鬼事 03




―疲れた。
重くのしかかる倦怠感に負け、だらりと椅子の背もたれにもたれかかると、背もたれが小さく悲鳴をあげた。
胸の奥から息を搾り出すように吐き、体から力を抜く。無性にタバコが吸いたかった。胸ポケットに入れてあるタバコを取り出そうとし―やめた。

「禁煙―しねぇとな」

最近は歳のせいもあってか、すぐに息があがるようになってしまった。それではヤツらを捕まえることはできない。
いつもいつもあとほんの少しというところで逃げ切られてしまう。今日もすんでのところでチャイムが鳴り、教室の中に逃げ込まれた。

「土方センセー。早く授業行かないと、間に合わないんじゃないですかー?」
「教師が遅刻していいんですかー?」

総司と白川が扉の影から頭を出して、句集をちらつかせながらにやにやとそう言っていたのが頭に浮かび、またいらいらした。
特に総司の奴のあの小馬鹿にした笑み!…思い出すだけでもはらわたが煮えくり返りそうだ。テストでは俺の教科だけ0点をとる。授業を妨害する。廊下で俺の句を勝手にそらんじるなどなど。何でも事あるごとにつっかかってきやがって。しかも、俺が激怒する限界ぎりぎりを見極めているのがまた腹が立つ。
いつもいつも必死で隠すこちらをあざわらうかのように、句集を盗み出しては俺に追いかけられる総司たちだったが、気がつけば句集はもとの場所に戻ってきていた。
今日も肩をいからせて職員室に帰って来てみれば、何事も無かったかのようにもとの場所に鎮座する句集があった。
引き出しを開けたまま、俺はうなだれた。…完全にからかわれている。
馬鹿にされたまま黙っているわけにもいかず、毎度のごとく逃げる総司たちを追っかけてはいるが、全然捕まらない。しかも一向に飽きる気配はない。
あいつらが卒業するまでずっとこれが続くのかと思うと、どっと疲れた。
ふっと息を吐き出して、気分転換にと何気なく窓の外を見る。窓の外は茜色に染まっていた。帰宅するために正門へ向かう生徒達の姿がちらほらと見える。そのなかには、あの二人組の姿もあった。
思わず渋い顔になってしまった。
総司と白川、それに斎藤もいる。いつものセットである。
この三人は仲が良く、しょっちゅう三人でいるのを見かける。生真面目な斎藤と人を食ったような言動をする総司は、一見相性が悪いように思えるが、意外と気が合うようだった。白川が二人の仲を取り持っている、というのもあるのだろう。
三人ともよく目立つから、生徒達のなかでも名物三人組としてたびたび話題が挙がっていた。
ふと、最近生徒達がこの三人組について話していたことを思い出した。

「なんかさ。白川さんていつも沖田君と一緒だよね」
「ソレ言ったら、斎藤君もじゃない?」
「実はどっちかと付き合ってたりして?」
「ああ!ありえそう!」

どっちだと思うー?えー、私は沖田君だと思うな。それ、アンタの好みじゃない。そう言って、女子生徒たちはお菓子片手にきゃらきゃらと笑っていた。
まったく、どうして女というのはこういう手のハナシを好むのだろう。ばかばかしい。
そのときはとくに気にすることも無く、横を素通りした。しかし、今は。
何故だか無性に気になった。
総司が白川に何か話しかける。それに白川が笑う。…胸にもやもやとし気持ちが溜まる。同時に、砂袋を詰められたかのように腹の辺りがずんと重くなった。
ひどく気に食わない。そして、そう思っている自分に驚いた。
妙だ。
付き合っただの、別れただの、そう珍しい話でもないはずなのに、何故白川のこととなるとこんなに気に食わない。
誰と付き合おうと白川の勝手じゃねぇか。教師の俺が口を出すようなことじゃない。
そうだ。

「俺には関係ない」

けぶる気持ちにふたをするように、窓の外から目をそらした。
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