よく眠れなかったのに、お母さんのけたたましい声によって私は目覚めた。頭がぼーっとする。もうちょい娘の心情を察してほしい。今日も今日とてお隣さんのお手伝いに行かなくてはいけないから、少しでも自分たちの負担を軽減したいんだろう。欠伸を噛みしめながら下に降りていけば、背中を丸めたおばあちゃんがこちらを向いた。「あらさっちゃん、おはよう」しわくちゃの顔をくしゃっとゆるめたおばあちゃんのこの顔が私は大好きで、「おはよう、おばあちゃん」自然と自分も笑顔になった。
食卓には既にご飯とみそしる、焼き鮭やら納豆やらいろいろ並べられていた。朝からこんなに食べれないよ。ぶっちゃけご飯食べようとするとリバースしちゃいそうになる。でも今日は登校日だし、早くても終わるのは12時頃だろうから、その頃にはおなかも空いてしまうだろう。



「ほら、咲紅。ちゃっちゃと食べちゃいなさい」
「うー…ん、」
「お母さんたち、今日もお隣行かなくちゃいけないから、咲紅のこと送っていけないのね。だから――」



バスで行けっていうことね、はいはい。味噌汁をご飯にかけて猫まんま飯をひたすらちびちびと口の中に放り込んでいけば、胃の中にすーっと溶け込んでいく気がした。これなら朝からでもまだいける。「そういえば」前掛けエプロンで手をふきながら、ようやくテーブルについたお母さんが、ちょっとだけ笑っていた。おばあちゃんはニコニコしながら話を聞いていた。お父さん?お父さんは昨日夜通しで飲んでいたから、まだ寝てる。ずるい。あーあ学校なんて爆発しちゃえばいいのに。ずず、とお茶を啜った。



「昨日、お隣のお孫さん――ええと赤也くん、もこっちにいたのね」
「ぶっ!」
「ちょっと、汚い!」



お、お母さんが変なこというから!気管支に入ったお茶が、鈍い痛みをのどに残す。ごほごほ、と軽く咳き込めば、お母さんが汚れたテーブルを雑巾で拭いた。「お母さん変なこと言ったかしら」とぶつぶつつぶやきながら。




「む、向こうは人いっぱいだったし、居る場所ないっつって…」
「…あら、顔が赤いけど」
「咳き込んだからじゃないかな!あ、あー!もうこんな時間!支度しなきゃ!」
「え。ちょ、咲紅?まだ残ってるじゃない」
「これ以上食べたら吐いちゃうよ!」



半ば言い捨てるように、バタバタと足音を響かせ、自分の部屋に戻る。ベッドに座り込むと、スプリングがぎしりと鳴った。火照る頬を抑える。あんな状況にあったのが初めてだったから、こんなにも頬が火照るし、心臓が鳴る。だけど相手は明日になれば帰る人間なんだから、もう気にしないようにしなければならない。ぶるぶると頭をふった。そう、あれは事故であったし、何せ未遂なんだから。…未遂だから。



―――…っ、わりぃ…。



あちらこちらに跳ね回った黒髪の下からのぞいた赤い頬。うぎゃあああ。もう叫びまくって町内一周くらいしてやりたい。パジャマとして使っているTシャツを脱いでベッドの上に投げ捨て、シャツに手をかける。――どうして夏服だと制服変わるんだろう。可愛げの欠片もない制服は、昨日の名残なのか、いたるところが皺になっていた。どう頑張って忘れようとしても、どこかしらで点々と記憶に残っている。そりゃあ昨日今日で忘れるなんて。




( 大好きなおじいちゃんが亡くなったっていうのに…何してんだ私 )




タンスに頭をがんっとぶつけて気合注入。ともかく今日は登校日なわけで、きっと先輩の姿を見ればこんな気持ちすぐに消え去るだろう。そうだろう。てか友達と話してたらきっと気はまぎれる。ふぅ、とため息をついてボタンを留める。最後にスカートをはいて、もう一度ベッドに座り込んだ。 

