序 14



重い足音と軽い足音。
一つは新八のもので一つは例の人物のものだろう。
廊下のほうから響いてきた足音に土方は畳に落としていた視線を入口の障子戸へ転じ、そこにさす二つの影を見やった。

「連れて来たぜ」
「−入れ」

簡素なやりとりのあと障子戸が荒っぽく開けられる。障子の端が柱に当たり、小気味のいい音を立てた。
もうちっと静かに開けられねぇのか。
何事にもおおざっぱな傾向がある新八に土方は心中呆れながら、新八に背中を押されて入ってきた人物を見た。広間に集まった幹部の面々も、そちらを注視する。
白い足袋に包まれた足が床の上をすべる。
刺すような視線にも臆することなく両手を縛られながら広間の下座へ進んできたのは、女と見紛うほど華奢な若い男だった。
青年は頭の高い位置で結った長い黒髪を揺らし、袴のすそをさばいてゆっくりとその場に座す。隙の無い流れるような動作に思わず目が釘付けになった。
青年が顔を上げる。
眦が切れ上がった猫のような目が、まっすぐにこちらへ向けられる。たおやかな容貌とは裏腹に、どこまでも力強く鋭い視線だった。
射貫くような目に土方は一瞬息を呑む。
…なるほど。こりゃ総司の報告どおり、見た目どおりの相手じゃねぇな。
土方は眉間の皺を深くして再度気を引き締めた。
ちと厄介なことになりそうだ。






立ち入った広間には、永倉の言ったとおりそうそうたる面々が集まっていた。
これが、新選組幹部。
その中には昨夜の二人もいた。やはり幹部だったらしい。だとするとあの総司という男は一番組組長の沖田総司で、一と呼ばれていた男は三番組組長の斎藤一か。噂で一度耳にしたことがある。双方新選組内でも一二を競う強さだとか。昨夜の自分は本当についてなかったらしい。
沖田は昨夜どおりにやにやと事を面白がっているのが明白な人の悪い笑みを浮かべており、斎藤はそんな沖田の反応に苦虫を噛み潰したかのような仏頂面をしている。出会ったときから思っていたことだが、ずいぶん対照的な二人だ。
貴舟を連れてきた永倉はというと、その二人の真正面に座った二人組の隣に腰を下ろしていた。新選組の中でもとりわけ仲がいいのだろう。
さっきから三人そろって好き勝手なことを言っている。

「アレを片付けた上に総司とやり合ったって聞いたから、どんな剛の者かと思ったんだけど、細っこいなー」
「でもお前よりかは背は高そうだぞ。平助」
「おう。間違いなくお前よりかはでかいな」
「んなっ!?まじかよ」

てかそこには触れないでくれよ、左之さん。長髪を高く結い上げた青年が、精悍だが甘い顔立ちをした男に食って掛かった。
平助と呼ばれた青年には覚えが無かったが、左之と呼ばれた男には心当たりがあった。
多分、原田左之助だろう。
美形でよく島原に遊びにくるということで、ちょくちょく見世の姐さんたちの話題にのぼる人物だ。目の肥えた姐さんたちの口に上るだけあって、たしかにいい男ぶりだ。ああ、色男といえば新選組で姐さんたちに人気なのがもう一人いたな。
貴舟は袴の裾をさばきながらその場にゆっくり座り、顔を上げた。
部屋の一番奥まった場所には三人の男が座っている。
中央に堂々と座した精悍な顔立ちの男は、場所から言って新選組局長の近藤勇で間違いないだろう。次席には撫で付けた栗色の髪に舶来のものと思しき丸眼鏡を掛けた男が控えている。一見柔和そうな笑みを口元にたたえこちらを見ているが、眼鏡の奥の瞳は冷たい。理知的な雰囲気からいって、参謀的な位置づけの人間。こちらは多分総長の山南敬助だろう。
そして、その反対側の脇に座す不機嫌そうに眉根を寄せた三十がらみの美男。
これが噂の"鬼の副長"、土方歳三だろう。
酔った隊士たちにはその厳しさからそうあだ名されて座敷でしょっちゅう愚痴をこぼされているらしいが、芸妓たちにはその容姿の良さから大人気だった。確かに色白で引き締まった顔立ちは女に好かれそうだ。
今はその綺麗な面相に"鬼の副長"というあだ名にふさわしい冷厳な雰囲気が加わり、凄まじい威圧感をかもし出していた。
しょっぱなから剣呑だな。空気さえも切り裂くような鋭い視線に貴舟も負けじと見返す。
と、

