序 44


「お前は、何のために人を斬る?」


私は―――






「そこまでっ!!!!」

わん、とあたりに声が響き渡る。
静止の声に、貴舟ははっとして伸ばした剣先を止めた。
自分の短く荒い息が耳につく。それまで遠くに感じていた感覚が、一気に実感を伴って戻ってきた。
まるで冷水を頭からかけられたかのように熱が急速に冷めていく。それは押し寄せた潮が引いていくのに似ていて、それと同時に虚しさがこみ上げてきた。
柄を握りこんだ腕がひどく重く感じられる。
息を意識して整えながら、目の焦点をしぼる。荒く上下する男の喉元に、自分の突きつけた剣先が薄皮一枚を残した距離で静止している。そこから視線を上げると、こちらを睨めつける双眸があった。視線が合うと眉間に皺がぎゅっと寄り怪訝そうに目が細められる。
"なぜ?"
訴えかけてくる視線から逃れるように貴舟はうなだれた。同時に、だらりと腕の力を抜いて刀の切っ先を下におろす。
遠くから、砂利を荒く踏みしめる音が近づいてきた。音が近づくにつれ、空気が張り詰めていくのが分かる。やがて音は貴舟からやや少し離れた後ろで止まった。

「……何やってんのか分かってんだろうなてめぇら」

地を這うような怒気をはらんだ声が、張り詰めた空気を裂く。
振り返らずとも分かるこの威圧感。これは。

「土方さん…」

目の前の沖田が苦々しげに呟く。

「刀から手をはなせ」

有無を言わせぬ重圧がある言葉に、貴舟は持っていた刀を地面へ落とす。もとより、逆らうつもりはなかった。
ゆっくりと後ろを振り返ると、まさに鬼の形相がそこにあった。そのさらに後ろには、いつの間にか増えた観衆が固唾をのんでこちらを見ている。土方の視線が、貴舟から後ろへ逸れた。

「総司、てめぇもだ」

やや躊躇するような間があって、がらんという音が響く。

「拘束しろ」

言葉とともに貴舟と沖田はそれまで傍観していた人間たちにまわりを取り囲まれた。
沖田は両脇を、貴舟は後ろ手に拘束される。ぎりっと強く拘束された腕の痛みに肩を揺らすと、「悪いな」と声が降ってきた。
見上げると、すまなそうな顔をした原田がいた。
女をこうやって手荒に扱うことに対して、気が咎めるのだろう。
だが原田の優しさは、今のささくれだった貴舟の心には沁みるように痛く、苛立ちを感じさせた。原田から目をそらし、俯く。

「蔵に入れろ」

非情な声が響き、貴舟は再び暗闇のなかへ突き転がされた。
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