◆◇ 三
さて、事の詳細を纏めるとこうなる。
目の前に立つ少女は叔母のお見舞いの為に産婦人科のとある病院へと向かっていた。
小学一年生の子供が一人で、と思うがどうやら彼女の方が待ちきれずに親御さんを置いてきてしまったらしい。何というか、思っていたよりもアクティブな女の子のようだ。
此処に婚約者の彼がいれば『アグレッシブの間違いだろ』くらいは言っただろうけれど、斯くも可憐な女児に明け透けな言葉を用いるのは気が引けた為、ここは慎ましくいきたい。
慎ましさの使い所を間違っている感は否めない。
それは一先ず置いておくとして、子供が一人で向かうには遠く、退屈な道程であったらしい。
道中ベンチに座って休んでいた所、偶々通り掛かった少年探偵団の面々に思わず走り寄って楽しくお喋りをしていると、気付いた時にはベンチに置いておいた紙袋、つまりくまのぬいぐるみが忽然と消えていた。
驚いて周囲を見渡してみたがやはり無く、少年探偵団の面々に確認してみると、内の一人、コナン少年が紙袋を持った不審な人物が通り過ぎるのを見たという。
彼の見立てによればその人物は男性で年は三十代半ば、到底くまのぬいぐるみを欲しているようには見えず、しかし早歩きで雑に紙袋を抱えながら去っていったのだそうで。
どういうわけか不審に思った少年がその男性の行き先を突き止めることに成功した為、(此方の見立てでは)同じく不審な人物である沖矢昴氏に頼んで足になってもらったという事なのだそうだ。
どうやって突き止めたのだとかいう詳しい話は、はぐらかされた為に知れないけれど。
コナン少年曰く、男性はデート前のように見えたとのこと。
時計を頻りに気にしていたことや新品同然のカジュアルな服装、普段はそこに生やしているのであろう髭が綺麗に剃られた顎を落ち着きなく行き来する指、ピカピカに磨かれた靴、整えられた髪型、何処となくそわそわした様子を見るに、それが初デートで、プレゼントを用意し忘れたことに寸前で気付いただとか、そんなところではないかというのがコナン少年の推理であった。
聞いている此方が情けなくなるような話である。
「それで、あの如何にもなデートスポットにその男性が恋人といるという、そういうお話でよろしかったですか?」
「ええ、それも、今週いっぱいまで適用される"恋人専用割引き"を目的に来ている可能性が高いですね。
と、いうわけですので」
するり、彼の白すぎる右手が流れるようにわたしの左手を掬い上げた。あまりの突然のことに手を振り払おうともがいたが、がっちりと掴まれた掌はどうにも離れそうにない。
バッと目前の不審な男の顔を見遣ったけれど、当の本人は何の問題もないとばかりに笑っている。
まさか、拒否権はないとでも言いたいのだろうか。頬が引き攣りそうなのを自覚しつつも、努めて気取られない口調を心掛ける。
「あら、何のご冗談でしょう。
わたしこれでも婚約している身でして必要以上に男性と接するのは避けているんですだからその手を離してください今すぐに」
「一息で言い切りましたね」
「随分とお耳がお悪いようで?」
「ふふ、そう言えば貴方のような態度で接してくる男性に一人心当たりがある。
さて、それでは行きましょうか、」
これだけ警戒心を剥き出しにしているにも関わらず、いやむしろだからこそというべきか。
至極楽しそうに強引に繋いだ手を一切離す素振りも見せず、しかし到底恋人に向けるものとは思えないまるで犯人を追い詰めるのを楽しんでいるかのような表情で、甘やかな声色と酷く綺麗な発音を持ってして目の前の男は告げるのだ、『My boo』と。
──冗談じゃない!!!
心の内で盛大なブーイングの嵐を起こそうとも、こんなに人通りも多く、信頼しているわけでもない男性の側で表情を崩せるほど冷静さを欠いているわけでもなかった。
悲しきかな、身に付いた習慣によってか少女に手伝うといった手前か、手荒に抵抗することも出来ず、渋々、本当に渋々、最低限の抵抗としてこれだけは口にしておこうと思う。
「……わたし、アメリカナイズされた男性よりも英国紳士的な男性の方が好みです」
「それは、期待に応えなければですね」
貴方には無理よ。言外にそういう意味を孕んだ視線など意にも介さないらしい。
誠に遺憾だけれど、此度の恋人役の彼とは酷く相性が悪そうだった。
言うなれば、常に腹の探り合いを求められる程には。
「何であんたらそんなに仲悪そうなんだよ……」
小さな名探偵の嘆息など、今は耳に入りそうにない。
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