序 25



真っ青な空をつがいの鳥が鳴きながら飛んでいく。
今朝の空はここしばらくずっと灰色の重たい雲が立ち込めていたとは思えないような快晴だった。でも白い陽光を投げかける太陽に反し、吹き込む風によって冷え込みは昨日よりも一層増したように感じる。
渡り廊下を歩いていると冷たい板張りの床に接している足裏からどんどん熱を奪い取られていくようで、藤堂は思わず足を速めた。冷えた床に足が吸い付きぺたぺたと音がたつ。

「うー、さっみぃっ…!」

ごしごしと両腕をさすりながら次の角を曲がり、藤堂はある部屋の前で立ち止まった。
つい最近まで空き部屋だった部屋の障子戸は、今は硬く閉ざされている。
まだ寝ているのだろうか。中からは何の音も聞き取ることはできなかったが、人のいる気配は確かにあった。

「…よし」

大きく息を吸い込み、藤堂は気合を入れる。
そして、昨夜言われたことを思い返した。



「そりゃ平助、お前が悪いな」
「ああ、平助が悪いな!」
「って新八っつぁんまで!」

そろって神妙そうに首を縦に振る原田と永倉を前に、藤堂はむくれた。
女慣れしていそうな左之さんはともかくとして、女関係では自分以上に気配りのできない新八っつぁんには言われたくない。
しかし、二人が頷くのも無理のないことだということも藤堂は理解していた。
「…やっぱそうだよなぁ」溜息をつき、藤堂は傷む腰をさすった。
貴舟に蹴り飛ばされた後、情けないことだが藤堂は受身を取りそこねて腰を地面に打ち付けるはめになった。そんな自分を尻目にさっさと部屋に引っ込んでぴしゃりと障子戸を閉めた貴舟に一瞬腹が立ったが、そもそも口を滑らせてしまった自分が悪いのだ。

「大体、たとえ遠まわしだったとしても女に胸のことを指摘するなんざ一番やっちゃいけねえことだぞ。平助」
「う…」

眉をひそめて気配りうんぬんの前の問題だと言う原田に、藤堂はしゅんとして小さくなる。原田の言葉に、横にいた永倉がまたうんうんと頷く。

「そうそう。男だ女だは胸の大きさで決まるわけじゃねえし!」
「…とか言って、新八っつぁんも最初は俺と同じですっかり男だって思ってたじゃんか!」

藤堂にじとっとした目で見られ、永倉は目に見えるくらいにうろたえた。永倉は慌てて言葉をつぐ。

「あ、あれは仕方ねえだろ!そもそも俺やお前ばかりじゃなく全員気づいてなかっただろうが!?」

反論する永倉の言葉は確かに事実だった。納得のいかないというように藤堂は唇を尖らせてうなる。

「そうだけど…」
「ほらな」

胸をそらして自分の主張が正しいと偉ぶる永倉に、藤堂はますますむくれた。
そんな二人の間に原田の溜息が割って入る。

「…ともかくだ、平助。悪いと思ってんなら、お前貴舟にちゃんと謝れよ」
「…分かってるよ」

原田の言葉に、藤堂は頷いた。



「…とは言っても、なんて言って謝ればいいのか」

気合を入れて部屋の前まで来はしたものの、一向に気の利いた台詞は浮かんでこなかった。
男だったらこんなに悩むことはないだろうに。相手が女の子となると、途端に駄目になる自分が情けなかった。
あー…、こんなことなら昨日の夜左之さんに謝り方についても聞いておけばよかった。
うなだれる藤堂の視線に、ふと自分の手がうつった。脳裏に昨日、尻餅をついて立ち上がるのに貴舟の手を貸してもらった時のことが蘇ってくる。
…女の子、なんだよな。
繋げられた手は確かに自分のものよりやや小さく、強く握りこんだら壊れそうだった。それだけならきっと華奢な女の子の手だと思っていただろう。
でも重なった掌の部分、小指と薬指の付け根にはしっかりと硬いタコができていた。剣を振っている者には自然とできる、剣ダコだ。馴染みのある感触に、女の子の手というよりも剣客の手だと真っ先に感じる自分がいた。
貴舟ぐらいの器量と歳なら、もうとっくに結婚していてもおかしくないぐらいなのに。どうして彼女は男のような格好をして、用心棒なんてことをしているのか。なにがそうさせているのか。その疑問だけが、心に張り付いて取れなかった。
どれくらいそうして立ち尽くしていただろうか。
ふいに耳に届いた衣擦れの音に、藤堂ははっとした。
いやいやいや、今はそういうことを考えている場合じゃなくて!
ふるふると首を振ると、藤堂はやっと腹をくくった。
悩んでるなんて俺らしくもねぇ。言い方云々より、やっぱきちんと悪いと思ってる気持ちを伝えることのほうが重要だよな。
そうと決めれば一直線。伊達に"魁先生"と呼ばれているわけではないのだ。
大きく息を吸い込んで深呼吸した後、藤堂は障子戸に手をかけ大きく開け放った。

「貴舟、起きてるか?実は昨日のことで話がー…」

次の言葉は続かなかった。
藤堂の開いた口が閉じなかったからだ。さらに言うなら、藤堂の視線はすっかりある一点に釘付けになっていた。
ある一点―襦袢を脱ぎかけた貴舟の胸元に。
おそらく着替えようと思っていたんだろう。帯を解いて襟に手を掛けた貴舟の袷の隙間からは、柔らかそうなふくらみがのぞいていた。
あ、意外とデカイ。
そう思ったのが最後。素早い動きで貴舟がなにかを振りかぶる。藤堂は次の瞬間ものすごい勢いで飛んできた枕に熱い接吻をすることになった。

「ぐはっ!!!」

藤堂のあごが跳ね上がり、後ろの中庭へ転げ落ちる。
ぴしゃりと障子戸が閉め切られる音だけがひっくり返った藤堂の耳に届いた。
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