花冷えの日に



「さっみー…」

もうじき桜のつぼみが花開くころなのに、今朝の冷え込みようは半端ではなかった。
磨きこまれた床から伝わってくる冷たさに、才蔵は懐手に思わず身震いした。ここで立ち止まっていたら、よけい身体が冷えそうだ。さっさと井戸で顔を洗って戻ってこよう。
手ぬぐいを肩にかけ庭の井戸へ向かおうと廊下を歩き出す。突き当りを曲がると、障子戸が開いて部屋から誰かが出てくるところだった。

「あ、おはようございます。才蔵」

出てきた瑞希が眠い目をこすりながら才蔵にあいさつをする。

「おう…おはよう、ってお前!」

才蔵は挨拶を返しかけて、ぎょっと目を見開いた。
瑞希の格好が薄い白襦袢一枚だったからだ。櫛をとおしていない髪は少し乱れて細い首筋にかかり、寝乱れた襦袢の袷からは胸元が見えかかっている。朝からこれは刺激がきつすぎる。

「羽織ぐらいはおれ!」

慌てて才蔵は瑞希の肩に自分がはおっていた羽織をかけた。なるべくその姿は直視しないようにして。
少し荒っぽい手つきで羽織に包まれた瑞希は、まだ寝ぼけているのかきょとんとした顔をする。しかし、自分を包む丈の長い羽織を見、才蔵を見ると、

「ありがとう」

ふにゃっとした笑みを顔に浮かべた。無防備なその笑顔に、才蔵の胸がはねる。

「でも、いいんですか?才蔵が寒くなるんじゃ…」
「俺は大丈夫だ」

上目遣いに気遣うようにそう言う瑞希に、才蔵は瑞希から顔を背けるようにしてぶっきらぼうにそう返した。

「それよりどこに行こうとしてたんだ?」

ちらりと視線だけを戻して言う。
「庭に」と瑞希は言い、小さくあくびを漏らした。

「顔を洗おうと思いまして」
「ああ、じゃあ俺と同じだな」

「一緒に行くか?」と聞くと、「はい」という返事が返ってきたので、そのまま瑞希を連れて井戸のある庭へ向かうことにした。細い廊下に、少し重みのある足音と軽い足音が響く。
ふいに、手に暖かなものが触れた。驚いて才蔵が振り向くと、才蔵の手に自分の手を繋いだ瑞希がこちらを見上げていた。

「才蔵は嘘つきですね」

そう言って、ほんの少し笑む。
才蔵の冷え切った手に、少しでも自分の熱をうつさんとするように、瑞希は才蔵の手をぎゅっと握った。

「少しは暖かくなりました?」
「…ああ」

赤くなった顔を見られまいと返事をした才蔵は顔をそらし、口元を片手でおおった。
十分、暖かくなった。
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