序 34



「あれ。ずっと起きてたの、君」

悪夢かこれは。
月明かりに照らしだされる冷ややかな沖田の顔を見て、貴舟は思った。
それと同時にまだ半覚醒状態の頭でなんとか沖田の言葉を理解する。沖田はやっぱり自分が起きていたことに気づいていたようだ。
ずっと起きてたんじゃなくて、今度はあんたに起こされたんだよ。
憮然とした顔つきで沖田を睨みつけ、貴舟は自分が起きる原因となったものをちらりと一瞥する。
一度は再び眠りについた貴舟だったが急に意識が浮上するのを感じて目を覚ますと、部屋の障子戸が開けられて自分目がけて何かが放り込まれるところだったのだ。
とっさに布団を蹴上げて抱きとめなければ、寝ているところを上からつぶされるところだった。
寝てたの知っててわざとやったな。
沖田のわざとらしく驚いてみせる口調に、顔をますますしかめながら貴舟は問う。

「これは一体どういうことなんだ?」

腕に抱きとめたものを示す。
沖田が部屋に放り込んだものは、手足を縛られた少女だった。格好こそ男の格好をしているが、抱きとめた身体は柔らかいし顔立ちは明らかに女のものだ。歳の頃は自分より少し下ぐらいに見えた。
よほどこわい思いでもしたのか気を失っている少女の顔は青ざめていて、力の入らない身体はぐったりとしている。
明らかに何か訳ありそうな少女に、返り血を浴びた隊服姿の沖田。穏やかなとり合わせではない。
前後の状況をあわせればある程度起こったことを予想することはできるが、わざわざ叩き起こされて巻き込まれたのだ。向こうから説明くらいしてもらってもバチはあたらないだろう。
顔を上げて視線を合わせる。
入口の柱によりかかった沖田が目を細めて薄笑いを浮かべた。しかし眼光は鋭い。

「僕の質問は無視なわけ?」
「話をそらすな」

沖田の言葉を一言ではねつける。
さらに睨み付けると交わっていた視線が目蓋の奥に隠された。まるで聞き分けのない子供に対するような溜息が沖田の口から漏れ、沈黙に吐息が響く。

「…あのさぁ。君、自分の立場分かってるの?」

再びあげられた視線は先にも増して冷ややかだった。
柱から肩を離した沖田が、刀をすらりと抜きながらゆっくりと近づいてくる。光がさえぎられ顔に影が落ちる。

「口を慎みなよ」

ひたりと首筋に当てられた刀身が、赤い色とともにぬらりと光った。血脂をまいているのは誰かを斬った証拠だ。
貴舟は冷たい温度を伝えてくる刀身から目をはなし、沖田を見据える。

「嫌だ」

沖田の眉が不快そうに跳ね上げられる。だが、かまわず貴舟は続けた。

「私に非はない。それに立場も何も、そもそも全部そっちの手落ちが原因だろ。今もあんたのせいで叩き起こされて迷惑を被っているのはこっちの方だ」

新選組には知られたくないことがあるようだし、部外者が首をつっこんでくるなという沖田の言い分も理解できるが、被害者としてもう十分巻き込まれている。それに寝ているところを叩き起こされたり下敷きにされそうになったり、いい加減色々と限界だった。寝るのを邪魔されて機嫌が悪かったというのもある。わざわざ自分から怒らせるようなことをして何も言い返されないとは思わないで欲しいものだ。

「大方、この子もあんた達の理不尽な事情とやらに巻き込まれたクチなんだろ?」

だからこれくらいのことは言わせてもらう。

「京の治安を守る組織が治安を逆に乱しているなんて、本末転倒もいいところだな」

責め立てるように語調を強くして言葉を発した瞬間、刃に力が入った。

「それ以上口を開くと…殺すよ?」

薄笑いが消え、沖田の視線に殺気がこもった。
貴舟は口をつぐみ下から沖田の目をねめつける。できるのか?と。
自分もたしかに微妙な立場ではあるが、良玄との取引で窮地に立たされているのは新選組とて同じだ。情報の真偽が分からない今、自分を殺すことが新選組にとってまずいことはさすがにこの男も理解しているのだろう。
首にあてられた刀は外されもしないが一向に引かれる気配もない。もし沖田に本当に殺す気があるなら、剣を抜いたあの瞬間一息で殺されていたはずだ。それでも今だに退けないのは、たぶん意地かなにかだろう。沖田も引っ込みがつかなくなっているのだ。
しかしだからといって貴舟から退くことはしない。
膠着する両者の間に、重い沈黙が落ちる。
どちらも退く意思を見せない中、沈黙を破ったのは入口から飛んできた静かな声だった。

「やめろ総司」

斎藤だった。
最初からいたような様子に、ただ沖田の影に隠れていただけなのだと気がつく。
最初からいたなら止めてほしかったとも思うが、沖田が言ったところで止まる相手でないことを考えると、仕方ないのかもしれない。
むしろここで割って入ってくれただけましか。

「人質を殺してどうする」
「はいはい」

斎藤の言葉にうっとうしげな返事を返しながら沖田はようやく剣をおさめる。

「あーあ、興がそがれちゃった。僕もう戻るから、あとは一君よろしく」

心底つまらなそうな顔でそう言い残すと、ひらりと手をふって部屋から出て行ってしまった。
まるで気まぐれな猫のようだ。
その気まぐれにいつも振り回されているのだろう。沖田の背中を見送った斎藤の横顔はすっかり諦観しているように見えた。
閉められる戸の音に、斎藤の溜息が重なる。

「…とりあえず、布団の上に寝かせてやれ」

唐突に言われてはじめは斎藤が何を指して言っているのか分からなかったが、一拍置いて自分が腕に抱きかかえたままの少女のことを示していることに気がついた。
言われるままに少女を布団の上に横たえ、貴舟は斎藤に向き直ったところで問う。

「この子は?」

斎藤ならあたりさわりのない範囲ではあるが答えてくれる気がした。無口だが問われれば何がしかの答えを返してくれることは、今日一緒にいて分かったことの一つだ。
貴舟の期待通り、斎藤は口を開いた。

「士道に背いた隊士を追う際、浮浪の浪士と遭遇し相手が刀を抜いたため斬り合いとなった。その現場にその者が居たのだ。敵方の間者かもしれぬゆえ、捕縛した」
「で、手間を省くために私と一緒に監視すると」
「そういうことだ」

頷く斎藤に貴舟は思う。
重要な部分は上手く伏せて大筋だけ話しているが、要は貴舟と同じような状況で少女は捕まったのだろう。
かわいそうだと思うが、自分がしてやれることは少なそうだ。

「念のために言っておくが、逃がそうとは思うなよ」

そんなことを考えていたから、斎藤が部屋から出て行く間際にかけてきた言葉には一瞬どきっとした。
すぐさま首を縦に振る。頷き返した貴舟を見て、斎藤は部屋を出た。戸の閉まる音に貴舟はほっと息を吐く。
そうやって落ち着いたところで、はたと思い至った。

「…私どこで寝ればいいんだ?」
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