学校、めんどくさいなぁ…。

学校嫌いじゃないし、登校日だから掃除したりするだけなんだろうけど――ぶっちゃけその掃除がめんどくさいことこの上ない。30分て。30分て何を掃除すればいいのか分からなくて結局手持無沙汰になるんだよね。ぶっちゃけ普通の掃除の時ですら5分も経たずに終了するのにさ。友達とダベって終わるんだろうなぁ。と言っても同じ掃除の場所に友達いないや。寂しい。

そんなことを悶々と考えていたら、いつの間にか登校の時間になったらしい。7時25分。よし、行くか。
山にある高校に行くには徒歩ではさすがに行ききれない。登校途中に脱落すること間違いない。だからいつもお母さんに送ってってもらってるんだけど、今日は仕方ない。バスの時間を調べたら、ちょうど45分に来るみたいだし、ここからバス停までは頑張っても10分はかかるからこのくらいの時間に出るのがちょうどいいだろう。田舎舐めんな。家の近くまでバスこないんだぞ。登校時間だから今の時間帯はバスだって20分間隔でくるけど、普通の時間帯は一時間に一本くるかこないかだぞ。



「行ってきまーす」
「ああ、気を付けてね!帰りも迎え行けないからバスでお願い!」
「オッケー。…いいや、帰りは歩いて帰ってくるー」
「…そうだね。ダイエットダイエット!」



帰りなら、なんとか徒歩でも大丈夫。だって下り坂だから。30分以上はかかるけど。この町は異様に坂が多いから困る。平坦な道は数えるくらいしかないんだもん。ほぼ坂で構成されてる町なんだよね。
戸に手をかければ、嫌になるくらい熱気が伝わって来る。やだなぁ、学校着く前に汗だらけになってる、絶対。ため息をついて戸を開けた。がらがら。―ん?二重で、聞こえたけど。前の山田さん家かな。と、視線をあげても誰もいない。気のせいだったか、と一歩前に出したところで。



「あー…よう、」



昨日一日で十分すぎるほど聞きなれた声。目を見開いて、その姿を網膜に焼き付ける。「あ、」と、小さな声が漏れた。―不意に脳内を掠めるのは、 昨日の出来事。彼も気まずいのか、寝起きなのかぼさぼさの髪をぐしゃりと掻きあげていた。



「ぷっ」
「? 何笑ってんだよ」
「ややっ、だって髪酷いよ」
「てめっ、これはいつものことだっつーの!」



バックを持ち直し、じっくりとその髪を見れば、ますます笑いがこみ上げる。人の外見的な部分を笑ってはいけないと思うけれど、もともとウネウネとした髪は寝起きのせいで余計に酷いことになっている。ごめん。笑うなとか無理だから。口を押さえてぷくくと笑えば、赤也はもう知らないとばかりにため息をついて私の格好を見た。



「なんだよ、今から学校?」
「え?あ、うん。登校日。かったるいよねー」
「歩きなわけ?」
「まさか。昨日見たでしょ。あんな場所まで歩いていけないよー。てなことでいつもならお母さんの送迎だけど、今日はバス」
「あー…そっか。…告別式には間に合うのかよ」



一つ、声を落として問われた。 少しだけ、気遣わしげな視線に、小さな笑みを落とす。「間に合うよ。てか、間に合わせるし」本当だったら、遺族である彼に対して、気を遣わなければならないというのに、少しだけ立場が逆転していることに不思議と変には思わなかった。おじいちゃんと過ごした時間だけは、多いって、自負してるから。



「あー、そろそろ行かないと。バス間に合わなくなっちゃうから」
「…おう。ま、学校頑張れよ」
「今日の頑張る要素は大掃除かなー。心底めんどくさい」
「分かる」
「でしょー?てか明日の体験入学のために掃除とか…!先生たちでやれよーとか思いながら行ってきまーす」



よし、自分とても自然だったよね?いや、絶対気まずくなると思ったから、そんな要素どこにもありませんでしたと言わんばかりの態度で接したつもりだったんだけど。向こうも、別に普通だったし。よし、昨日のことはもうすっかり忘れた!てかなんか赤也の顔見てたらなんか違うなって思った!って結構失礼なことだよね、うん。 カッコイイんだけど、…うーん。私には好きな人がいるし、向こうにも好きな人がいるし。だから、 大丈夫なんだよね。

――…だとしたら、この胸の高鳴りは一体何なんだろう。


夏の残像
君は知らないだろうけど

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