#10

魚の焼ける香ばしい匂いが辺りに漂う。


『こんなに大きな魚の切り身初めて』

杉元くんとアシリパちゃんが用意してくれていたのは豪快な塩焼き。

キロランケさん日く皮をつけたまま焼くと肉の旨味を逃がさないらしい。

魚の皮って苦手な人も多いけど、私はアレを炙ったのが好きだ。特に鮭。日本酒が合う。

「旨そうな匂いだなぁ、早速食べてみようぜ」

乾いた服を着込んだ白石さんもキロランケさんもこちらにやってきた。

『でもコレ、どうやって食べるの?』

1人分ずつ串に刺しているわけでもない。

「なまえさんはこんな感じで魚を食べるのは初めてかい?」

『もちろん食べたことはあるけど、1人分ずつ串に刺さったりしてるのが主流だったかな』

「串焼きか。もちろんそれも旨いけど、一番旨いのはそのまま齧り付く事だ」

そう言って杉元くん、アシリパちゃん、白石さんは魚の切り身に齧り付いた。

「ほらなまえちゃんも遠慮しないで」

白石さんが少しずれてくれたので口を大きく開けて同じように豪快に齧り付く。

『ん!美味しい!』

「だろ〜?捕れたてで新鮮だし香ばしくてヒンナだぜ」

むぐむぐと咀嚼しながら『ん?』と首を傾げる。

『ヒンナ…ってなに?』

「そうか、みょうじと食事をするのはコレが初めてだな。ヒンナとは私達アイヌの言葉で、食べ物に感謝する言葉だ」

『食べ物に感謝…』

この世界にトリップしてきて一番思ったのは、好きなものを好きなときに食べられないという事だった。

近所にコンビにやスーパーがあるわけでもないし、 缶ビールや缶チューハイもない。

自分がいた時代がいかに恵まれていたかを痛感した。

『ヒンナ、素敵な言葉だね』

「そうだろうそうだろう。ほら杉元、目玉は茹でダコの味がして旨いぞ」

そう言ってアシリパちゃんが杉元くんに差し出したイトウの目玉はアシリパちゃんの顔くらいの大きさがあった。
たしかに魚の目玉は美味しいけど、これはグロテスク。


「杉元…不死身の杉元か?」

口を大きく開けて目玉を食べようとしていた杉元くんはキロランケさんの言葉を聞いてピタリと動きを止める。

「…なぜその名前を?」

和やかだった空気は一変、ピリッとしたものに変わる。

これは昨日初めて彼に会った時に感じたものと一緒だった。

「俺は第七師団だ」

心臓がドクンと鳴った。

兵舎では見たことは無いけど、大所帯だったし顔を合わせていない兵士も少なくはない。

同時に杉元くんは腰につけた銃剣に手をかけた。

「鶴見中尉の手下か?」

さりげなく私を自分の後に隠すようにしてキロランケさんを脱みつける。固睡を呑んでキロランケさんの言葉を待つ。

「鶴見中尉?知らないな。俺のいた小隊の中尉は別の人間だ」

その言葉を聞いてほっと胸を無で下ろした。昨日の今日で連れて変えられるのはごめんだ。

「名前と顔の傷を見てピンときた。こんな所で戦争の英雄と出会えるとはな」

「英雄なんかじゃねぇよ、俺は死に損なっただけだ」

そう言って杉元くんは軍帽の鍔を下げた。

「しかし、アシリパはどうしてこいつ等と一緒にいるんだ?」

「うーん…」

アシリパちゃんはイトウを食べながら考えて「相棒だ!」と笑った。

「そしてこっちの白石は役立たずだ、みょうじはほけんしつの先生だ」

「ほけんしつの先生?」と首を傾げるキロランケさんにアシリパちゃんは「仲間だ」と笑った。
その言葉に嬉しくなって『ありがとう』と私も笑った。



イトウを食べ終わり、自分が思った以上に食べ方が下手クソで顔面魚の油だらけになった私は『顔を洗ってくる』と言って彼らのそばを離れた。

とは言ってもそんなに離れてはいないけれど。

川に手を入れ水を掬いバシャバシャ顔を洗う。

水は冷たかったが、顔にまとわりついていたベタベタが無くなりさっぱりとした。
ついでに体でも拭こうかな。上着を脱ぎシャツの前を開け、兵舎を出るときに持って出ていた鞄から手ぬぐいを出して水に浸して固く絞り首元など軽く体を拭いた。

『もう3ヶ月も経つのに充電は変わらずか…』

手ぬぐいを固く絞り鞄の中に入っていたスマホを取り出す。
普通ならば半日あれば充電は半分に減るはずなのにトリップしてきたその日から不思議と全く減らないのだ。

ロックを解除して久々にデータフォルダを開いた。兵舎ではいつ誰に見られているかも分からなかったからほとんど触っておらず、久々に写真を見返す。

『消太もひざしも元気かなぁ〜。ていうかトリップしてあっちの私の存在はどうなってるんだろう』

映画とかでもよくパラレルワールドって言ったりしてるけどそんな感じなんだろうか?
こっちでは3ヶ月経ったけど向こうは全く時間が進んでいないとか。

まぁ今更言われても現にトリップしてしまっているんだから何も驚きはしないけど。

画像をスライドしていくと1枚の写真で指が止まり『あ、』と声を漏らす。


『尾形さん』

それは尾形さんに私の個性の話をしたあの日に撮った写真だった。
まだ包帯を巻いたままで驚いたその表情に思わず笑みが零れる。

『でももし再会できたら、一発殴らせて欲しいなあ……打たれそうだけど』

しつこいかもしれないけど、それほど彼の包帯が取れるのを楽しみにしていたのだ。

残念ながら電波は圏外なのでアプリは起動できないが、ラクガキ機能で尾形さんの写真にラクガキを施す。
黒いペンで猫耳と鼻、左右に三本髭を付け足せば猫尾形さんの完成で思わず『ぶふっ』と噴出した。

そのままスマホをいじっていると「なまえさん大丈夫〜?」と杉元くんに呼ばれたので『すぐ行く!』と声を上げ、鞄にスマホを押し込み立ち上がった。


猫尾形さんの写真は腹いせにロック画面に設定してやった。