「三ヶ月かぁ、今回はもった方じゃない?」
ひとつ前の彼女は一ヶ月でフラれてたしね、枝豆を噛みながらカラカラと笑えば、千冬は不貞腐れた顔でハイボールを口にする。
「なんてフラれたの」
「私のこと本当に好きなの?って…好きじゃなかったら付き合ってねぇだろ」
「またそれ?千冬、愛情表現ちゃんとしてる?女は口に出して言わなきゃ満足しないよ」
「ちゃんと言葉にして言ってるし」
「じゃあ本当は他に不満があったのかもね」
まぁドンマイ、と私の口から出た励ましの言葉は誰が聞いても分かるほどに高揚している。愉快に笑い飛ばしても千冬はもう慣れっこなのか何も言わない。
千冬が彼女にフラれる度に開催される慰めの会。学生の頃からもう何度繰り返しただろうか。他に不満があったのかもね、と言いつつも、毎回フラれる理由がそれなら、それ以外にはないだろうと思っている。だって千冬は見た目も性格も男として申し分ない。一言余計なところに目を瞑れば、だけど。
「いい加減諦めて私と付き合いなよ」
「無理、お前それ毎回言うよな」
「フラれて弱ってるところにつけ込むのは恋愛のテンプレでしょ」
「弱ってねぇし」
テーブルの上に並んだ料理の中からエイヒレをチョイスした千冬は、それを摘み上げ口内に放り込んで「うめぇ」と頬を緩ませている。まぁ確かに落ち込んでる様子はないし、強がりなわけでもないらしい。もう次の目星がついているのだろうか。次から次へと、付き合える相手がいたって長続きしなきゃ意味ないのに。
高校二年生の秋、中学時代から付き合っていた彼氏にフラれた私は随分とやさぐれていた。そんな私に見かねて「いいヤツ紹介しようか?」と声を掛けてきたのが、当時割と仲の良かったクラスメイトの花垣武道だった。そしてその時紹介されたのが、今目の前にいるこの男である。私は一回デートをしただけでコロッと惚れたけど、千冬はどうやらしっくりこなかったらしい。数回デートを重ねた後に、勇気を振り絞ってした一世一代の告白は呆気なく失敗に終わった。懐かしい、あの時は三日三晩泣いたっけ。もう遠い昔の話、吹っ切れてからは口癖のように「千冬、私と付き合って」と繰り返すようになって、そして、その度に「無理」と冷たくあしらわれて十数年。
「私はずっと千冬のことが好きだったんだけどな」
「だからお前はそんなんじゃねぇんだって」
「ただの慰め係?」
「大事なダチ、信用できる女友達とか他にいねぇし、そういう意味では特別だけど」
ほんのり酔っ払っているのか、少し照れ臭そうに心の内を吐露した千冬に目を瞬く。特別、特別か。どんな形であれ千冬の特別になれたのなら、私が千冬を想った十数年は無駄ではなかったのだろう、と思いたい。何事にも、潮時というものがある。そして女には旬がある。のんびりしていたらあと二年で三十路になっちゃうし、千冬の口から"特別"を聞けた今がきっと潮時なんだろう。
「ねぇ千冬、私が結婚したら、結婚式来てくれる?」
「まず相手を見つけんのが先だろ」
「職場の人にプロポーズされた、結婚を前提に付き合って欲しいって」
千冬はキョトンと目を丸めて箸で掴んだ刺身をポロッと落とす。醤油皿に落ちて跳ね返った醤油が千冬の白いシャツに大きなシミを作った。慌てて店員におしぼりをオーダーして、滲んだ茶色いシミに指を差す。
「トイレ行ってきなよ、それ、すぐ濯がなきゃ取れなくなるよ」
「は?プロポーズ?オッケーしたのか?」
「いやまだしてないけど、明日返事する予定、もちろんイエスで」
どうぞ、と店員が持ってきたおしぼりを千冬に手渡して「擦っちゃだめだよ、お冷やにちょっとつけてちょんちょんして」と指示を出す。千冬はおしぼりを片手に呆然としたままだ。ああ、早くしないと手遅れに。
「相手のことまだよく知らねぇだろ、それなのに結婚?」
「いい人だよ、同じ部署で歳は一つ上、落ち着いてて真面目だし」
「んなの、仕事の時だけかもしんねぇじゃん」
「何回かデートしたし」
「聞いてねぇんだけど」
「なんで千冬に言う必要があるの?」
呆れ果ててそう言えば千冬は少し動揺して「まぁ…たしかに」と納得の意を示す。おしぼりでシャツに滲んだ醤油をゴシゴシと擦り出して顔を顰めた。話聞いてないし。
「それでも結婚は気が早くねぇ?」
「もう二十八歳だし、周りの子はみんな結婚してるんだけど」
「別に周りに合わせる必要なんか…」
「千冬、私はその人となら一生一緒にいれる気がするって思ったんだよ」
無心にシャツを擦っていた千冬は顔をゆっくりと上げて私を見る。
「そんなポッと出のヤツより、オレの方が大丈夫だって言い切れるだろ。もう十年以上もダチやってんだから」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
「だから、一生一緒にいるならぜってぇオレの方がいいだろ!」
