えなかった。周りのすすり泣く声を聞きながら、不謹慎にも無性にテニスがしたいと思った。隣に座る姉貴はタオルで顔を覆って、泣いていた。俺は何となく、他人事のようにそれを見ていた。
「おじいちゃん…っ」一瞬、声が聞こえた。直ぐに、誰の声だか分かった。あいつだ。泣いてんのか、声が震えていた。前に座る俺からしたら遠くの場所にいるだろうに。本当の血のつながった俺が、他人事のように感じていて、血の繋がりのない立花の方が心を痛めて泣いている。ここに座るべきは俺じゃなくて、アイツなんじゃねえの。少しだけ、複雑な気分になった。

通夜は終わったが、何分人が多くて俺の居場所なんて直ぐになくなった。姉貴はどうやらおっさんたちと意気投合して一緒に話してんし、俺も呼ばれたけど、何せ疲れてる。あのおっさん達妙に絡んできてうぜーんだよな。1階は人で溢れかえってるし、2階でゆっくり休もう。そうしよう。あーと伸びをしてから廊下に出た時――アイツ、立花がぼんやりとじいちゃんの遺影を見ていた。その目は随分と腫れぼったくて、赤い。すげえ泣いたんだってことが分かる。母ちゃんたちが気遣うような視線を向けていた。もしかしたら、母ちゃんたちより、泣いてたかも、アイツ。少しだけそれを眺めて、足を2階に向けた。
2階だって物で溢れかえっていたから、足を伸ばすどころの騒ぎではなかったが、それでもいいや。あー…疲れた。部屋の隅っこで、クッションを置いて、そこに寝転がった。

何の夢を見たかは分からない。ただ、オンナノヒトが泣いていた。俺はそれを先輩だと思った。なんで、泣いてんスか、と声をかけようとした俺は、その手首を掴んで、違和感に気付く。せんぱい?―――じゃ、ない。ソイツは、涙を零しながら、「せんぱい、」と呟いた。俺と、同じように。

そこでハッと目を覚ます。今、何時だ?机の上においてあった目覚まし時計に目をやれば、まだ9時前だった。あんまり寝た感じしなかったけど、結構寝てたんだ。やっぱ疲れもたまってたんだろーな、最近部活ばっかだったし。あーっと伸びをしてから、何か飲み物を貰おうと階段を下りようとしたとき、アイツが見えた。




「帰んの?」気付けば、そう口にしていた。
「…うん。お邪魔しました」



腫れた目で、痛々しげに笑う表情が、さっき見てた夢のヤツと重なる。何故か、どきりとした。気付けば、また「送ってく」と勝手に言っていた。遠慮する立花の隣に無理矢理立って、突っかけを履く。外に出れば、熱気が顔中にまとったが、不思議と気持ち悪さは感じなかった。あわよくば居させてもらおうと足を隣の家へと向けたのにも関わらず、立花が動き気配はない。アイツに視線を向ければ、花壇を見ていた。立花がじいちゃんと植えたという花は、確かに、綺麗だった。感傷に浸っているのか、らしくもない表情を浮かべていた。気まずくて、目を逸らす。「見事なもんっしょ?」そう言って顔を向けられたから、適当に返せば、どうせ反論してくるだろう。「もー!」というような反応を待っていれば、じいちゃんに似てる、と言われた。「は?」意味が分からなくて言葉を返せば、「もっとかっこよくなる」と。そんなの、別に言われ慣れてるはずなのに、急にカーッと顔が熱くなるのが分かった。隠すようにガシガシと頭を掻けば、更に立花は笑った。なんかほんとーに腹立つ女だな、コイツ。
「汚いけど」そう言いながら案内された家は、じいちゃん家よりはこじんまりとしていた。じいちゃん家と同じく、和風のような家は、何となく心を落ち着かせてくれる。別に妙な緊張もなく、進められた通り、座布団に腰をおろした。ソファもねえのか、ときょろきょろする俺に、何か勘違いしたのか立花は眉をさげた。



「ごめんね。古い家だから」
「―いんや。別に気にしてねぇ」
「あはは。うん、気にしないで。あ。なんか飲む?お茶?ウーロンしかないけど」
「あ、別に平気っすよ」
「『っすよ』?どうしたん?」
「!…つい癖で…」



同級とつるむこともあるけど、基本、先輩たちと一緒にいること多かったし。お茶とか進めてくんの、…あの人だったし。気まずそうに眼をそらすと、立花は小さく笑った。



「ンだよ?」
「いーや。なんか可愛いね、赤也」
「は?」
「うん。可愛い可愛い。見た目がイケメンだから何かギャップってのかね?」
「おま…さっきから何だよ一体…」
「ええ?褒めてんですけど」



ケタケタ。愉快そうに立花は笑った。先ほどまで目を真っ赤に腫らせて泣いていたヤツと同じでは思えない。胡坐をかいて、その腿の上で肘をついて頬に手を添え、深いため息をついた。



「あ。テレビ見る?」
「なんかやってんの?」
「うーん…」
「あ、一応デジタルなんだな」
「バカにすんなし。…あ、お笑いと歌番あるよ。どっちがいい?」
「お笑い」
「おけ」
「てかデジタルなら番組表あんだろ。わざわざ新聞見なくてもよくね?」
「やや。映らない番組もあんだぜ」
「マジか」
「マジマジ」


