よく眠れなかった。暑いっつーのもあったし、せめぇっつーのもあったし、じいちゃんに対する別れの手紙みたいなのを書かなきゃいけなかったし―なんつって諸々の事情を付け足すが、本当の理由は分かっている。何より昨夜のことが頭から離れなかったからだ。
そんなこんなであんまり寝てねぇから、洗面所に立って鏡見たら、目が薄らと充血してて、なんか笑えた。冷たい水が顔全体を刺激し、心地よい。まだ朝早いけど、朝っぱらからバタバタしてたから、あんまりゴロゴロもしてらんねえし、適当に着替えて下に向かった。



「あら赤也、もう起きたの?」
「こんな中じゃ寝てらんねえし――メシまだ?」
「もうちょっと時間ちょうだいよ」
「しょーがねえなー」



頭を掻いて、廊下に出て、外に出る。ちょうど、隣からがらりと戸が開く音が聞こえ、首だけそっちへ向けた。―ドキッと、妙に胸が締め付けられた気がした。あいつは―立花は何食わぬ顔をして、そこにいた。制服姿にバックを持っているところからして、恐らく今から学校なんだろう。急に昨夜のことがフラッシュバックされ、自分の顔に熱が迸るのがわかる。やべえ、なんだよ、これ。収まれ。




「あー…よう、」



気まずい雰囲気が思わず放出される。「あ、」と向こうは声を漏らした。カッと全身が熱くなって、不自然に立花から視線を外し、髪をぐしゃりと掻きあげた。いつものごとく、好き放題跳ねている髪だった。




「ぷっ、」
「? 何笑ってんだよ」



笑い声が聞こえ、不愉快に思いつつも、言葉を交わす。なんとなく、最初の気まずさが一気に消え去った。たぶん、これがこいつのいいところであって、空気読めねえとこでもあるんじゃねえの。ため息をついて、目の前まできた立花を見る。昨日と同じ制服は、俺たちのと違って、どこか新鮮だった。今から学校かと問えば、肯定と付け足しの返事が帰ってきた。
今日学校って。なんだよ、学校空気読めよな。



「告別式には間に合うのかよ」



思わず、俺らしくもなく、気遣ってつぶやいた。こんな姿、死んでも先輩たちには見せらんねえ。生意気とか言って頭ぐしゃぐしゃにされる。―目の前の立花は、小さく笑った。



「間に合うよ。てか、間に合わせるし」



なんで、俺が孫で、こいつじゃないんだろうとか思った。俺は別にじいちゃんに対して思うところがなければ、ぶっちゃけどっちでもいいとか思ってしまうヤな奴だ。こいつは違う。ずっとじいちゃんのそばにいて、孫のように育ってきた。本当の孫であったなら、そうすれば、登校日なんて無視できるだろうに。
俺のそんな表情に気づいたのか、立花は、やっぱり笑った。



「そろそろ行かないと。バス間に合わなくなっちゃうから」
「…おう。ま、学校頑張れよ」



なぜか、胸が痛かった。だからか、俺は単純な言葉しか返せなかった。だから、バカ也ってからかわれんだよってわかった。もっと気の利いた言葉でもいえたら、部長とかに大人になったって褒められんだろうな。



「今日の頑張る要素は大掃除かなー。心底めんどくさい」
「分かる」
「でしょー?てか明日の体験入学のために掃除とか…!先生たちでやれよーとか思いながら行ってきまーす」



ポケットに手を突っ込んだまま、立ち去る背中を見送る。普通に会話してたし。昨日の夜の葛藤っつーか、あれ、なんだったんだよってくらい。
ふつーに着崩した制服は、やはりどこか田舎染みていて、でもそれが変だとはちっとも思わない。同い年のはずなのに、なぜか立花が大人びて見えた。ひらりと舞った少しだけ短いスカートが角に消えるまで、俺はそこにいた。 
結局、赤也ご飯できたよ、という姉貴の声がかかるまで、俺は外にいた。日中ほどじゃないが、それでも日差しは既に俺の頬を照らしていて、―だからだろ。

こんなにも、頬が熱く感じんのは。



□ ■ □ ■



赤也くん大きくなったねえなんて、親戚のおばちゃんたちの言葉に、そうっスかなんて愛想を巻く。知ってっか?俺、人懐っこいって有名なんだって。
イトコとかいるみたいだけど、あんまり分かんねえな。とりあえず、姉貴と話してるのは、誰だ?―周りの様子を、頬杖をついた状態で見ていた。や、だって部長に言われたし。お前に足りないのは観察力だってさ。



「おじいちゃんいなくなって…おばあちゃん一人でどうするんだろうねえ」
「誰かが引き取るとか?」
「でもおばあちゃん、絶対家を動かないわよ」



ヒソヒソと話すおばちゃんたちの声が聞こえた。おいおい、それじゃ丸聞こえだっつーの。でも何となく話の内容が気になって、体制をかえ、両手を後ろについて伸びをしてみた。



「でもねえ、一人じゃねえ。最近じゃあ、あんまり自分で出来ないんでしょう?誰かが面倒見るしか」
「でもうちだって…」
「子供もまだ小さいし…」



ばあちゃんがどうのとか言ってっけど、結局、自分たちのことしか考えてねぇのが丸分かりだった。ま、しょうがねえとは思うけどさ。
その時、パッと立花の顔が浮かんだ。あいつがこの話を聞いたら、どう思うんだろうか。こんな人任せに思っているおばちゃんたちに任せるくらいなら、アイツに頼んだほうがよっぽどばあちゃんのためになるとか。それこそ、他人任せもいいところだけど。



「赤也!こっち来なさいよー」
「うっせ、ばか!俺今考え事してんだよ!」
「んだと、お姉さまに向かって口答えするなんていい度胸してんじゃないのアアン!?」
「いてっ!この暴力女!」


この時、本当は部活のこととか、あんまり頭になくて。先輩のことよりも、―立花のことばかりを、考えていた。



夏の残像
どんな顔でそれを僕に言わせたい

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