序 23



ぽとり。
何かが落ちる乾いた音が耳に届いた。
足元に転がってきたものを、貴舟は拾い上げる。
両手のひらに収まるぐらいの大きさのそれは、黄色い花芯を赤い花弁が包み込むようなころんとした形の花だ。
葉擦れの音がして、また乾いた音が鳴る。
花から視線を上げ、上に目をやる。
濃い緑の葉が生い茂った木には、赤い花が鈴なりになっていた。根元にも花がその姿をとどめたままごろごろと転がり落ちている。まるで赤い絨毯のようだ。
見回して見ると、小さな中庭には所狭しと同じ花の木が植えられていた。
貴舟は縁側に腰掛けながら、その建物の名前の由来にもなっている花を手の中で転がしてもてあそぶ。

「だから【椿屋】なんだ」
「ああ。見事なもんだろ」

ぽつりともらした声に対し、上から声がふってくる。
「よっ」振り仰ぐといたずらっぽい笑顔をみせる師匠(せんせい)が腰をかがめてこちらを見ていた。
いつの間に。相変わらず神出鬼没な師である。
貴舟は少しびっくりしながら真上を見上げ、眉をよせる。

「"見事"…っていうよりも"不気味"じゃないですか?」

そのままぽいっと手の中の椿を放り投げる。散ることなく根元から落ちたそれは、貴舟には時々獄門台の上にさらされるという晒し首のように見えた。
花はてんてんと地面を転がっていき、同じ花にぶつかって止まる。
視線でそれをたどっていた師匠はまたこちらへ視線を戻した。
貴舟がいわんとしていたことが分かったのか、片眉を下げて難しそうに言う。

「"首が落ちるみたいだ"って見方も、確かにあるにはあるな」

「けど」師匠は縁側から降り、無骨な手で小さな花を拾い上げる。

「俺は潔くて好きだな」
「潔い?」
「ああ」

にっと笑うと、師匠は急にぽいっと椿の花をこちらへ向かって投げてきた。
貴舟は縁側から身を乗り出してあわててそれを掴み取る。手のひらにはまた椿の花が収まった。
花弁を一枚も損ねていないそれを見ていると、影がさして目の前に先生が立っていた。しゃがみこんで視線を合わせられる。

「惜しむように散る花も確かに綺麗だけどな、何の後悔もなく潔く落ちる椿の花のほうが俺はいいと思う」

「なんでか分かるか?」貴舟はふるふると首を横に振る。貴舟には、師匠の考えていることがまだよく分からなかった。ただ、単純に花の話だけをしているわけではないことだけはうっすら分かった。師匠も聞いてみはしたが、自分がよく分からないだろうことは分かっていたらしく、「ああ、今のお前にはまだちょっと難しかったかな?」と困ったように頬を指先でかいた。真面目な雰囲気が一瞬崩れかけたのを、師匠はひざを叩いて仕切り直す。

「ま、どうせ散るって結末は分かってるんだ。それが早いか遅いかの話で、結果からは逃れられねぇ。なら悔いのないように生きて、最後はすっぱりいったほうがいいんじゃねぇかって俺は思うんだよ」

「だから、な」師匠は続ける。

「お前もせいぜい悔いのない選択をしろよ」

大きくて温かい手が髪の毛をかきまわすように撫でた。
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