「こらこら、トシ。そんなに威圧するな」

可哀想じゃないか。剣呑な雰囲気のなかに、いきなりそんなのんびりとした声が割って入ってきた。人のよさそうなその言葉に貴舟は一気に毒気を抜かれ、肩からがくっと力が抜けた。…なんか、拍子抜けした。
それは土方も同じだったようだ。「近藤さん…」土方を見やれば苦虫を百匹ほど噛み潰したような苦い顔をしていた。厳格さが薄れ、苦労人っぽさがにじんでいる。多分いつもこの調子なんだろう。弱冠同情しないでもない。
近藤はそんな土方を尻目に、にこやかな表情で貴舟に話しかけた。

「私はここの責任者の近藤勇という。君の名前を聞かせてくれないか?」

近藤の他意の無い声に、貴舟は素直に名を告げた。
それに名はもう永倉に明かしてしまっているので、隠す必要がない。
ゆるんでいた場を仕切りなおすかのように土方は溜息をつくと、引き結んでいた唇を開いた。

「貴舟とやら、お前の選択肢は二つだ」

厳然とした低い声で告げる。

「この場で斬られるか、それともこのまま新選組に入るか」

新選組に入るってぇなら、昨夜見ちまった事とやっちまった事は一応不問にしてやるといわれ、貴舟は柳眉を跳ね上げた。

「口封じか」

沈黙は肯定ととるべきか。
昨日のアレは新選組にとって、よっぽど見られたくないものだったらしい。
それにしたって。

「理不尽だ」

「何?」険しい顔で聞き返してくる土方に、貴舟は言い返す。

「私は襲われたから自分の身を守っただけだ。むしろ迷惑掛けられたのは私のほうだっていうのに、何であんた達の勝手な都合に私がつき合わされなければならないんだ」

はっきり言ってむちゃくちゃな要求だ。
こっちが従う道理はなかった。

「…それは困りましたね。これが我々としても最大限の譲歩なんですが」

するとそれまで口を開かなかった山南が、穏やかな口調でそう話し掛けてきた。
どこか毒気を抜かれるような声音の上に、眼鏡の奥でにっこりと微笑む目にこちらも釣られそうになってしまうが、頭がキレそうなこの男は要注意だ。

「そもそも、あなたは何故あのような時間帯に出歩いていたのです?」

案の定、痛いところをつかれてしまった。言葉につまる。
素直に子供を捜しにと言ってしまえば、子供達もアレを見たことがばれてしまう。子供たちを巻き込むわけにもいかず、内心焦りながらなんとかごまかそうと言葉をさがしていると、急に戸外から慌てたような足音がせまってきた。
障子に人影が写り、全員の視線がそちらに向く。

「副長」
「何だ」

おそらく新選組の平隊士の一人であろう人影に、すかさず土方が返す。
問われた平隊士は、困惑気味に答えた。

「それが…【椿屋】の主人だと名乗る方が急に訪ねてきまして」

貴舟はその言葉に目を見張った。
いや、でも。まさか、な。

「何だそりゃ?追い返せ。こっちはそれどころじゃねぇんだよ」
「いえ、ですが…」
「こっちもそれどころじゃねえんだよ」

平隊士の後ろにもう一つ影が差す。
かと思ったら、障子戸が勢いよく開け放たれた。障子の端が柱に当たり、壊れたのではないかと思うほどの音を立てる。
顔面を蒼白にさせる平隊士を脇に従え出入り口に仁王立ちしていたのは、土方に負けず劣らず不機嫌な顔をした三十がらみの男。

「うちのモノを返してもらおうか」

良玄だった。
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