序 19



「で、決まったか?」

再び広間に連れてこられた男が大儀そうに口を開く。その口調はわざわざ問いかけるまでもない、と言外に匂わせていた。
相変わらず不遜な態度を隠そうともしない良玄に対し土方は眉をかすかにひそめながら、しかし溜息をついて頷いて見せた。
この男の思い通りになるのはかなり癪であるが、他に最善の選択肢がなかった。

「取引に応じよう」

近藤が宣言する。
取引という名の脅迫に一部反発もあったが、これが全員の結論だった。
宣言を聞いても良玄と貴舟はまったく表情を変えなかった。想定どおりなのだろう。そしておそらくはこの先もまた予測されているのだろうなと苦々しく思いながらも、土方は山南に目配せした。土方の意を受け、山南が口を開く。

「ただし、一つ条件をつけさせていただきます」

その言葉に男が目を眇める。目顔で先を促す良玄に、山南は言葉を続けた。

「我々が貴方に提示する利益は<彼の身柄の即時解放>。対して貴方が我々に提示する利益は<過激攘夷派の情報>。しかし先程申し上げたとおり、貴方が嘘をついているという可能性も否めません。現時点で貴方の言葉を鵜呑みにするのは危険すぎる」
「それで?」
「貴方の言葉が真実であると確証できるまで…少なくとも一派の襲撃決行日まで、彼の身柄は今しばらくこちらで預からせていただきます」
「保険、というわけか」

淡々と言う良玄に、山南は微笑する。

「情報が本当ならば、どうということはないでしょう?いずれ彼の身柄は必ず解放すると約束しましょう」

言い切る山南に良玄が振り返り貴舟の顔を見る。「だと」というような顔に貴舟は頷いた。
良玄の顔が正面に戻ってくる。

「いいだろう」

良玄は息を吐きながら懐へ手を差し入れ、例の情報が書き付けられた文を床に押し付けるようにして置く。内心では不満なのだろうが、男もここらへんが落としどころと見切りをつけたようだ。わりとすんなりと話が通ったことにほっとして面々が緊張をほどくなか、男はゆっくり立ち上がって出口へと向かう。
戸口に手を掛けたところで。

「ああ、そういえば最後に一つ言い忘れていた」

ぴたりと立ち止まり、思い出したというような口調で言った。
まだ何かあるのか。幹部達は緩めかけた緊張をまた引き締める。訝しげに眉をひそめる者が多い中、良玄は振り返り言う。

「そいつ女だぞ」

一瞬何を言われたのか飲み込めなかった。

「「「「は?」」」」
「傷物にしたら殺す」

呆けた顔をする一同を無視し、良玄はさっさと出て行く。慌てて後を追っていく斎藤の後姿を見送ったあと、一同の視線はある一点に集中した。
ある一点、つまり貴舟に。
一斉に集中した視線にまたも居心地悪そうにしながら、貴舟は眉をひそめて言った。

「…誰も男だとは言ってない」

不快そうな声。それが答えだった。







「…まさか女性だったとは、この近藤勇一生の不覚…!」

むむむと眉間に皺を寄せる近藤に、土方は苦笑した。

「しかたねぇって、近藤さん。俺だって気づけなかったんだからよ」

あの後貴舟に藤堂を監視として付けて別の部屋へ移し、幹部達はそのまま広間で車座になって話し合っていた。
良玄の言葉でまた別の問題が上がってきたからだ。

「しかし、気づかなかったとはいえ、女の子の手足を縛って土蔵に放り込んだんだろう?悪いことをしたねぇ」

とは源さんこと井上源三郎の言葉だ。
新選組の良心ともいえる井上にとって、今回のことは胸が痛むのだろう。

「でもそれで正解だったと思いますよ、僕は。女とは思えないぐらい強いですから、彼女。背格好も男みたいだし、自業自得でしょ?」
「こら、総司!」

井上の言葉に、沖田は顔を背ける。口には出さずとも「謝りませんよ。本当のことですから」と横顔が語っている。気に入らない、認めないといった雰囲気が全身から噴出していた。
人質のことといいあのいけ好かない置屋の主人のことといい、すっかり機嫌を損ねてしまったようだ。
…だからとはいえ、話し合いの最中ぐらい少しはその態度を隠して欲しいもんだが。
土方は目元がわずかに痙攣するのを感じた。目頭を指で軽く揉み解す。そんな考えがなんとなく伝わったんだろう。視界の端にこちらを見て微苦笑する原田の顔が見えた。

「ま、今まで知らなかったんだし、もう過ぎちまったことはしょうがねぇだろ?」

それより。と続けた原田の言葉の先を山南が受ける。

「彼女の今後の扱いが問題、ですね」

山南の言葉に全員が頷く。
そう。最初勘違いしていたように男ならば良かったが、貴舟が女であると分かった今、いくら腕っ節が強いといっても男所帯の新選組に女を入れるのはためらわれた。万が一という場合もある。
それに、存在を伏せて軟禁隔離しようにも。

「平隊士に見られちまったからな」

永倉の言葉に皆一様に頭が痛いという顔をする。
後の騒動ですっかり頭から抜け落ちてしまっていたが、あの男の登場で伝達役として来た平隊士にしっかりと貴舟のことを見られてしまったのだ。口外しないようにと言いつけてはあるが、人の口に戸は立てられない。どこまでもつか怪しいものだ。

「普通に考えて、女ってことは伏せたままのほうがいいだろうな。どういう理由かは知らないが本人も男の格好をするのに慣れてるみてぇだし、この問題は大丈夫だろ」
「問題は平隊士達にどう説明するか」
「いらない探りを入れられないためにも、ある程度の説明は必要でしょうね」

しかしどう説明したものか。
全員が考え込む中、ややあって一番はじめに声を発したのは沖田だった。

「そのまま身柄を預かってる、でいいんじゃないですか?」

全員の視線が頬杖をつく沖田に集中する。

「彼女、用心棒なんでしょ?だったらそのまま置屋から一時的に用心棒として借りてるって話で通しちゃえばいいじゃないですか。今の人手不足は平隊士達も知るところですし、それなら変に疑われないですよね?」
「…まぁ、確かに」

顎に手をあて、近藤も賛同する。
沖田は先程とは打って変わって上機嫌な笑顔になる。

「それにもし取引が破棄になったとしても、そういう名目で巡察に同行させてどさくさにまぎれて殺しちゃえば、不逞浪士のせいにできて後腐れもなくていいじゃないですか」

だが続けられた言葉に、その場の温度がすっと低くなった気がした。よくよく見てみれば沖田の目の奥は笑っていない。
言い分はもっともだし分かるのだが、先程までの態度の差といい言葉の内容といい、不穏なものを感じられずにはいられない。土方は嫌なものが背中を這い上がってくる感覚に眉根をよせ、沖田をじっと見据えた。

「…総司、お前今何考えてやがる?」
「別に。僕はただ新選組のためになることを考えているだけですよ」

口元の笑みを崩さず沖田は言う。無邪気そうに円弧を描く口元。それがやけに不気味だった。
いびつな笑みに土方は眉間に寄せた皺をさらに深める。
総司にとって敬愛する近藤さん、ひいては新選組に仇なす可能性のあるあの男と貴舟の存在が邪魔で仕方ないのだろう。なんとなく理解はできるし、自分にとっても頭の痛い話であることは間違いない。できればさっさと排したい問題ではある。しかし、だからといって人質を殺されては元も子もない。
土方は沖田が近々必ず貴舟に何かするつもりであることを確信し、今後考えることの一つとして沖田と貴舟をなるべく接触させないことを追加した。
ALICE+