You're



静かな教室の中に二人分のシャーペンの音が響く。

「英語で赤点とって居残りって…火神君って、本当に帰国子女?」
「うるせぇな。そういうお前はもっと人のこと言えねぇだろうが」

まぁ、確かに。火神君よりひどい点数とって居残りさせられてるんだけどさ。
溜息をついて目を下に落とせば、机の上に英語がびっちり書かれた分厚いプリントの束がある。今日のノルマは長文訳と会話文の訳だ。一文訳すのでも大変だっていうのにこの文章量、ああ、もう目が回りそう。気晴らしに手の上でシャーペンを意味無くくるくるまわしてみる。
全体の意味はなんとなく分かる。これはこういう話だって。でも、単語の意味がなかなか分からなくて、うまい訳文が思いつかない。特にここのwayだ。これってどう訳すんだろ?普通だったら”道”なんだけど、前後の文章見てるとそれじゃ意味通らないし。シャーペンを回す手を止めて、ちらりと隣を見てみる。

「ねぇ」
「んだよ?」

わたしが呼びかけると、火神君は書く手を止めてプリントから顔を上げる。

「このwayってどうやって訳すの?」
「…お前、そんなのも分からねぇの?」
プリントに書かれている文字を指差すと、明らかに呆れた顔をされた。
あ、できるからってなんかむかつく。わたしはむっとする。
でもちょっと溜息を吐くと、火神君は丁寧に教えてくれ始めた。

「いいか。ここのwayの後ろにはto doが来てるだろ?これが一緒にくっついてくる場合は"方法"とか"やり方"って訳にすんだよ。そうすりゃ意味通るだろ?」
「おお、ほんとだ!ありがとう火神君!」
「他に分からねぇとこは?」

その後いくつか分からないところを出すと、火神君はそれもすらすらと説明してくれた。
ごめん。”帰国子女なの?”って聞いたけど、君やっぱり帰国子女だわ。
一通り教え終わると、火神君は乗り出していた身を引っ込めて自分の席に戻った。また教室の中にシャーペンが紙をひっかく音だけが満ちる。火神君が説明してくれたから、さっきよりはすらすらと解けた。火神君さまさまだ。
長文訳を終えて次のページに移る。今度は会話文だ。読んでみると、それは恋人同士の会話のようだった。
男の人が女の人に「Would you marry me?(結婚してくれませんか?)」とプロポーズしている。英語で告白って、ちょっと憧れる。
あ、そうだ。
わたしは思いついて、机から身を乗り出して「ねぇねぇ」と隣の火神君の袖を引っ張った。

「…今度はなんだよ」

ちょっと迷惑そうな顔をする火神君に、にんまり笑ってわたしは耳打ちをする。

「……って、英語でなんて訳すの?」
「はぁっっ!?」

そのとたん、火神君は椅子を鳴らして勢いよく立ち上がった。

「お前!急になんでそんな…」
「分からないんなら別にいいんだけど」
「…いや、分かるけどよ…」

火神君のいつも軽く皺を寄せている眉間にさらにぎゅっと皺がよる。しばらく逡巡した後、どことなく周りを気にするようなそぶりをして、火神君は流暢な発音でそっと教えてくれた。耳障りのいい低い声が耳朶を震わせる。

「………だ」

「これでいいだろ!」言うや否や、火神君はまた自分の席に戻ってしまう。その耳元は心なしか赤い。かわいいな。
わたしはそれにこっそりと笑ってお礼を言った。

「うん。ありがとう」

またシャーペンが紙を引っかく音が教室を満たす。
特に火神君はさっきよりももくもくとプリントに取り組んでいる。わたしは横目で火神君がプリントに集中しているのを確認すると、机からそろりと身を乗り出し、火神君の耳元へ唇を近づけた。
早くしないと、忘れちゃうからね。
そっと優しく囁く。

「You're the most important person to me.」

ほんの少しの間があって。

「っ!!」

火神君は囁かれた方の耳を押さえて、ものすごい勢いでわたしのほうを振り返った。
その顔は窓の外の夕日よりも真っ赤だ。

「好きだよ。火神君」

わたしはそう言って火神君に笑いかけた。


You're the most important person to me.
(あなたは私にとって一番大切な人。)
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