おしぼりをテーブルにガンッと叩きつけ、そのままの勢いで立ち上がった千冬に驚いて、私は岩のように固まってしまう。
「ち、千冬…酔ってんの…?店出る?もう帰ろう」
大きな音を立てたからか、周囲の客から注目を浴びて居た堪れない。バッグを引っ掴んで「千冬、いくよ」と声を掛けレジカウンターに向かった。颯爽と会計を終えて店を出る。いきなり大きな声を出すからびっくりしたじゃないか。酔っ払っているのかと思ったが、追って店から出てきた千冬はしっかりとした足取りで地面を踏みしめている。私のポケットに一万円札を雑に突っ込んだ千冬は、納得のいかないような表情でアスファルトに視線を落とした。
「お前がいなくなったら…誰がオレを慰めてくれんだよ」
「なんで別れる前提なの、ちゃんと次はいい子見つけて長続きさせなよ」
千冬が別れる度に、私にしなよ、そう言い続けた私が今、初めて、千冬が他の誰かと幸せになることを願っている。十数年の気持ちにケリを付けたことの表明だった。将来旦那になる相手の気持ちを思えば、きっともう、千冬と会うことは二度とない。
「それじゃあ、千冬、今までありがとうね」
ずっとずっと、大好きだったよ、と通算九十九回目の告白をして落ち込んだ肩をパシンッと叩いた。百回目の方がキリがよかったかもしれない。そんなどうでもいいことを考えた。
「好きだった、ってなんだよ」
駅の方に歩き出そうと一歩踏み出した時、千冬の頼りない声が生温い風に乗って私の耳に入ってくる。
「わりぃ、オレ今からすげぇバカなことを言う」
「え、なに…」
「お前がオレ以外のヤツを好きになるのは嫌だ」
言葉を反芻して飲み込んで、何を言われているのか理解した瞬間に、じわりじわりと湧き出た怒りが頭の中を赤く染め上げる。すたすたと千冬の元に近付いて手を振りかざした。路上にパシンッと響いた乾いた音は暗い空に溶けていく。
「自己中、最低」
「……………」
「今ので清々した、千冬なんてもう、きら」
きらいだ、と一度も発したことのないセリフを吐き出そうとした。けれども、それは叶わなかった。身体が後ろに反ってひっくり返りそうな勢いで、力強く抱き締められてひゅっと息を飲む。
「嫌いじゃなくて、好きって言えよ」
はやく、はやく、と急かすように背に回された腕に締め付けられて息苦しい。最後の最後で、この男、最低だ。最後の言葉が嫌いだと後味が悪いか。大事な、特別な友達との思い出は綺麗なまま仕舞い込んでおきたいか。そんなの、自分勝手だ。
「…………好き、千冬のことが好き」
でも結局、千冬のことが好きで好きで仕方のない私は千冬の思い通りになる。無理、って真剣に取り合って貰えずに虚しい返事を返されて、家に帰ったらちょっぴり泣く。もう慣れた。
「もう…満足したでしょ、離してよ」
「オレも好き」
「………いや、それは、なんていうか」
ずっと千冬の声で聞きたかった言葉のはずなのに、何度も欲しいと願った言葉のはずなのに、なんだか腑に落ちない。自分のことを好いてくれている、都合の良い女を手放したくないだけなんじゃないの。その時、グスッと耳元で聞こえた鼻を啜る音に思考が停止する。
「オレ…彼女が他の男と二人で遊びに行っても、なんとも思わなかった。嫉妬とかしたことなかったし、つか、嫉妬とかだせぇって思ってた。でも…お前が他の男と結婚するって聞いた時、死ぬほどムカついた。横取りされたくねぇって思った。ずっとオレの横に置いておきてぇって、思ったんだけど」
好きだから以外に理由が見つかんねぇ、って。私にだけ聞こえる程度の声量で、震えた音が言葉を紡ぐ。私の脳味噌で処理できる情報量を超越したせいで、何も返す言葉が思い浮かばない。目を見開いたまま硬直していると、腕を緩めて少し身を離した千冬が私の顔を覗き込んでくる。
「気付くの遅くてごめん、オレもお前のことが好き」
だから職場のやつの告白は断れよ、さっきのでオレのこと嫌いになったんなら、もっかい好きになってもらえるように努力する、今まで突っぱねた分も全部言葉にして返すから————
千冬の瞳に滲んだ涙に釣られて、私の目からも水分が垂れ出した。いい歳した大人が泣きながら道端で抱きしめ合って馬鹿みたいだ。でも今はそんなこと、どうでもいい。三度目の正直ならぬ、百度目の正直だったけど。どうやら十七歳の私の恋は十数年ぶりに報われたらしい。
気付くのが遅くてごめん、だなんて、千冬が今まで彼女にフラれてきた理由がもし、万が一、億が一、私にあったのだとしたら、私が今まで流してきた涙は一体なんだったのだろう。女泣かせの酷いやつ、蚊の鳴くような声で呟いて、今度は自らその胸に飛び込んだ。
男らしいのに鈍感で馬鹿な所が可愛いと、そんな浅はかな理由で惚れ込んだ十年前の私に今からエールを送りたい。
short
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