◆◇




 結局、その後事件はあっという間に解決してしまった。満足気な顔でもう用はないとばかりにさっさとレッスン室に向かってしまった内田先生に苦笑しつつ、改めてお礼を言う為、彼らに向き直る。


「ご迷惑をお掛けしてすみませんでした。
先生はあの通り、少し誤解を受けやすい方なので心配していたのですが、無事に無実を証明していただいて、安心しました。
本当にありがとうございます」

「いやー、これくらいこの名探偵に掛かれば大した事ではないですよ! だっはっは!」


 そもそも先生に疑いを掛けたのはこの人だとか、事件を解決したのは後ろに立っている彼だとか、色々思うことはあったものの、今はそれは言うべきではないだろう。
 にっこりと笑みを浮かべてそんなことを考えていると、何かにブラウスの裾を引っ張られる感覚がしたのでくるりと後ろを向く。何もいない。
 少しだけ目線を落とすと、事件の間、何やらコソコソと動き回っていた様子の男の子──江戸川コナン君というらしい──が、ブラウスを掴んだまま何か言いたげな顔をしていた為、屈んで顔の位置を合わせる。


「どうしたの? ボク」

「あのね、僕、どうしても気になって
いたことがあって!」

「ん、なあに?」

「お姉さんは、何で最初からあのおじさんが犯人じゃないって分かってるみたいな口振りだったのかなって」


 じ、と疑念を含んだ目を向けられて、何というか、拍子抜けしてしまった。
 もう少し突っ込んだことを聞かれるかと思っていた。思わず少し笑い出してしまったのを誤魔化すかのように口を開く。


「先生はね、他人に全く関心が無いの。
人を恨むとか人を殺すほど憎むだとか、そんなことをしている暇があるならモーツァルトの演奏解釈でも勉強している方が有意義だとか、平気で言ってしまうくらいにはちょっと人とはずれた感性の中で生きているみたい。
だから、失礼な言い方だけど、先生が何かの拍子に恨みを買うだとかやっかみを受けて殺されるなら兎も角、先生が人を殺すなんて有り得ないなあって」

「でも、お姉さんのことには関心があるみたいだったよ。それに、人の感情なんて計り知れないものだと思うけど」

「あれはわたしにじゃなくて、わたしのピアノに関心を持っているんだよ。そういう人なの。
それに、確かに人の全てを判断することなんて出来ないけれど、思っているよりもずっと分かることもあったりするものよ」


 親しい人なら特にね、と告げた言葉に少年はやっぱり納得していない様子ではあったが、これ以上議論しても仕方ないことを悟ったのであろう、
「そっかあ!」と子供らしく明るい声で話を切り上げると、お礼の言葉を述べて毛利先生とその娘さんの側まで駆けていった。
 その後をひっそりと冷やかな目で追う。


「あの子、気に掛けてあげてくださいね」

「、何か思う所でもありましたか?」

「少し」


 それ以上は言うつもりがないと伝わったのだろう、彼は何も聞いてはこなかったが、じっとこちらを見つめていることは傍目からでも気付いていた。
 今の彼とわたしの状況で、『気に掛ける』ということはつまり、そういう意味を孕んでいる。崩さない敬語は彼の周囲への警戒を表していた。
 この場では、あまり深い会話はすべきではない。そう悟ると、
「先生を待たせているので」と声だけ掛けて踵を返そうとした、そのすぐ後ろを彼の声が追い掛ける。


「千歳さん!」

「はい?
どうかされましたか、安室さん」


 振り向いた先にある眉毛が寄せられているのを見て、ついつい笑ってしまいそうになった。
 そちらが呼ばせているといっても過言ではないのに、随分と嫌そうな反応である。思わず覆った口元がバレないわけもなく、更に彼の形の良い眉が歪む。


「ごめんなさい。
でも、慣れないと。会う度にそんなに嫌そうな顔をされたら悲しくなります」

「嫌そうな顔をしたつもりはありませんが、」


 悲しませてしまったのならすみません。誠実な響きを持って届く彼の言葉に、むしろ此方が申し訳なくなった。
 彼がそんなことを気にする必要など、どこにもないというのに。びちゃり。思わず進めた足に水溜りの飛沫が被る。


「嘘ですよ。そもそも、そんなに頻繁に会う予定なんて元からなかったですよね!
変なこと言っちゃったな」

「……すみません」


 違う。そうじゃない。謝らせたいわけじゃないのだ。それでもこんな時、踏み込めない距離の差がいつも二の足を踏ませる。
 何についてかも分からない謝罪を申し訳程度に呟いてみたけれど、やっぱり、彼は困ったように笑うだけだった。


「あんまり無理はしないように。
ピアノも良いですが、休養もしっかり取ってくださいね。ああそうだ、栄養も。少し見ない間に肩が細くなったんじゃないですか?」


 何て、少しお節介が過ぎますかね。困った笑みは変わらぬまま告げられる言葉に、否定を述べながらも、内心では複雑な気持ちで聞いていた。


 もう、わたしを置いていってもいいんですよ。


 そんな言葉がどうしても音には出せず、結局いつもの通り、喉の奥に押し潰して終わる。





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