「今さらだけど、あの……木ノ瀬くん、でいいかな」 「好きに呼んでください。気にしませんから」 「じゃあ木ノ瀬くん。えーと、なんでまた……あ、その前に木ノ瀬くんこの世の物食べて大丈夫? ヨモツヘグイにならない?」 「 「あ、そうですか……」 ヨモツヘグイ……あの世のものを食べたら現世に戻れなくなるというもので、日本神話ではイザナミ、ギリシャ神話ではペルセポネーが有名だろうか。私もかつては颯斗くんに乙女座の神話を聞いたものだ。CDで。 この世界が梓くんにとってあの世なのかは分からないが、私は忠告をした。後の事は自己責任でお願いしたい。 「それで、えーと……木ノ瀬くんはどうして……あー……やっぱいいや。木ノ瀬くんからどうぞ」 なんで私の家の前に? どうして私を待っていた? どうして現実に梓くんがいる? どうやって現れた? 貴方はいつの梓くん? 月子ちゃんと出会う前? それとも後? 元の世界に戻れるの? 聞きたいことは山ほど出てくるが、まずは梓くんが安心することが大事だ。私への警戒を解いてもらうこと。それが私が彼にできる一番であり、私にとっての最善に違いない。 「正直、僕もよく分かってないんです。最初は誘拐されたかと思ったんですけど、それにしては拘束されてないし、簡単に外に出ることもできて」 「ちょっ……と待って。ストップ」 失礼は承知で話の腰を折る。誘拐された? 外に出る? まるで部屋の中にいたような言い草だ。梓くんは外で私を待ち伏せしていたのではない、のか? 「木ノ瀬くんは私の家に入ってたの……?」 「気が付いたら知らない家にいた、と言う方が正しいですね。入った覚えはありませんし。とりあえず、内装から女性の部屋かなと思って、中で待っているのはまずいと思って外で待たせてもらいました」 梓くんが、私の部屋に。 「あんな汚い部屋にすみません……!」 「ああ、いえ、確かに生活感がありましたけど、もっと酷く散らかっている部屋を見慣れているので大丈夫ですよ」 おそらく翼くんのことだろう。ここで彼の従兄弟の名前を出すのも話がややこしくなりそうなので、頭に浮かんだ返事をスッとかき消した。 「続けますね。外に出てみたら見たことのない場所だと思って交番まで行って、場所を教えてもらったらここは東京都だっていうじゃないですか。星月学園から距離がありすぎる。どう考えてもおかしい。何か理由があるんだろうと思って、とりあえず警察には何も言わずに家の前で待たせてもらいました。家主の許可なく女性の部屋に居座るのも気が引けたので」 「木ノ瀬くんが理性的でよかった……!」 「そして、家主さんが戻ってきたと思ったら、僕の名前を言うし、なぜか驚いてるし、何が何だか」 つまり、誘拐されたと思ったけど誘拐と言うにはセキュリティはあまりにも杜撰であり、易々と外に出ることができた。外は見慣れない景色なので警察に行ったら星月学園からだいぶ離れていることを知った。 賢い梓くんのことだ、日付の確認くらいは何かしらの方法でしているだろうし、梓くんの認識と日付の誤差もないということだろうか。……恐らく、月日は合っていても年単位では違うと思われるが。 とりあえず、まずはいろんな誤解を解かなくては。 私は梓くんに害を与える存在ではないことを理解してもらわなくてはならない。 「えーと、まず誓って私は木ノ瀬くんを誘拐してないし、ストーカーでもありません。名前を知っていたのは……ちょっと、事情があって、説明するとややこしいから考えさせて」 「納得できません。説明してください」 ぐ、と言葉に詰まる。 それはそうだろう。一方的に知られているし気が付いたら家にいたのにストーカーではないし誘拐もしてない。ではなぜ自分はあんなところにいたのか、梓くんは知りたいはずだ。だが、それは私だって知りたい。 それに、梓くんがフィクションのキャラクターであると本人に教えてもいいものなのだろうか? パニックを起こすとは思っていないが、こういうのは本人に教えるべきではない気もする。 「……とりあえず、一方的に知っているんです……木ノ瀬くんのプロフィールも、暗記してます」 「………………」 「待って! 本当にストーカーではないんです! 若かりし日の純情な愛というか……!」 「………………………………」 じっとこちらを見つめる。引いている、というより、私を信用していいか測りかねている目だ。 視線が痛い、というか、心が痛い。梓くんにこんな敵意にも近い感情を向けられるなんて。 「とりあえず、僕、学校に戻りたいんですけど」 「運賃を払って解決するならそうしてます……」 どうすればいいのか分からない。木ノ瀬くんがフィクションの人物だと本人に伝えて良いものだろうか。だが、伝えないとどんどん私の心象が悪くなる。本当に警察のお世話になってしまうかもしれない。 はあ、と観念してため息を吐いた。もうこれは言うしかない。だってそれ以外に私ができることがない。 うまく誤魔化す自信もないし、何より、私が梓くんに対してそれをしたくない。 「……ちょっと待ってて。あ、お代は置いてくから、私が信用ならなかったらお勘定して逃げてもいいよ」 「どこへ行く気ですか?」 「一回家に戻って、資料取ってくる」 「資料?」 「……木ノ瀬くんの、資料」 ああ、眉間にすごく皺を寄せている。 ストーカーじゃないと言いながら資料があるなんて怪しいですよね。 私は木ノ瀬くんの視線を振り払って、来た道を戻った。 家に着き、クローゼットの奥からダンボールを引っ張り出す。 数年前に再燃し、長期休暇の際に家からCD、ゲーム、ファンブック一式を持ってきておいてよかった。まさかこんなことになるとは思わなかったけれど。 私は適当なバッグにファンブックと梓くんのCDを入れる。 引かれるだろうか。いや、ファンブックとCDくらい、ファンなら誰だって持ってる。問題はそれを本人に見せるということで、私は別にコアなオタクでもなんでもないのだ。梓くんの大部分を知っているという自覚はあるが、きっと問題はそこじゃない。たぶん。恐らく。引かれたらそれは仕方のないことだ。 私はバッグを引っ掴んで、2往復目となる道を進んだ。 「……これが、私が木ノ瀬くんを知っている理由です」 机の上に資料……もとい、家から持ってきたファンブックとCDを広げた。そしてファンブックを捲って梓くんのページを開き、見せる。梓くんはきょとんとすると、黙ってページを眺めた。 「木ノ瀬くんはこの『Starry☆Sky』って作品の登場人物で、私からしたら生きている人間じゃなくてCD……あー……ゲームのキャラクターなんです」 シチュエーションCDがメインな気もするけど、ゲームのキャラクターと言った方が比較的理解しやすいだろう。 「だからこうした木ノ瀬くんのプロフィールが載ってるファンブックが普通に売られてて、私はそれを持っているし、だから、その……ストーカーというわけではなくてですね」 しどろもどろになりながら、言い訳のように言葉を紡ぐ。 「……これ、全部覚えたんですか」 「基本的なプロフィールは、まあ、何度も聴いたので……」 引いてる。絶対引いてる。そりゃそうだ。自分のプロフィールを暗記している人間なんて恐ろしいし、自分の心情を謳ったポエムがあるなんて私だって恥ずかしいと思う。 しかし、梓くんは恥じ入りも眉を顰めることもなく、それどころか、にやり、と蠱惑的に口角を上げた。 「貴方、よっぽど僕の事が好きなんですね」 その顔だ。その顔に、当時学生だった私は恋をしたのだ。 back |