序 08



今夜は妙に目がさえる。
風呂に入って夕餉を食べた後、早々に布団へ入ったものの、貴舟はなかなか寝付けずにいた。
身体はずっしりと疲労をたくわえて重いのに、いつものように眠りに沈むことができない。眠くならないものかと布団のなかでごろごろと寝返りを打っていると、ふと窓の外でこそこそと話す声が聞こえてきた。

「お前が行けよ」
「えーっ、でも貴舟さん寝てる時に起こされるのが一番嫌いやって…。寝起きの貴舟さんめちゃくちゃ怖いから嫌なんやけど」
「ええから!今そんなこと言うとる場合やないやろ!」
「じゃあ、喜助が行ってよ!」
「俺も嫌やって!」
「じゃあどないするんや!」

もめているうちにひそめていた声がだんだん大きくなってくる。
最初は無視を決め込んでいたのだが、部屋の中にまで声がはっきり届くようになったもんだから貴舟も無視することができず、結局布団から起き上がることになった。
声のするほう、裏庭に面した障子窓をそっと開け、下を覗き込んだ。

「お前らこんな時間に何してんだ?」

呆れた響きを含ませた声で言う。
覗き込んだ先には、ひっと声を上げてぴったりと肩を寄せ合う二人の子供の姿があった。
近所の料亭『安芸屋』の息子・喜助と、良玄がひいきにしている饅頭屋『鹿楓堂』の息子・東次だ。
この二人と水引茶屋の息子・勘介を合わせた三人はこの界隈では悪ガキとしてよく知られていて、度の過ぎたいたずらをしたときには貴舟もこの三人にお灸を据えてやることがあった。
そういえばいつも三人一緒に行動しているのに、今日は筆頭ともいえる勘介の姿が無い。
…何か嫌な予感がするな。
今すぐにでも窓を閉めてしまいたい気分に駆られたが、寒空の下わざわざやってきたのだ。邪険にするのも忍びない。
貴舟は溜息を吐くと、二人に「何かあったのか?」と聞いた。
互いに顔を見合わせたあと、おずおずと口を開いたのは喜助のほうだった。

「実は…勘介が一人で壬生通りまで行ってしもて…」

喜助の話をまとめるとこうだった。
最近、子供たちの間ではある噂が流れていた。
一体どこから流れてきたのかは知らないが、真夜中壬生通りに行くと"鬼"に出会うというものだ。
ずいぶん季節はずれな肝試しであるが、悪ガキどもの間ではその噂になっている壬生通りの十字路へ行って肝を試すのが流行っていた。
仲間が一人二人と肝試しにそこへ行き、ついに勘介の番がまわってきた。
ところがこの勘介、実はとんでもない怖がりなのだ。特に幽霊や妖といったものを苦手としていて、近所の寺で毎年こっそりと行われている百物語には、布団を深く被って頑として出席しないほどだった。しかし仲間の手前「怖い」などとは言えない。結局そのことを知っている子供に茶化されたあげくかっとなって大口をたたき、後に引けなくなった勘介は二人の静止を振り切り、一人で壬生通りまで行ってしまったとのことだった。今頃は一人で心細くて泣いているんじゃないだろうか。
喜助の話を聞き終えた後、貴舟は頭が痛くなった。
こめかみをもみながら二人にきびすを返す。

「って無視かよ!」
「わーっ!!待って待って、貴舟さん!!」

その途端一斉に二人がわめく。
貴舟は顔にいかにも迷惑そうな表情を貼り付け、二人の口を両手で塞ぐとぶっきらぼうに言った。

「…着替えるから、表の通りで待っとけ」

二人の顔がぱぁあと明るくなる。
貴舟の言葉にこくこくとしきりに頷くと、二人は一斉に表へかけていった。
その後姿を見送りながら、貴舟は微苦笑した。しかし、その表情はまんざらでもなさそうだった。

「仕方ないな…」

布団の傍に置いてある刀を取り、貴舟は着替えはじめた。
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