序 30


意外と人情味溢れる人間の集団。
それが2、3日を新選組の屯所で過ごしてみた貴舟の感想だった。
巷で噂される新選組といえば、ゆすり、たかりの田舎者の偽侍。壬生狼と呼ばれ不逞浪士と大差ない扱いで、たいていの京雀たちは新選組の名を聞くと途端に顔をしかめる。
京の市井に身をおく貴舟もまた、新選組に対してあまりいい印象を持っていなかった。噂とはえてして尾ひれはひれがつきやすいものであり鵜呑みにするべきではないと分かっているが、それを差し引いても耳に届いてくるのはひどい行いばかりだったからだ。
特にもう一人の新選組局長であった芹沢鴨については、島原では名前すらあまり口に出したがらないものが多い。
とにかく酒に酔うと手がつけられないことで有名で、吉田屋の乱暴狼藉の件もあって芸妓からの評判は今もすこぶる悪いのだ。
上もさすがにこれは問題だとおもったのだろう。長月の折に芹沢が殺された事件は表向き長州藩士の仕業だとされているが、実際は藩から密命を受けた同じ新選組の"粛清"によるものだというのが、もっぱらの噂だ。
芹沢が亡くなって悪評は確かに減ったが、だからといってそれまで起こったことが無くなるわけではない。
怪しきは斬れ、怪しくなくても斬れ。同じ局内の人間であっても容赦なく斬り捨てる、人斬り集団。
そういう話ばかり聞いていたから、どんな人間達なのだろうかと思って警戒していたのだけど。
案外、普通なんだな。
直接話したことがあるのは数人だけだからまだ言い切れないが、みんな何くれとなく気遣ってくれるし、話の端々からここを大切にしていることが分かった。想像していたような無体なこともされない。

「それが終わったらこちらに干してくれ」

だからだろうか。
――どうにも拍子抜けしてしまう。
なんで洗濯。
じゃぶじゃぶと着物やらをたらいで洗いながら、半ばこの場所に馴染みかけている自分に困惑した。
人質が洗濯するってどんな状況なんだ、これ。
最初の殺伐とした空気からは程遠いほのぼのとした雰囲気に思わず気が抜けてしまいそうになる。というか気が抜ける。
一体新選組は私をどうしたいんだ?
がんこな泥はねを洗濯板でこすり落としながら難しい顔をしていると、考えていることが伝わったのか竿に洗濯物を干していた斎藤が口を開いた。

「…本当は左之が担当だったのだが、あいにく二日酔いでつぶれていてな。それにずっと軟禁してただ飯を食わせてやれるほどのたくわえも人手も、今の新選組にはない」

働かざるもの食うべからず、ということらしい。
見世にいたときもそうだったから、これには素直に頷けた。でも、幹部が二日酔いでつぶれるって…隊内の規律とか大丈夫なのだろうか。
それには斎藤も思うところがあるのか、かすかに眉間に皺がよっていた。嘆息して斎藤は洗濯物をとり、また干しにかかる。
貴舟もまた積みあがった洗濯物を減らすべく黙々と手を動かし始めた。
もともと貴舟もあまり喋らない性格だが、斎藤はそれに輪をかけて無口だった。声がやんで、あたりに響くのはたらいにはった水の音と鳥のさえずりにだけになる。斎藤の持つ清澄な雰囲気がそうさせるのか、嫌な沈黙ではなかったが。
風にゆらゆらと揺れる洗濯物の隙間からその姿を垣間見つつ、貴舟は思い出す。
思えば、最初からあまり喋らない男だった。
もともとそういう性格らしい。歳の話になったとき、藤堂からこの男についての話もされた。
藤堂の話によると、斎藤は藤堂と同じ歳なのだそうだ。藤堂は予想どおり自分の一つ上だったわけだが、斎藤はもう少し上だとばかり思っていたので藤堂と同じ歳だと聞いて驚いた。思った通りを伝えると、藤堂にすねられたけど。
その後もいくつか斎藤に関する話を聞いた。
生真面目で冷静沈着。居合いの達人で刀が好き。
たしかに剣も性格を反映してか、するどく真っ直ぐな剣筋だった。
そこで出会いがしらに目をえぐりとられそうになったことを思い出す。あれは間一髪だった。頭のなかに目の先に鋭い切っ先をつきつけられた場面が浮かび、ひやっとした感覚が背筋を上る。
嫌なことを思い出した。
眉間に皺を寄せていると斎藤がこちらに近寄ってきた。
かがみこみんでたらいに視線を落とす。
干し終わったのでまた干す洗濯物をとりに来たようだ。気がついて斎藤が手をのばした洗濯物をとってわたすと、かすかに指先が触れ合った。
指先をほんのすこしのあたたかさがかすめる。
変な沈黙が落ちた。
違和感を感じて顔を上げると瞠目した斎藤の顔があった。
視線が合うと貴舟が疑問に思うも間もなく、はっとしたようにいつもの顔にもどる。
間を埋めるように斎藤の口から言葉が押し出された。