ふつう、高校生の男女―年頃すぎる男女が、しかも夜、一緒にいたら何か起こりそうになるもんじゃねえの?リモコンを探す立花を見つめた。別に顔立ちは悪くない。てか普通。平凡。もっと可愛い子なんてたくさんいる。可もなく不可もなく。性格は―まあ、言い合いができて冗談で済ませるめんどくさくはない。おそらく後味はすっきりタイプ。別に嫌いじゃない。まあ、会ったの今日初めてなんだけど。ここまで話ができるとは思わなかった。まあ俺、人懐っこいと言われる存在だけど。
ふ、と手を伸ばし、ちょっとはためいているスカートをつかんだ。まあお互い制服着てんのは通夜だったからなんだけど。きょとん、と、立花はこっちを見た。



「どうかした?」
「…あんた、何とも思わないわけ?」
「なんの話です」
「一応俺男だしアンタ女なんだけどさ」
「うーん…」



じいっと顔を見つめられ、ドコとなく照れくさくなる。眉を寄せれば、立花は小さく笑った。なんだか、軽くあしらわれてる感出てんだけど。



「私、好きな人いるから」
「―そ。まあ、俺もいるけど」
「おお。マジすか。え、何々。後輩?同級?」



もう、叶わない恋ではあるのだけど。てか何俺。なんでこんな告白してんだよバカか。だからバカ也とか丸井先輩に言われ――思い出したらあの赤毛に向かった無性にテニスボールぶちこんでやりたくなった…。興味津々と目を輝かせた立花の背後で、芸人が民衆を笑かすために必死になっていた。



「そういうあんたは?どうなんだよ」
「私?うん先輩だよ。すっげカッコいいんだー!学校の人気者だぜ」
「うっわ高望みじゃねそれ」
「あははー。でも結構近いんだよ、距離的に。先輩テニス部でね、」
「…テニス部なんだ?」
「うん。上手いらしいよ。私見に行かんから知らないけど」
「ふーん。好きなのに見に行かねえとか変わってんな」
「まあ。他の子たちがキャーキャー言ってんの見てると―…こうイラッとするし。時々話しかけてくれるからそれだけで幸せ」



そういって。本当にうれしそうに笑う。「満足なのか?」思わず口から洩れた言葉に、立花は「満足だよ」そういっていた。俺は、相手がマネージャーだったし、自分の性格が人懐っこいっつーのもわかってたから、それを利用して先輩にここぞとばかりに話しかけてた。そのたびに、自分を見て欲しいって。もっともっと話してぇって思ってた。普通、好きな人が出来ればそういう感情抱くもんだと思う。なのに。時々話しかけられるだけで満足って、どれだけ欲薄いんだよ、コイツ。



「だって先輩が私のこと知っててくれるだけで奇跡だもん。それ以上なんて、望めない」



その男の顔が、見てみたくなった。
なんでだかわかんないけど、もはや立花は俺にとって、ただの顔見知りではなくなってしまったわけで。へらへら笑ってるけど、本当はそいつのこと好きで仕方ないって顔してる。一途に誰かを思う時点で、自分と重なる部分があるからかもしれねえけど。



「勿体ね」
「んん?」
「だって喋んないと分かんなくね?人の良さなんて」
「――…、」



先輩たちを見て思った。って、俺もらしいんだけど。何でも容姿が良くてテニスが上手くて、すげえから、テニス部は人気部活だったらしい。ギャラリーすごかったし。俺にはよく分かんなかったけど。でも所詮囃し立ててるのは外面的部分だけだ。特に俺なんてあんな性格だったし――つっても今でもそんな変わんないけど、内面的なところなんていいトコあんまねえし。だからそれを踏まえたうえで俺にも優しくしてくれたあの人に惹かれるのは仕方なかった。



「……今少しドキッとしたよ、赤也」
「あ?何言ってんの」
「だって急に真剣な表情になんだもん。あんま難しい言葉とか知ってそうにないのに」
「アンタ潰すよ」
「ちょ、なんか目充血してんですけど!」
「うっせ!」



人が折角少ないボキャブラリーで言葉を選んでやったというのに。バカにしやがって。



「でも、その通りだね」
「…だろ?つっても中学ん時の部長がそう言ってたから俺もそれ使っただけなんだけど」
「まあ、赤也のっぽくなかったし、そこは」
「てめ!」
「まあ、うん。でもありがと。頑張ってみる」



ドキ。
そういって笑う顔が何だか急に大人っぽくて。ちょっとだけ、心臓が揺れた。…は?ちょ、どうしたんだよ俺の心臓!立花如くにやられたとか俺末期だどうかしてる。呆然としていると、俺の髪をぐしゃぐしゃとかき回して―ちょっ、てめ、何してんだ!



「うっわ!この髪すごい!なんだかわかm」
「それ以上先いったらがちでお前潰すから」
「え、どうやって?潰すって圧力?圧縮しちゃう感じ?」
「おま、マジふざけんなよ!」
「うそうそ!…アアでもいいね、その髪の感触…」
「どうやら潰されてえみたいだなぁ…」



冗談まじりに、が、っと手をつかんでやった。…あんがい、細い手首に、ドキ、とやっぱり。カーッと脳内が熱くなった。立花の力がふっと抜け、勢いのまま、そのまま。どん、とあいつの背が床とふれあい、俺の下に、あいつがいた。不意に、部長とテニスをしているような熱い感覚が、脳内を支配した。――先輩。不意に思い出すあの笑顔。だけど目の前にあるのは見開かれた瞳。重なる。 否、重ならない。目の前にいるのは確かに、立花だ。
何かに取りつかれたように体は重く。俺の脳内は、正常に機能してなどいなかった。

夜は深く沈みゆく。隣の家からは酒によったオトナたちの声が聞こえてきた。明かりは電気一つ。そんなすべての環境さえ、官能的だった。


夏の残像
暗闇が愛を語る

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