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 立ち込める煙と恋人の名を叫ぶ男の悲鳴染みた声に眉を顰めた。どうやら、まんまと件の部屋に誘き寄せられたというわけらしい。
 動画に映っていた特徴と一致する部屋を一瞥しながら、グッタリと倒れ伏した女に呼び掛け続ける男を、注意深く観察する。
 ふと、床に放り出されたままの男の携帯が一通の電子メールを報せる。表示された内容が視界に入った瞬間、膨らませたサッカーボールをキック力増強シューズで蹴り上げながら、声を張り上げた。


「その人から離れてっ!!」



カシャーーンッ



 サッカーボールに弾かれたナイフが音を立てて床に落ちる。
 刃が元のそれと変わらず鈍く銀色に光っているのを見るに、何とか殺傷行為自体は防げたらしい。舌打ち一つ落としてスタートダッシュを切った『トロイの木馬』の後を、見失わないようすぐに追いかける。




 奥へ奥へと進んで行くのを追い続けると、一つの角部屋にぶち当たった。
 無遠慮に開け放たれたドアの隙間に捩じ込むように自身の体を滑り込ませる。埃っぽい倉庫のような部屋の片隅にある小さな小さな窓、そのずっと向こうを棒立ちになって見つめている『トロイの木馬』と──部屋の隅に置かれた机に腰掛けながら解体済みの爆弾を手で弄んでいる安室透がそこにはいた。
 異様な空気の中、一人涼しげな顔をした男が当然のように事件の真相に触れる。


「やはり貴方が犯人だったようですね」

「ええ、そうよ。わたしが全て仕組んだの。
あの男を殺すためにね」


 先程まで床に倒れ伏していた筈の女があっさりと言ってのけた。やはり体は窓の向こうを向いたままだ。


「あの男を殺す? それは違うな、それなら最初の部屋でさっさと爆弾を起動させてしまえば良かった筈ですが。
彼を絶望の末に殺すことも計画の内にあったのかもしれませんが、貴方の本当の目的は彼女でしょう」


 そう言って女が立っている側へ寄ると、小さな窓をスッとずらした。途端に外から美しいピアノの旋律が空気に乗ってやってくる。
 女がひたすらに見つめる視線の先には、風に揺れる白いカーテンと大きく開かれた硝子張りの窓と、その奥で大きなグランドピアノを奏でる篠宮千歳とが、まるで一枚の絵画のように佇んでいた。


「この部屋を……彼女との思い出を、彼女を、汚されたくなかったのよ。
彼女との思い出を蹂躙して私を縛るあの男を許しては置けなかった」

「だから消してしまおうと思ったわけですか。
彼女と、彼女に纏わる全てを?」

「貴方には分からないわ。わたしがどれだけ深く千歳さんを愛していたのかが。
ずっと見ていたのに、わたしが、ずっと!
手に入らないのならいっそ……!!」


 心底恨んでいるというような目を向けてくる女を無表情に見ていたかと思うと、酷く冷たい笑みを浮かべて安室が応えた。


「ええ、確かに僕には分かりかねます。
そんな偏愛、一生理解せずに終えたいですねえ。
相手を壊すことを望むそれを愛だなんて呼びたくもない。そんなものは、毒ですよ」


 毒を振り撒く犯罪者を止めない探偵などいないでしょう? 冷笑で語らうその人をはたして探偵と呼んで良いものか惑う。その顔は、──組織としての顔じゃないのか。
 半歩、足を動かした彼と余分に後ろに下がる女。先程まで人を殺しかけていた筈の女は蒼白な顔をしており、酷く怖じ気付いていた。
 その身の内に獰猛さを隠し持った男が、静かに腕を伸ばす。





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