#37
杉元くんの治癒も終わり私たちは林を歩いていた。
旭川第七師団本部からは40キロくらいは離れられたみたいだけど、上空から辺りを見ていた尾形さんは馬に乗って追ってくる兵士の姿を見たと言っていた。
あんなでかいものに乗って逃げて来たんだ。なんなら敵について来いと言ってるようなもんだ。
「おおよその位置は把握されてるだろう。急がないと追いつかれる」
それにしてもこの辺りは山が近いせいか少し肌寒くなって来た。
山岳地帯なのか標高の高そうな山々が連なっている。
すると最後尾を歩いていた尾形さんが「見つかった!」と声を上げた。
『えっ!逃げ道は…』
「そんなものない!引き返してもこっちの姿を見られているからアイツらの思うツボだ」
『逃げ道はないって…じゃあ…』
「急げッ!この大雪山を越えて逃げるしかない!」
相手は馬に乗っているし追いつかれるのも時間の問題だ。
今はとにかく進むしかない、そう決心して私たちは大雪山に足を踏み入れた。
冷たい風が体の体温を奪っていく。
先ほどまで静かだったのに突然天気が崩れ一気に気温が下がった。
「まずいぞ!天候が崩れて来た!」
『さ、寒い…!』
「どんどん風が強くなる!雨も降りそうだ!」そう叫んだのはアシリパちゃん。
そばに居るはずなのに風が強くて声を聞き取るのが難しい。
『ひ、引き返す!?』
「そうだ!なまえちゃんの言う通りだ!火を起こす木もこの高さだと生えてねぇ!!引き返して下山しよう!!」
「馬鹿を言え!もう追っ手がそこまできてるんだぞ!」
私と白石さんの考えは尾形さんにより打ち消される。
雪を掘ってそこで風を凌ぐと言う案も出たけど、元々真冬なわけでもないから雪の量が全く足りなかった。
『白石さん…?どうしたの?』
すると横にいた白石さんの様子がおかしいことに気が付いた。
1人でブツブツ呟き時折笑っている。
『お、尾形さん…白石さんの様子が…』
「クソッ…とにかく風を凌げる場所を探せ!低体温症死んじまうぞ!」
『低体温症…あ!!!私の個性で皆の体温をあげれば…!!』
「そういう判断能力の低下も低体温症の特徴だアホ!!またぶっ倒れる気かテメェは!!」
でも凌げる場所なんてないのに…!!
するとアシリパちゃんが「ユクだ!」と叫んだ。彼女が指さす先にはエゾシカの群れ。
『あ、あの子たちをどうするの!?捕まえて湯たんぽにでもするの?!』
「アイツらで暖を取る!杉元、オスを撃て!体が大きいのが3頭必要だ!!」
たしか杉元くんは銃が苦手というか得意ではないと言っていた。杉元くんが躊躇しているうちに素早く動いたのは尾形さん。
体の大きいエゾシカをあっという間に3頭仕留めてしまった。
「急いで皮を剥がせ!大雑把でいい!ユクの中に入って風を凌ぐ!あと、みょうじ!白石を捕まえろ!」
『え!白石さん!?何やってるの!?』
白石さんを見ると全裸になって踊り狂っている。これってまさか…!
『パ、パウチカムイ!?』
「低体温症で錯乱してる!白石を捕まえてエゾシカの中に突っ込め!」
このままでは白石さんが死んでしまう!
私は白石さんに駆け寄り、その顔を両手で挟んで捕まえ冷え切った唇にキスをした。
個性を使い熱を送ると少しだけ白石さんが大人しくなった。
「よしみょうじ!白石をここに突っ込め!」
『わ、わかった!』
アシリパちゃんに言われた通り白石さんをユクの腹の中に全裸のまま押し込んだ。
これでなんとか白石さんは助かりそうだ。
「私たちも入ろう!」
『うん!アシリパちゃん一緒に…』
入ろうと続けようとしたところで「ちょっと待った!!!!」と杉元くんが声を上げた。
「は!?俺尾形と一緒!?無理だよ!?」
「俺もコイツと一緒なのはごめんだ。銃が下手なのが移る」
「んだとゴラァ!!?」
「お前らいい加減にしろ!!!」
杉元くんが尾形さんに掴みかかろうとしたところでアシリパちゃんが止め入る。漸く風を凌げる場所が見つかったんだ、ここで喧嘩をしている場合ではない。
「はぁ、埒があかん。おい入るぞ」
『えっ』
そう言って私の手を掴んだのは尾形さん。
「オラ、早く入れ」
『ちょ、まっ…痛!入りますから!』
尾形さんに強制的にユクの腹の中に押し込まれ、続けて尾形さんが入ってくる。
待って!!待って!!!!
人生初!エゾシカのお腹の中!とか、隙間風が寒い!とかそんなこと考えている暇などなかった。
「っ…狭いな…」
『ソ、ソウデスネ…』
目の前には尾形さんの顔。
狭いとかそういう前に近い!!近すぎる!!!
