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「お祖父様──今は亡き前家元は、幼少の頃からこの男のことを『黄鷹(わかたか)』と呼んでは褒めそやしていたわ。
お祖父様の寵を受けていたこの男を次期家元に、という声も少なくなかった。
けれど、家元はいつも実の息子よりも、夭の才能を褒めていたのよ。
夭を邪魔に思って殺したとしても何らおかしくはないわ」

「わかたか、ですか」

「産まれて一年も経っていない年若い鷹のことよ。
一説には成長していく毎に『撫鷹(かたがえり)』『蒼鷹(もろがえり)』と呼び名が変化していくことから、そういう成長への期待を込めて呼んでらしたのでしょうね。
全く勿体ない程に雅やかな愛称だわ、ドブに宝石を突っ込んでいるようなものよ」


 忌々しいとばかりに依世が話している間、鷹也はまるで他人事のように反応を示さなかった。彼女の言い分には先程答えた通りだということだろう。
 それを口にした所で疑いが晴れるわけでもない為か弁明はしなかったが、鷹也の落ち着き振りを見れば確かに、彼が被害者を邪魔に思って殺した、ということは無さそうだ。
 それに──。


「成る程、私怨も絡んできている可能性があるということか。
それでは、一先ず署までご同行を、」

「待ってください!!」


 篠宮が張り上げた声によって警部の言葉が途切れた。彼女の額には汗が滲んでおり、微かに震えた拳はスカートの端を握り締めている。
 それでも、上げた面には確かに決意の色が浮かんでいた。


「待ってください、彼は華道家です。
華道家が自分の鋏を持っていないわけがありません。けれど被害者は腹部に華鋏が突き刺さった状態で発見されました。
自分の持ち物を現場に置き去りにするお間抜けな犯人などいません。また、残った凶器にも指紋などは残っていないでしょう。
つまり、凶器に使われたのは、被害者がその場で使用していた鋏の筈です。
仮に犯人が被害者の部屋に招かれる間柄で、被害者がうっかり油断していたとしても、凶器を被害者の手元から奪い、向かい合って突き刺すのに縺れ合いにならない筈がありません。
返り血だって浴びている筈です。
どう考えても、往復十分でそれら全ての犯行と後処理を追えて、わたしの待つ部屋へと戻ってくるのは不可能ではないでしょうか」


 ──驚く程に冷静だった。
 彼女の言ったことに違えず、確かに凶器は被害者の物であった。警部が来てからこっそりと現場に入り確認したことだ。
 畳には膨大な血が飛び散っていたし、倒れ方や刺され方を見ても、犯人が返り血を浴びていない筈がなかった。また、彼女は知り得ないことだが、備品の毛布が押し入れから抜き取られていたことも分かっている為、仮に犯人の仕業とすればやはり十分かそこらでそれらを処理することは難しいだろうと思う。
 しかし、それを現場を見たわけでもなく、耳にした情報だけでその場の状況を思い浮かべ正確に推理することは、誰にでも出来ることではない。
 果たしてそれが安室透との関係に関わりがあるのかは未だ明かされていない分気掛かりではあるが、今は目の前の事件に専念した方が良さそうだ。
 彼女の意見と違わず、自分だって犯人は今しがた彼女が庇った彼ではない、と思っているのだから。


「な、によそれ、じゃあわたしが犯人だって言いたいの?」

「そうは申しておりません。
ただ、彼を容疑者と決め付けてこの場を放してしまうのは些か早計なのではないかと思っただけです」


 犯人はまだ、この場に残っている可能性だってあるのですから。
 彼女がぽつりと落とした言葉には何故だか重みがあり、まるでそれが事実であるかのように、この場に静かな波紋を広げた。


「それでは、貴方は我々がまだこの場を離れるべきではないと、そうお考えなのですかな?」


 目暮警部のその疑問には篠宮より早く、彼女と同じ姓を名乗る涼やかな美貌を持つ女性が答えた。


「出来ればそうしていただきたいですね。
たった今、家元が此方へ向かっているとの連絡がございましたので。
家元自身が詳しい事情を警察の方にお話しをすることで、今回のことについて何か情報を与えられるのではないかと判断したようです」

「それは有り難い。
では、此処にいる方々には大変申し訳ないですが、もう暫くの間、この場に留まっていただくことになります。ご不便かと思いますが、捜査の下、ご協力よろしくお願い致します」


 途端にざわめく場の空気を尻目に、思考をより深くへ沈めていく。
 現時点でアルバイが証明されていないのは御村依世と御村鷹也の二人のみ。
 どちらも被害者と同じ次期家元候補に連ねられており、もう一人の候補者である安藤里穂は一度被害者と顔を合わしているものの、死亡推定時刻にはアリバイが存在する。
 他の人間も皆それぞれ複数人で動いていたようで、篠宮師範と呼ばれていたあの美しい女性もそれは同様であるらしい。
 篠宮千歳は容疑者の一人と時間を共にしていたものの、彼女にもきちんとアリバイはあった。
 つまり、普通に考えれば自ずと容疑者は二人に絞られてくる筈なのだが。


 何かが腑に落ちない……しかし、一体何が?
 ふと、視線をあげた時に何かの調度品を見て話している蘭と園子の姿が視界に入った。





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