序 36



差し込む光が目蓋の裏を赤く染める。
朝だ。
障子戸を透かして差し込む朝日に、貴舟はまぶしげに目をうっすらと開いた。
結局、変な時刻に中途半端に目が覚めたために一睡もすることができなかった。
布団を少女に譲った後、貴舟はずっと壁際にもたれて朝が来るのを待っていた。羽織を一枚はおっただけなので身体はすっかり芯から冷え切っていて、さすった腕はびっくりするほど冷たい。
それもこれもあの沖田のせいだといまいましく思いながら、貴舟はきしむ背筋を伸ばし寝ぼけ眼をこすりながら部屋を見回した。
やはり戸外に人影が無い。先刻人の動く気配がするなとは感じていたが、見張り番の斎藤を誰かが呼びにきたらしかった。
そのままほうっておかれるわけもないので、この様子だとまたすぐ誰かが戻ってくるな。
できれば戻ってきて欲しくないけど。
あくびをかみ殺し、目の前に敷かれた布団を見る。
よほど疲れていたんだろう。昨夜捕縛された少女は手足を縛られた状態だったが、途中起きることも無く布団のなかで健やかな寝息を立てて眠っている。
やわらかな頬の線は年頃の少女のものであり、着ていた男物の装束にはおよそ似つかわしくない。
自分のように実用面から着ている訳ではなさそうだし、一人でいたという話からすると自衛、の面からだろうか。最近は何かと物騒で昼間といえど少女の一人歩きは危ない。
なんにせよ一人夜道を歩いていたという少女が難儀そうな事情を抱えているのは明らかだ。捕まった状況からして自分と同じく詮議にかけられるだろうことは容易に想像がついた。
無防備で幼げな寝顔を見ながら頬杖をつく。
悪いよう…にはされないけど、何かしら制限はつくってところかな。
自分とこの少女の扱いの差からしておそらくはそういう方向の処分になるんじゃないか、と考える。
片や蔵に放り込まれ、片や布団のある部屋でお休みである。危険度は低いと判断されているんだろう。同じ性別でもすごい違いだ。
前後のことを考えれば解せなくもない…がやっぱり解せない。

「…ん」

不満に膝を抱えてむっと眉根を寄せていると、布団の上の少女がごろりと寝返りをうった。
ぎゅっと一度目をきつくつむったかと思うと、ゆるゆると目蓋が押し上げられる。
目が覚めたようだ。
何度か目を瞬かせているうちに意識がだんだんはっきりしてきたのか、目の焦点が合ってくる。
4度目あたりの瞬きで、少女としっかり目が合った。
人がいるとは思わなかったんだろう。くりっとした目が驚いたように見開かれた。
そして真っ赤になったかと思うと、ずぼっと布団を頭からかぶって中にこもってしまった。
ああ、この反応は。
少女が何を思ったのかなんとなく察せられて、貴舟は非常に微妙な気持ちになる。
貴舟が困ったように眉尻を下げて声をかけあぐねていると、甲羅の中から辺りをうかがう亀のように少女が布団の隙間からそっと顔をのぞかせた。

「あの…」

おそるおそるといった様子で声をかけてきた少女に、貴舟は怯えさせないようにとつとめて優しい声の調子で話しかけた。
その声にやや苦笑が混じってしまったのは見逃して欲しい。

「ああ、男じゃないから安心して」
「え!?」

さっきよりもさらに大きく少女の目が見開かれ、まじまじと見つめられる。
顔と衣服に視線が集中するのを感じながら、貴舟は内心苦く笑った。
多分少女は異性に寝顔を見られていたと思って恥かしがったんだろう。
しばしばあることとはいえ、やっぱり慣れない。
どっちにも取れる中性的な顔立ちに男の格好をしているため、貴舟はよく性別を間違えられる。そう仕向けているのも若干あるとはいえ、島原界隈では周囲にある程度知られていたことだったため、久しく忘れかけていた感覚だった。
つい先日新選組幹部らにも勘違いをされたところだが、やっぱり異性と同性ではまた衝撃の受け方が違う。前者は単純に腹立たしいのだが後者はなんというか、すごく残念だ。
あきらめたような残念なような微妙な表情を見せる貴舟に、少女は慌てた様子で布団から這い出し、寝癖でちらかった髪を撫で付けると頭を下げた。

「す、すみませんでした!!」
「いいよ。紛らわしいのは間違いないし」

両手を畳につけて謝る少女を貴舟は苦笑しながらそう言ってなだめる。
しばらくしてようやく落ち着いたようにおそるおそる顔を上げる少女に、貴舟は安心させるように小さく微笑を浮かべた。

「私の名前は貴舟。貴女の名前は?」
「…雪村千鶴です」
「ここがどこかは分かるか?」

千鶴は首を横に振り、視線を畳の上に落とす。
暗い表情を見るからに、昨夜のことはうすうす思い出し始めているようだ。実際「新選組の屯所だ」と答えた瞬間、はっとしたように上げた顔は昨夜のように青かった。
千鶴は色の失せた顔でぽつりと言う。

「…私、これからどうなるんでしょう」

ぎゅっと握り締めた両手に視線を落とす千鶴に、貴舟は口をつぐんだ。
貴舟には、助かるとも助からないとも言うことができない。
それを決めるのは、新選組だからだ。
間者の疑いがあると斎藤は言っていたが、さっきの娘らしい反応といい少女の様子はおよそそのようには見えない。本当にたまたま出くわしただけなのだろう。不運だったとは思うが、あまりにも不憫だ。しかし、かといってどうすることもできない立場の自分を貴舟は少し歯がゆいと感じた。
話を逸らそうにもなんとも言えない雰囲気に貴舟がまごついていると、廊下の奥のほうから足音が近づいてきた。
千鶴とそろって貴舟が障子戸を振り返ると、ちょうど障子戸の前に影が立つところだった。

「入ってもいいかい?」

穏やかな声が戸外からかけられる。
「どうぞ」と貴舟がうながすと障子戸を開けて壮年の男が一人入ってきた。
確か幹部の一人だ。人柄の良さがそのままにじみ出たような面相は他の幹部達とはまた違った意味で印象的だったので、よく覚えている。

「おはよう。目が覚めたかい」

前者は両方に、後者は千鶴にかけられた言葉のようだった。
畳のうえに首をすくめて正座する千鶴に、男は申し訳なさそうな顔をする。

「すまんなぁ、こんな扱いで…。今、縄を緩めるから少し待ってくれ」

幹部の井上源三郎だと名乗った男は、そう言って膝をついて千鶴の足を縛っていた縄をほどいた。
手首の縄はそのままだ。
おもむろに立ち上がって、井上は千鶴に言う。

「ちょっと来てくれるかい」

その言葉に、貴舟は来た、と思った。

「今朝から幹部連中で、あんたについて話し合っているんだが…」

井上は言いにくそうに一旦言葉を区切り、続ける。

「あんたが何を見たのか、確かめておきたいってことになってね」

「何を」とは言わずもがなあれのことだろうと貴舟には分かった。
言葉の直前、けん制するように井上が自分に視線をやったことからしてそれは明らかだった。

「…わかりました」

柔らかい言葉だったが、それがいずれにしても強制的なものだと理解したのだろう。
頷いた千鶴の顔はこわばっていた。
連れられて部屋を出る間際、千鶴が後ろを振り返る。
すがりつくような表情の千鶴を貴舟はただ黙って見送るしかなかった。
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