序 43


「人を斬るにはさ、大義が必要なんだ」

いつになく真面目な顔で彼は言った。

「大義ってのはな、己の良心や信条――それを失ってしまえば人として生きてはいけないもののことだ。誰かに押し付けられたわけでも、刷り込まれたわけでもねぇ。そいつの為なら己の命なんてちっぽけなもの、いくらでもくれてやる――そう言えるようなものだ」

横顔がこちらを振り返る。


「お前は、何のために人を斬る?」




鋭い風斬り音。
銀の円弧が空を切り裂く。
貴舟の急襲に即座に反応した沖田によるものだった。
しかし銀線の先に貴舟の姿は無い。銀光の尾が消える。沖田の刃の下を、貴舟の身体が潜行していた。
地を這うような下段からの鋭い斬り上げを、わずかに顎をそらしながら一歩後退し沖田が避ける。振り切る勢いで貴舟の身体が沈みこみながら一回転。沖田の足元を貴舟の足払いが襲う。が、空をきる。その場を後ろに飛びのき着地した沖田が、前に踏み出す勢いで斬り込む。ぎりぎりでかわした貴舟が銀光の消えきらぬうちに刀身を切り返し、さらに袈裟斬りを放つ。それをまた沖田がかわす。
めまぐるしく変わる身体の位置。足の動きにあわせて慌しく音をたてる砂利。複雑に宙に刻まれる何条もの銀光。紙一重の攻防。
そのさまはまるで、爪牙をむき出しにした二匹の獣が、荒々しく争っているかのようだった。
静止しようと隙をうかがっていた斎藤は、その動きと迫力に思わず息を呑んだ。
止められない。否、止めることができない。
剣客としての自分が、この勝負を止めることを拒んでいた。
躍動する二人の姿に、柄にもなく気持ちが昂る。それほどに両者ともに見事な剣さばきだった。
……これほどのものとは。
心中で感嘆の声をもらす。
斎藤が沖田と貴舟が剣を交えているのを見るのはこれで二回目だ。
一回目の攻防は自分が水を差したたため決着はつかず、また貴舟もどことなく本気でかかっていっている様子ではなかった。
成り行き上仕方なく、であったのだろう。
しかし今はどうだろうか。
明確な殺意を乗せた剣筋は恐ろしいほどの冴えをみせている。
初めて見たときのあの戦いが児戯であったかのように思えるほど、その勢いには凄まじいものがあった。
力押しではない。沖田と同じ技巧に頼る柔の剣。
体格も性別もまったく異なる二人の姿。しかし、その剣の性質のせいだろうか。まるで合わせ鏡のようだと斎藤は感じていた。
二人の体が同時に旋回、互いの身体ぎりぎりを切っ先が薙いでいく。
足さばきに身体の位置と重心移動、刀身の流れまでひとつひとつが完璧。両者の技巧はほぼ拮抗しているように見えた。
だが。

「っ……!!」

場数に関しては貴舟の方が上と見える。
剣先をかわそうとほんの一瞬態勢を崩した貴舟に隙が生まれた。沖田がそれを見逃すはずもなく鋭い突きを繰り出そうとしたのだが、沖田からは影になる貴舟の左手が素早く動いたと思ったら、何かが沖田の右目めがけてとんだ。
首を振ってかわした沖田の背後で小さく硬いものが地面を叩く音がする。音からして、小石のようだ。
おそらくはじめに足元を崩しに仕掛けた時、握り込んでおいたのだろう。だとすると、先ほど態勢を崩してみせたのも計算のうちか。
思わぬ攻撃は、ほんの数瞬であるが沖田に隙を生ませる。貴舟にとってはそれで充分なようだった。
間を開けず懐に踏み込んできた貴舟の迅雷のごとき突きが沖田を襲う。喉元に風穴が空くかと思われたその瞬間。

「そこまでっ!!!!」

低い怒号が辺り一面に響き渡った。
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