ドクドクと煩い心音が伝わりそうなのと尾形さんの吐息がかかるくらいの距離にギュッと目を閉じた。
体は冷えているのに顔が熱い。
「っ…」
『尾形さん…?』
すると尾形さんの体が微かに震えていることに気が付いた。
「っ…なんでもねぇ…」
考えてみれば尾形さんは外側で私の場所よりも寒いはずだ。体に触れてみれば案の定冷え切っている。
最初は押し込まれて乱暴だと思ったけど、暖かい方を譲ってくれたんだろう。
でも本人はなんともないような顔をしている。こういう優しいところが私は大好きだ。
『尾形さん、ありがとうございます』
「っ!おい…」
すでに顔は近いけど、さらに縮めて冷え切った唇にキスをする。
そのまま個性を使えば尾形さんの唇に熱が戻った。
あ、なんか今初めて尾形さんを発見した時のこと思い出した。
唇を離すとお互いの吐息が漏れて、急に恥ずかしさが込み上げてきた。
個性を使うためのキスには何の抵抗も感情もなかったはずなのに。
「またそうやって自分の体力使いやがって…」
『今は使うべきタイミングだったので…』
尾形さんはため息を漏らし「なまえ」と私の名前を呼んだ。
『なんですか?尾形さん』
「お前のその個性は…心臓にも効くのか?」
心臓…?
『えっ、まさか尾形さん心臓悪いんですか?軍人やってる場合じゃないでしょ!病院行ってるんですか?』
「ちげぇ、人の話を聞け」
尾形さんは私の額を軽く小突いた。
『いたっ、もうびっくりしたじゃないですか、なんですか?』
「……いや、やっぱりなんでもない。忘れろ」
尾形さんは少し考えてそう言った。
『尾形さん、今は私しかいませんから…話せそうだったら聞きますよ?』
尾形さんは少し黙って考えてからゆっくり話し始めた。
「以前についこぼしたことがあるが、俺が父や母、弟を自ら殺したという話を覚えているか」
それはまだ小樽の兵舎にいた時、尾形さんと少しだけ言い合いになった時にそう言っていた。
『覚えています…』
「俺と弟は血が繋がっていなかった、弟は正妻の子供で俺は父の妾の子供だ、まぁ所謂愛人の子供だな」
尾形さんとお母さんは田舎で静かに暮らしていて、でもお母さんはまたお父さんが会いに来てくれるかもと気が狂ったようにずっと同じ料理を作り続けていたそうだ。
『同じ料理…?』
「あんこう鍋、俺は好物だがな…俺はその頃から爺さんの小銃を使わせてもらってたから鴨や別の食材を取って帰ったんだが…それでも母はあんこう鍋を作り続けた」
でもお父さんは現れることはなかった。
少し考えたらわかった。
尾形さんのお父さんは中将で、弟さんは少尉だと言った。エリート家系の大黒柱に愛人が居ればそれは大問題になるだろう。しかもこの時代だから余計に。
『でもどうしてお母さんを…?』
「母の食事に殺鼠剤を混ぜた…母を殺せば父は葬式に来てくれるかもしれない、そう思ったんだが結局来なかったよ」
尾形さんはフッと笑った。
「俺は必要とされずに生まれてきた。それでも祝福された道があるのかもしれないと今度は弟を戦場で撃ち殺した。妾の子供だとしても父は残された俺を気にかけるかもしれないとな」
「まぁ無駄だったがな」と尾形さんが笑うから、私は心臓がぎゅっと痛くなった。
尾形さんが言う「心臓に効くのか」って言うのは、精神的なもの、心の問題だ。
「すまん、喋りすぎた。今話したことは忘れろ」
『嫌だ…』
「あ?」
尾形さんは前に愛なんて分からないって言った。
所詮目には見えない物だって。そんな背景にはこんな辛いお話があったんだ。
『尾形さん、人はね誰だって幸せになる権利があるんですよ』
「…幸せねぇ、そりゃお前みたいに平和な未来から来た人間はそうかもしれないな」
確かに、それはこの世界に来て痛感した。
普通に平和な世界で生活して同じ毎日を繰り返して退屈を感じて、幸せの意味なんて考えたことなかったけど、この世界に来て幸せの意味を改めて知った。
『私はね、あの日尾形さんを助けて良かったなって思ってますよ』
「話が飛んだな」
『いいから聞いてください』
私は尾形さんに会えて自分の個性に自信が持てた。
私は私にできる守り方をすればいい。
全員が同じじゃなくていい。
誰も言ってくれなかった一言を尾形さんがくれた。
誰にでもキスする、最低と言われた個性も、そりゃ尾形さんにも阿婆擦れって言われるけど、大したもんだなって言ってくれた。
不器用な優しさや、些細な言葉たちが本当に嬉しかった。
それに嫌いじゃないって言ってくれたのも嬉しかった。
「要約すると、俺のことが好きってことか?」
『へァ?!』
「なんだ、違うのか?」
尾形さんは揶揄うように笑った。
いつもならはぐらかすけど、今は薄暗くて顔も見えないから少しだけ勇気が出た。
『っ…違わない…好き…だから幸せにしたい』
「………」
え。そこで黙る?
「…お前の顔が見えんのが残念だな」
『え?』
「お前はそこらの女と違って媚びを売るわけでもなく、いつも素で、誰にでも気を使って、そのくせ考え無しで飛び出して、俺より年上で、泣き虫で、たまにブスで…」
『ちょ、最後の悪口ですよね?』
「うるせぇ、黙って聞け」
そう言って尾形さんは私の髪を梳くように撫でた。
「治癒だと言って体張って誰にでも接吻するくせに、俺の一挙一動にいちいち反応しやがって…」
尾形さんの吐息を傍に感じた。
「柄じゃねぇが…なまえのそういう所がたまらなく可愛くて、愛おしいと思っちまう」
『おが…っん』
髪を梳かれながら重ねられた唇はとても優しいもので目を閉じた瞬間涙が零れた。