優しい手





「失礼します」

そう言って、私は障子戸をそっと開ける。
部屋の中に入ると、斎藤さんが奥の文机に向かって座り、仕事をしているところだった。
文机の右側には、書類の束が置かれている。

「お茶が入りました」

「ああ。そこに置いてくれ」

斎藤さんは筆を動かす手は止めずに、ちらりと私を見て言う。

そっけないくらい、飾り気のない言葉。

それがあまりにも彼らしくて、私はくすりと笑うと、いつものように斎藤さんの手元に湯飲みを置いた。

「はい、どうぞ」


これが私の日課。


斎藤さんは夜の巡察のあとでも、遅くまでこうやって仕事をしていることが多い。
生真面目な性格ゆえ、期日までにきちんと仕事をこなそうとしているのだろうが、彼は自分にあまりにも無頓着で、いつか無理しすぎて倒れてしまうんじゃないかと私は時々不安になる。
だから少しでも休んでほしいと、私はこうして夜に、斎藤さんの部屋へお茶を運ぶことにしていた。

斎藤さんは、お茶を飲んでいる間は手を止める。
あんまり熱いのは駄目なようだから、お茶は少しぬるめにいれてあった。
いつも朝になると湯飲みが空になっているところを見ると、ちゃんと飲んでくれているらしい。
それを見ると、嬉しくなる。



「瑞希」

「はい?」


ふと名を呼ばれて顔を上げると、そっと頭をなでられた。

私はびっくりして目を見張る。




少しぎこちない手つき。



でも、壊れ物を扱うようなやさしさがそこにはあった。


「……いつもすまないな」


ほんの少し、顔を背けながら斉藤さんは言う。
彼の照れているときの仕草だ。
頬の辺りが、ほんのりと赤く染まっていた。


それが伝染したかのように、私の顔にも熱が集まる。

「いえ……」




――ああ。こんな人だから、何かしてあげたくなるんだよね。



口数が少なくて、めったに表情を動かさない彼。
そこから周りに冷たい印象をもたれがちだが、本当は照れ屋でとてもやさしいことを私は知っている。
困っていればさりげなく助け舟を出してくれるし、分からないことがあれば根気よく丁寧に教えてくれる。
そんな彼の誠実なところが、私は好きだった。私は密かにそっと口元をほころばせる。





少し不器用で、やさしくて、あたたかい手。





私は心があたたかいもので満たされるのを感じながら、もう少しこの幸福な時間を味わっていたいと目を閉じた。
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