◆◇




 こういう時、頭を過ぎるのは決まっていつも父の言葉だった。




『千歳、お父さんと約束してくれ、この事は誰にも───』




 瞳に映った真っ赤な記憶。紅葉の手の平。
ああ、謝らなければ、彼に。




「ねえ、お父さんとお母さんは?」


 夢から醒めた時のようだ。急速に意識と視線を巡らせる。声の発信源である幼い少女を捉えた横目で、件の少年を盗み見る。
 得心はしていないが、この状況を無下にするわけにもいかないという、不満をありありと滲ませた顔だった。
  この時わたしが如何程に安堵を覚えたか、きっと誰にも理解出来ないことだろう。
 此処の遊園地のテーマに沿った可愛らしい服装を身にまとう怪しい男女を落ちていたガムテープで拘束していた沖矢さんが、少女の質問の答えを求めるように見つめている。
 視線の先の男女はしかし、沈黙を保ち続けていた。だからといってそれに少女が合わせる道理もない。


「ねえ、"お母さん"はどこ?お父さんとお母さん、来てくれるって、言ったのに……」


 みるみる萎んでいく言葉尻が余りに心許なく、少女の憂いを一層感じさせた。
 不意に、いつの間にか移動して何やらゴソゴソと辺りを漁っていた少年が両腕に、所々に解れの目立つ少々年季の入ったくまのぬいぐるみを抱えて少女の前に立つと、徐に焦げ茶のそれを少女に向かって差し出す。


「君が言ってる"お母さん"って言うのは、これのこと?」


 時間としては短い間、それでもじっくりと穴が開くほど差し出されたぬいぐるみを見つめている少女に、答えが分かっているからこそのピリピリとした緊張感が漂う。
 結局少女の判断は、力無くふるりと首を降る動作と共に吐き出された言葉によって下された。


「これじゃない。赤いりぼんがないもん。
これは、"お母さん"じゃないよ」

「そうだろうね、これの持ち主の女の子は、このくまさんをあげるのが予定では男の子だからってリボンは取ってしまったって言っていたからね」

「……これ、ほかの女の子のなの?」

「うん、そうだよ」


 拘束されていた男女が声を上げようとしたのを、沖矢さんが制した。
 少女は益々悲しみが増した表情で、ぬいぐるみの解れを見つめている。


「じゃあ、その子に返さなきゃ。その子もきっと、このくまさんのこと探してるよね」

「そうだね、でも君もこれと同じくまさんを探してるんじゃない?」

「そうだけど……わたしが本当にさがしてるのは、くまさんじゃないもの」

「それなら、君の探し物を僕に教えてくれる?」

「……お兄ちゃんが見つけてくれるの?
もう、"お母さん"を待たなくてもいいのかな」


 安堵と諦めの混ざった表情で、少女がぽつりと答えを落とした。黄色いリボンのくまのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めて。


「あのね、わたし、"お母さん"がお父さんとお母さんを連れて来てくれるのを待ってたの。
"お母さん"が本物だったら、本当のお父さんとお母さん。本当のお父さんとお母さんだったら、『ひみつ』の答え合わせをするの。
そういう約束」

「!?どういう、」

「お父さんとお母さんにはね、うんとちっちゃい時に会っただけで、もうおぼえてないの。
『いつか会えるから、その時までお父さんとお母さんの代わりにくまさんを大切にしていてね。』って、そう言って、黄色いリボンと赤いリボンのくまさんを"お父さん"と"お母さん"だってわたしにくれたきり。
メールで連絡だけは取っていたけど、でも、とつぜん『"お母さん"のくまさんを送ってほしい。本当のお父さんとお母さんは"お母さん"のくまさんが連れて来てくれるから、そうじゃない人には"秘密"を教えちゃいけない。』ってメールが来てから、連絡も取れなくなっちゃって、ずっとずっと会いたいって思ってた。
そうしたら最近、またお父さんとお母さんから連絡がきたの。ここでなら会ってもいいよって言うから着いてきたのに、たくさん男の人と女の人に会ったけど、誰も"お母さん"と一緒じゃないの。
ねえ、お兄ちゃん、わたしのお父さんとお母さんを探して!もう、"お母さん"が一緒じゃなくてもいい、『ひみつ』を話してもいいから、だから、本当のお父さんとお母さんに会いたい……!!」


 ぼろぼろと涙を零して"お父さん"を抱き締めている少女があまりに痛ましかった。
 少女の話を聞く限り、少女の両親はもしかしたらもう──それを理解しているだろう少年が、気遣わしげに言葉を選んでいるのが見て取れる。


「お父さんとお母さんのことを思うなら、『ひみつ』は話さない方が良いのかもしれない。
けれど、僕が君の本当のお父さんとお母さんを、お父さんとお母さんの"真実"を探してみせるよ。
『ひみつ』は、その手掛かりになるかもしれないんだ。だからお願い、僕を信じてその『ひみつ』を教えてくれないかな」


 ──まるで関係ない内容なのに、自分に問われているような既視感を覚えた。
 もし、もしも同じことを彼に聞かれたのなら、わたしは何と答えるのだろう。
 意を決したように頷いた少女の瞳を見つめながら、何故かそんなことが頭を過ぎった。


「『みどり の いし は はは の はら に』……これが、お父さんとお母さんの『ひみつ』だよ」


 何も知らない少女の口から突如にゾッとするような言葉が零れ出た、その動揺を眉を顰めて思考に耽る少年に決して悟られないよう、歯を食いしばって身体を巡る恐怖に耐えた。冷水を浴びせられたような心地だった。
 どうか誰もわたしに気付かないでいて欲しい。誰一人、気付かれるわけにはいかないのだ。





『千歳、お父さんと約束してくれ、この事は誰にも──口にしてはいけない。
お父さんと千歳の、二人だけの秘密だと』





 何と答えるかなんて最初から決まっていた。これはわたし一人の、『ひみつ』なのだから。





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