「すまない」

伸ばされた腕がそろりと戻る。

「…はい」

さっきのことには触れてはいけないような雰囲気に貴舟もそれだけを返すにとどめた。
しかし妙に気まずい。
おさまりの悪さを感じていると、ふいに声をかけられた。

「何故用心棒に?」

降ってきた声に見上げるとまだそばに斎藤が立っていた。落とされた斎藤の視線をたどると自分の手のひらに行き着く。たらいの冷たい水にひたした手は全体的に赤くなっていて、付け根にはぼこぼこと剣ダコが目立った。
無意識に握り締めた指先がたらいの水面に波を立てる。

「女が用心棒をしているのは、変ですか?」

思ったよりも硬くなった自分の声音に気がついて、言うべきではなかったと後悔した。
反抗的な声に帰ってくる反応は、たいてい渋い顔か、おもしろくないという表情だったからだ。女が刀を握るのを快く思わない人間は多くても、気にしない人間はそう多くは無い。
だけど斎藤は後者のようだった。

「咎めているわけではない。ただ、気になっただけだ」

「話したくなければ話さずともよい」淡々とした口調に嫌味はない。単純に興味があった。ただそれだけのようだ。
真摯な目と言葉に、自然とこの男になら話してもいいと思えた。

「…理由は色々ありますが」

たらいのふちに手をかけながら貴舟は話し始める。

「一番の理由は師匠(せんせい)みたいになりたかった」

思えば、師匠(せんせい)と出会ったことが全てのきっかけだった。

「師匠?」
「私に剣技を教えてくれた人です」

問いに答えれば、合点がいったという表情がかえってくる。

「もとは師匠が良玄の用心棒をしていたんですが、今は私があいつの用心棒に」
「…そうか」

だんだん重くなる口調。斎藤も何か察したようで、それ以上聞いてはこなかった。もし聞かれたとしても貴舟も話すことができなかったのでその気遣いはありがたかった。

「あんたの主人…良玄といったな。あの男との付き合いは、長いのか?」

代わりに斎藤は話を切り替えてきた。そのとき良玄の名前を呼ぶときに斎藤の声にわずかに苛立ちが混じるのを貴舟は聞き逃さなかった。
やはり良い印象はもたれていないようだ。
黙っていれば稀に見る美丈夫なのだが、いかんせん性格が…いいとは言えないからな。内心苦笑いが浮かぶ。
初めて良玄と会ったときの第一印象は最悪だったことを思い出しながら、貴舟は話す。

「そうですね。かれこれ6年の付き合いになります」

でも。と貴舟は続ける。

「私があいつのことに関して知っていることは、限られていますよ」

顔を上げた先にいる斎藤は一見して無表情だったが、息をつめたところをみるとかすかに動揺したようだった。

「聞いてくるようにいわれたんですか」

洗濯に付き合わされたのには人手が足りないという他に理由があるのではないかとずっと考えていたのだが、先の質問で分かった気がする。
閉じ込めた空間で尋問をしても人と言うものは警戒してなかなか口を割らないものだ。だが、話しやすい場ではついつい気が緩んでぽろりともらしてしまうかもしれない。
本当に人手が足りなかっただけなのかはまだ判断がつかないが、良玄が取引につかった情報をどこから掴んで来たのか、探ってくるように言われていたのは間違いないだろう。
問いに対して沈黙を守る斎藤の様子からして、それは明らかだった。
特に否定も肯定もしないのは、肯定だといっているようなものだ。
一気に囚われの身という現実の重苦しさが戻ってきたような気がして、貴舟は密かに息を吐き出す。

「…ある程度のことは教えてくれますが、肝心要のことは教えてくれないんですよ。あいつ」

いつの間にか視線が下がっていたのか、たらいの水面に映る自分の顔が見えた。
自嘲じみた笑みを浮かべる顔が波紋にゆらゆらとゆらぐ。
いびつなそれが自分の心中を如実にあらわしているような気がして、たらいのふちを掴む手に力が入った。
いつだって頭の片隅にへばりついている。
結局良玄は自分を信頼していないのではないか、と。
たしかに良玄は主張どおり嘘をつかない。
でも、それは嘘をつかないというだけであって意図的に隠すことはできるのだ。
今回の新選組に関することのように、深入りするな、知るなと警告されたことは一度や二度ではなく、きっとそれ以上のたくさんのことを良玄は自分に隠しているのだと思う。

『お前は知らなくてもいい』

おそらく、師匠のことについても。
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